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あの日、あのあと、あの人と何が起こったか?(前編)

結果…

劇団の旗揚げ公演は成功しました。成功…と言っていいかどうかはわかりませんが、少なくとも無難に公演はこなしました。

ただし、内容的には満足いくものではありませんでした。あの人も見に来てくれましたが、「なんだかよくわかんないなぁ…」という顔をして帰っていきました。

それは、そうです。やってる方だってわかっていないのですから。演出家も、演じてる役者たちも、主宰である青年も。本質的には、誰もわかっていなかったのです。ただ、キザオ君の演出能力でそれっぽく見せていただけで…

ここで1度、時間を巻き戻してみることにしましょう。

         *

22歳の8月。母子寮の夏祭りの日。

「ああ、その話だったら、もういいよ…」とあの人に告げた日。

その後、ボランティアの打ち上げがありました。青年は、その場で「ボランティアにはもう行かない!」と断言しました。

あの人は、非常に残念そうな顔をして何度も何度も「お願いしま~す。来てくださ~い」と猫なで声で頼んできましたが、青年はその願いをかたくなに断り続けました。

もはや、ボランティアに割く気力は残されていなかったのです。それに、青年は非常に飽きっぽい性格でもありました。

これは作家としては「良い資質」であったとも言えます。なぜなら、作家や芸術家は常に挑戦する生き物!世界中のいろいろなモノを破壊しながら、新しい価値観を見出し、人々の想像を超える作品を生み出していかなければなりません。そのためには「退屈」や「マンネリ化」は最大の敵でした。


飲み会の席で、青年はビールの広告を目にします。壁に張られた広告の紙には、こう書かれていました。

   「樽生」

青年は、冗談でそれを「たるお」と読みました。すると、あの人が笑って、「『たるなま』ですよ~」と答えます。

それでも、青年はしつこく何度も何度も「たるお!」「たるお!」と読み続けました。そのたびに、あの人の笑い声は大きくなっていき、最後はケタケタとお腹を抱えて笑いながら、その場に倒れ込んでしまいました。

「もうやめてください♪おかし過ぎて死んじゃいます~」とか言ってました。

この瞬間、理解しました。

「ああ…あの時、この人は『浜田君がいるから、あなたとはおつき合いできません』ではなく『これからよろしくお願いします♪』と答えようとしてたんだな」と。

「ちゃんと最後まで話を聞いておけばよかったかな?」と、ちょっと後悔しました。いや、それは今からでも遅くないかもしれません。「やっぱり、君のためにボランティアを続けることにするよ」と一言告げるだけでいいのです。

でも、できませんでした。青年の生来の飽きっぽさと、意地っ張りな性格が、そのたった一言を発することができなかったのです。

結果、「彼女との幸せな人生を歩む」というルートは消え失せ、代わりに「キザオ君と劇団を立ち上げる」という物語が生まれたのでした。


「人として」「作家として」「伝説の悪魔として」

果たして、どちらの道を歩んでいた方がよかったのでしょうね?

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。