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そこにいて「いいな」と思える人はたくさんいるけど、いなくなって寂しい人は1人だけ

あの人のコトを「ほんとに大切な人」だと意識したのは、実は何かあった時じゃなかったんです。何もなかった時だったんです。


それは、もう年の瀬が迫るある夜のコトでした。

その夜、ボランティアの忘年会があって、いろんな地域のボランティア団体の人たちが集まって一緒にお酒を飲んだりご飯を食べたりしました。その帰り道、女の子同士でプリクラを撮りに行くことになりました。もちろん、その中に例のあの人もいました。

青年はその様子を遠くからボ~ッと見ていました。実はこの日、実家に帰るつもりだったんです。別にその必要はなかったんですけど、毎年年末年始は田舎のおばあちゃんの家で過ごすことになっていて、いつもの慣例で「帰らないといけないかな?」と思っちゃったんです。

それで、「青春18きっぷ」を使って東京から鈍行を乗り継いで1000km近くある実家まで帰るつもりでいました。深夜に品川から大垣行きの列車に乗るつもりだったんです。

ところが、あの人がプリクラを撮るとこを眺めてたりしたものだから、乗り過ごしちゃったんですね。忘年会があったのが池袋。そこから山手線で品川まで移動したんですけど、ギリギリ電車1本の差で乗れませんでした。

仕方がないので、駅の中で待とうかと思ったら、追い出されちゃって…寒い寒い品川駅のシャッターの前で一晩過ごして、始発を乗り継いで実家まで帰りました。


それから、毎年恒例の田舎のおばあちゃんの家まで家族そろって向かったのですが…

超寂しくなっちゃって。そっと家を抜け出して、近くを散歩しました。大みそかの夜のことでした。

そこは世界の果てみたいなとこで。バスの終着点でもあったんですけど。しんとして、空気は冷たくて。「ここから先へは、もうどこへも行けやしない」というような土地でした。

そしたら、どんどん寂しくなっていくんです。

その理由を考えたら、どう考えても「あの人がいないから」なんです。側にいる時は安心して何も感じなかったけど、いなくなってモロにダメージを受けてしまったのです。

心の底にポッカリとあいた穴は、徐々に消えていって消滅しかけていたと思っていたのに。それって勘違いだったんです。心の底の穴はなくなったわけじゃなくて、見えなくなってただけでした。むしろ、ますます大きくなってしまっていたのです。

それと同時に「あ、ここはもう自分の居場所じゃないんだ」と悟りました。それ以来、実家にはほとんど帰らなくなりました。

         *

翌週、ボランティアで例の母子寮に行った時、あの人に「年末、深夜の列車に乗り損ねて朝まで駅の前で過ごした」という話をしたら…

「もう~!余計なコトしてトロトロしてるからですよ~」と言われちゃいました。

遠くから見てたコト、ちゃんと知ってたんですね。


一緒にいて楽しかったり安心する人はいくらでもいるんです。極端な話をすれば「いくらでも代わりがいる」ということ。でも、「いなくなって寂しい人」は1人だけ。それって、ほんとにかけがえのない人なのです。

遠く離れた時に、それが「本当に大切な人」だと初めてわかります。距離が離れて心も離れてしまう人は偽物。代わりがいくらでもいる人。「絶対に失いなくない!」と思ったら、それは本物。決して代わりのいない人。

そして、大抵の場合、「世界で一番大切な人」は失ってから初めてわかるものなのです。

みなさんは、そうならないように気をつけてくださいね。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。