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傷つきながら同時に癒されていく

この頃、青年は引っ越しをしました。

4畳半ひと間の狭い狭い部屋から、4畳半と6畳ふた部屋あるアパートへと。キッチンは広くなり、トイレも共同ではなくなりましたが、相変わらずお風呂はなく銭湯に通う生活が続きます。

実は、このコトが人生最大の致命的な失敗へとつながるのですが、それはもう数ヶ月あとになります。

         *

相変わらず、青年は週に1度のボランティアへ通い続けていました。初日の時と何も変わりありません。

青年が午後5時前後に母子寮に到着すると、必ずあの人が先に待っていて、大部屋の鍵を開けて待っていてくれるのです。どういう魔法を使っているのかわかりませんが、いつも先に来ているのです。

それから、子供たちがダ~ッと走ってきて扉を開けると、部屋の中へと駆け込んできます。

しばらくの間、ふたりで子供たちの相手をしていると、内山さんがやって来ます。メガネをかけたやせ型の30代の男性。中野区の副会長です。内山さんは、ただイスに座って眺めているだけなので、戦力にはなりません。

たまに他の地区からボランティアの援軍がやって来ることもありましたが、基本的にはこの3人で回します(実質、2人)

なので、結構大変でした。勉強を教えるのは簡単でしたが、子供の遊び相手は体力を使います。一緒に走り回らないといけないこともあったし、よく「抱っこして~」などとせがまれるので、その通りにしてあげないといけません。

ボランティア活動が終わるといつもヘトヘトでした。体力的にもそうなのですが、「子供たちが事故にあわないように」と常に気を使い続けるので精神力がガリガリにすり減ってしまうのです。

例の彼女はというと、いつもニコニコしていて楽しそうです。

「これこそが私の天職なのよ。私はついに理想郷にたどり着いたの!」というような表情をして、子供たちの面倒を見ています。

「確かにここは天国かも知れないし、理想郷かもしれないな」と青年も思いました。

「この人は、この環境に適応している。まるで、最初からそこにあったようにピッタリと!保育園や小学校の先生になるべきだな」

そんな風にも考えました。

その一方で、別の感情も持ち合わせていたのです。

「危ないコトやってるな。この人には『危機管理能力』というものが存在していないのだろうか?一緒に楽しく遊ぶのはいいけれど、子供が危険なコトをやってケガでもしたらどうするのだろうか?ほら!また、あそこでも!」

そうやって、青年は子供たちが危険な遊びを始めると、サッと身をひるがえして事故にあわないように支えてあげたり、やめさせたりするのでした。

内山さんは全く役に立たないし、彼女も遊び相手をするのは得意なのですが危険を察知する能力は皆無に等しいので、そっちの面では実質青年が1人で支えているようなものでした。

なので、余計に精神がすり減っていくのです。

「もう、やめてしまおうかな…」と思うことも何度もありました。でも、そうすれば彼女は悲しむでしょうし、いずれ必ず事故が起きる時が来るでしょう。青年はイノベーターの能力を使って、それを予測していました。

彼にはそういう能力がありました。与えられた状況や情報を的確に分析し、近未来に起きる可能性の高い世界を予測してしまうのです。のちに「ディケンズの分解メス」と名づけられる分析・解析型の特殊能力です。

それに、聖母のような女性が微笑んでいる姿を見ているのは好きでした。声を出して笑っているのも好きでした。子供時代から受け続けてきた心の傷がやわらいでいくのを感じます。

「世界には、こんなにもやさしい人がいるんだ。心の底から人を信じることができる人がいるんだ。世界は敵だと思って生きてきたけど、この人のことなら信じてもいいのかもしれない」

そんな風に思いました。

まさに、少年時代から夢見続けてきた「理想の女性」の姿そのものでした。青年は傷つきながら、同時に癒されていったのです。

後の展開からは信じられないかもしれませんが、この時の想いと出来事だけは本物だったんです!


noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。