ツイッターと距離を置いてみて考えたこと
noteを始めてから、ツイッターとの距離がどんどん離れていって。
ここ数年(特にこの1年)のヘイヨーさん最大失敗は「ツイッターを主戦場」にしてしまったことだと反省したね。
あそこは雑踏だったね。
ギャーギャー、ワ~ワ~とみんなが騒ぎ立てている。
でも、ほとんどの人たちはその言葉に耳を傾けていない。
雑音は集合していき、やがてうねりとなり、環境音となってゆく。
人々はその音を“あたりまえ”として受け入れるようになってゆく。
様々な人たちが、様々なコトを声高に叫び、徐々に「何が正しいのか?」がわからなくなってゆく。
「ほんとうに正しいこと」ではなく「正しそうに聞こえる言い方をする人が正義」
そういう世界。
意味があるのかないのかわからないまま、何百リツイートもし続ける人がいる。
正しい情報も間違った情報も、そのまま拡散され続ける。
自分が信じる「正しい情報」を広め続け、それ以外の情報は無視し続ける。
それでも人々は止まらない。
今日も同じ行為を繰り返し続ける。
それに比べると、noteはもうちょっと静かだね。静かに落ち着いてモノが考えられる。
「ツイッターはメインコンテンツに成り得ない。補助システムに過ぎない」
それが一番最初にわかっていたはずだったのに…
なぜだか、あの膨大な情報のうねりに飲み込まれてしまっていた。
メインの活動場所は別に用意して、ツイッターは補助機関にしよう。
noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。