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「世の中に絶対の正義はない」「キザオ君のやっかいな友達」

海村さんのコトは、今でもたまに思い出します。

自分勝手でワガママで、自らの考えを無理やりに押し通そうとする人で。

人間関係において、それは欠点となります。でも、作家や芸術家にはそういう部分も必要で。あるいは一流の経営者に必要なのも、そういった資質だとも言えるでしょう。

一方で、そういった行動を繰り返していれば、自然と人が離れていってしまうのもまた事実。どんなに会社の経営がうまくいっているように見えても、人が離れてしまったらおしまいです。

ヤクザ先生だって、それは同じ。個人的には非常におもしろい作品を書く人だとは思います(エロやグロ描写がキツイ作品もあるので、読み手を選ぶでしょうが…)

わざわざお金出してヤクザ先生の作品を購入し、読んだりもしています。でも、普段の政治的発言は目に余るものがあり、そっちの方は読んでいられません。限度を超えて偏見が強過ぎるのです。

人によっては「ツイッターの発言が酷いから、アイツの小説は絶対に読まん!」という人もいるでしょう。読者というのは、そういうものなのです。


20歳か21歳のこの頃、青年は真実の1つを学びました。

「人の心も世の中も思っていたよりも複雑。『絶対の正義』も『完全な悪』も存在しない。あるのは、それぞれの人の見方だけ。見る方向が変われば、人の評価なんてすぐに変わってしまう」

それがわかっただけでも、「あの家を飛び出し、世界に触れてみてよかったな」と思いました。あのまま、あの家で暮らし続けていたら、一生知るコトもなかったかもしれない真実の1つです。

同時に「何かを決めつけるのは危険な行為である」と学びました。ただ、この時点では、頭の片隅に刻み込まれただけ。体がついていけていませんでした。自分の人生をその考えに合わせるのには、長い長い時間を必要とすることになります。

         *

海村さんの件が一段落すると、今度はキザオ君の問題が持ち上がってきました。最近、キザオ君はよくない友達とつき合いがあるようなのです。

城山(じょうやま)君という友達で、一見するとそうは見えないのですが、実はかなりの自信家で同時に虚言癖の持ち主でもありました。

「オレは大手プロダクションの知り合いで、あの声優とも懇意にさせてもらっている」と、有名女性声優の名を口にしたり。

「ラブホテルのというのは、非常に実入りがいい。利益率が高いから、簡単に儲かる。お前も一口乗せてやるから投資してみろ」などというコトを言うのです。

青年は「明らかに怪しいな…」と思いましたが、キザオ君はそうは考えません。心の底から心酔し、信頼しきっています。お金を出す気も満々です。

キザオ君の手帳には数え切れないほどの人の名前と連絡先が記されていましたが、彼は片っ端からそれらの連絡先に電話をかけていき、お金を借りる催促をしていきます。

青年の所にも電話がかかってきました。「当然、このお金は返ってこないだろうな」と直感的に悟りましたが、かわいそうになりお金を貸してあげることにしました。確か3万円程度だったのではないかと思います。

いつぞやの新宿西口で出会った寸借詐欺師に対する気持ちと同じでした。あの時も、同情に似た気持ちでお金を貸して(実質、あげて)しまったのです。

青年は元々「闇の世界」の出身だったからでしょうか?何か似たような境遇にある人たちの気持ちが痛いほどわかってしまうのです。そうして「間違っているな」とわかっていながらも、協力してしまうような所がありました。

この心理は複雑です。説明するのが難しいかも…

では、こういう言い方はどうでしょうか?

「その方が物語がおもしろくなりそうだから。わずか2万や3万の資金で、見たことも聞いたこともないような物語に触れることができるなら、安いものだ」

青年の中の作家としての資質が、世の中の「トラブル」や「やっかいごと」に自然と引き寄せられていくのでした。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。