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自由自在で臨機応変な演出家

この物語にちょいちょい登場してる「チガサキ君」って、なんにでも噛みつくタイプだったんですよ。基本的には一匹狼タイプで、世界中ありとあらゆるモノを敵に回して生きるような人間でした。

自分の考えにちょっとでもそぐわない人に出会うと、嚙みついて回る。まるで狂犬ですよ!狂犬!

だからこそおもしろかったとも言えるし、キャラが立ってもいたのだけど、同時にその性格はリスクにもなっていました。敵を作りやすかったんです。

そういう意味では、この物語の主人公である青年と似たタイプであったとも言えるのですが。青年の場合は「自分と異質な者と出会うと、相手の能力や性格を吸収してしまう」という特性も兼ね備えていました。世界を敵に回しながら、ある部分では非常に素直だったんですね。


当時、チガサキ君は劇団に所属してて。当然ながら、その劇団にも演出家というのがいるんですよ。

で、例のごとく噛みつくわけですよ。劇団の演出家にも。

「あの演出家は全くなっていない!」「オレのキャラがわかっちゃいない!」「芝居の基本もできちゃいない最低の演出だ!」「脚本なんて存在してなくて、その場で適当にストーリーを作っていくんだ!」くらいメチャメチャに文句言ってるわけです。

それで、「どんなものかな~?」と思って見に行ったわけですよ。チガサキ君が出演してる舞台を。

そしたら、実際にその芝居を見たところ、とんでもなくおもしろいんです!確かに、ストーリーはハチャメチャで行き当たりばったりな感じもするんだけど、演じてる役者がみんな生き生きとしてるんですよ!全員キャラが立ってる!

「あ、これは凄いな!さすがはプロの演出家の先生!」ってなっちゃって、「チガサキ君が言ってたことは一体なんだったんだ…!?」ってレベル!(ちなみに、チガサキ君は怪しい東洋のカンフーの使い手で、この舞台のために半分頭を剃って、後ろ髪を三つ編みにするという役者魂を見せてましたw)

「これだ!」と思って。青年は自分の作る舞台にも、同じ手法を取り込むことにしました。

…とはいっても、おおまかなストーリーは既に決まってるんです。なので、その部分は変えるつもりはありませんでした。代わりに、個々の役者の背景にあるエピソードを掘り下げ、細かいセリフをどんどん変えていくという手法を取りました。

「現実の人間」に合わせて「役者の持ち味を最大限発揮する」というやり方を採用したわけです。つまり…

「演出しない演出」を選んだのです!


旗揚げ公演の時にキザオ君がやってた演出みたいに、演出家が頭の中に理想の役者像を描いて、アレコレ細かい指示を出すやり方。それとは全く逆をやったんです!

「役者個人が好き勝手やってくれ!」と、おまかせモード!子育てで言えば「放任主義!」

でも、これって結構難しいんですよ。なぜかというと「役者が自分の頭で考えて、役を演じないといけない」からなんです。

指示をされて指示通りに行動するって、意外と簡単なんです。人によっては、こっちの方がずっと楽に演じられるはず。けど、「役は与えるし、台本は渡したから、あとは全部自分で考えて演じて」って、大変なんです。

自由を愛する人からすると、ムチャクチャ楽しい演じ方なんだけど、「いろいろ教えてもらわないとわかんない」ってタイプの人からすると、チンプンカンプンで何をやっていいのかわからなくなっちゃうんですね~

まさに「自由には責任がつきまとう」ってヤツなんです。


そして、ここでもう1つ問題が起こってしまいます。「放任主義の演出」が災いしたとも言えるのですが、メンバー内で分裂が起こってしまったのでした。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。