ハードくんとメモリーちゃん

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ちょっと昔のお話です。
ある所に「ハードくん」という男の子と「メモリーちゃん」という女の子が住んでいました。
2人は、とても仲のよい幼なじみでした。
「メモリーちゃん。いつまでもいつまでも、こんな風に仲良しでいようね」
「うん。あたし、ハードくんのこと、だ~い好き♪将来、ハードくんのお嫁さんになるんだ♪」
「そうだね。よし!じゃあ、僕はがんばって一流の企業に就職して、君を幸せにしてみせるよ」
「テヘヘ♪」
でも、年を重ねるにつれ、ハードくんは勉強のしすぎで、ガリ勉くんになってしまいました。


ー2ー

時は流れ、2人は中学生になっていました。
メモリーちゃんは、小さな子供の頃のように親しげにハードくんに話しかけます。
「ハードくん、渋谷に遊びに行こうよ」
「やだね。僕は勉強で忙しいんだ。それに、僕が遊びに行く街は、秋葉だけだよ」
「あきば?あきばってなあに?」
「やだな。これだから無知は困るよ。秋葉というのは、秋葉原の事だよ。ジャンク屋で様々な機材を売っているんだ」
「ふ~ん。メモリー、バカだから、むつかしいコトよくわかんないなぁ~」
「そう。じゃあ、バカはどっか行ってな」
そう言って、ガリ勉ハードくんは去って行きました。
ハードくんの後ろ姿を見送りながら、メモリーちゃんは叫びます。
「ハードくん、昔はあんなじゃなかったのに…ハードく~ん!昔のハードくんや~い!帰ってこ~い!」


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しかし、昔のハードくんは帰って来ませんでした。それどころか、ますます勉強して、頭デッカチになっていったのです。
そして、ハード君は一流と呼ばれる大学に行き、これまた一流と呼ばれる会社に就職しました。
メモリーちゃんはというと。なんとか、必死にがんばって、ハード君の後を追いかけて、どうにかこうにか同じ大学に進み、同じ会社に就職しました。
2人が生まれてから、すでに25年が経過した頃のコトです。


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ハードくんは会社に入ってからもバリバリと仕事をこなし、会社の中でもトップクラスの成績をあげるようになって、主任にまで昇格していました。
一方、メモリーちゃんはというと、簡単な書類を作ったりコピーを取ったりと、誰にでもできるような仕事しかやらせてもらえませんでした。扱いも、ただのOLでしかありません。
それでもメモリーちゃんにしてみれば、がんばった方だったのです。


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そんな、ある日のコト…
いつものように、ハードくんの完璧に計算された企画書はすんなり通り、企画はすでに実行段階に入っていました。
ところが、完璧だと思われた企画は、いざ実行してみると無理な点がいくつも存在し、結果は散々たるものでした。
ハードくんは、部長さんから大目玉をくらってしまいました。
「この役立たずが!今回の企画で、会社が一体どれ程の損害を出したと思う!」
「も、申し訳ありません。今回の失敗は、次の企画で必ず取り戻しますので…」
「うるさい!次の企画なんぞ、あるか!クビだ!お前なんぞ、クビだぁ~!」
結果を出せない社員に対して、会社は非情でした。
しかし、そのハードくんのピンチを救ったのは、意外にもあのメモリーちゃんでした。


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メモリーちゃんは、ハードくんを守るために懸命になって言いました。
「部長!その企画、私にやらせてください!」
「ダメだ!!ただでさえ大きな損害が出ておるんじゃ!!これ以上、ムダな出費を出すわけにはいかん!!」
「お願いします。私、死にものぐるいでがんばりますから!!」
「いいだろう。どうせ、クソの役にも立たん企画だ。お前にやろう。ただし、金はこれ以上1銭も出せんぞ!」
「わかりました」
それから、メモリーちゃんは見よう見まねながらもハードくんの企画を元に、営業を始めました。


ー7ー

メモリーちゃんにとっては、何もかもが初めての経験でした。
知らないお客さんのもとに行って話をすることも、そこで製品の説明をすることも。
コピー取りとお茶くみくらいしかやったことのなかったメモリーちゃんにとっては、本当に何もかもが新鮮でした。
毎日、朝早くから夜遅くまで仕事をし、寝る以外の時間はほとんど存在しないに等しい生活を送りました。


ー8ー

そして、ある日、メモリーちゃんの努力は報われました。
メモリーちゃんの所に部長がやってきて言いました。
「よくやった、メモリーくん。君の努力はもう充分に分かった。結果も出た。今回の企画で充分過ぎる程の利益が上がった」
「そうですか。では、報酬として頂きたいものがあるのですが…」
「そうだな。臨時に特別のボーナスを出そう。君には、それを受け取る権利がある」
「いえ、私が欲しいのは、お金ではありません。私の願い、それはたったひとつ。あの人を元の環境に戻してください」
「あの人…。おうおう、ハードの事じゃな。よし、いいだろう。君の努力により、この企画の優秀さも認められたわけだしな」


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クビだけはまぬがれたものの、窓際族としてほとんどまともな仕事も与えられずに生活していたハードくんにも、復帰のチャンスが巡ってきました。
「よかったね、ハードくん。これで、前みたいにあなたの好きな仕事ができるようになったのよ」
「残念だけど、それは無理だ。もう僕は、昔の僕には戻れないよ」
そう言って、ハード君はメモリーちゃんの元から去って行きました。
「ハードくん…」
でも、メモリーちゃんは、もうハードくんのことを追いかけたりはしませんでした。
「さようなら、ハードくん…私はここで、この会社のために生きるわ。私は仕事のおもしろさを知ったの。それを犠牲にしてどこかへ行くことは、私にはもうできないの…」

こうして、2人は、全く別々の道を歩む事になってしまいました…


ー10ー

会社を出たハードくんは、ひとりポツリと橋の上に立っていました。
でも、その心は意外にも穏やかでした。
橋の上から見る川の景色は、ハードくんの目にとても新鮮に映りました。
「この川は、ずっと昔からこうして流れていたのに。僕はこの川の存在すら忘れてしまっていた」
ハードくんは、長い間、川の流れを眺めていました。
「そういえば小さな子供の頃、メモリーちゃんと、この川で一緒に遊んだりしてたよな…」
ハードくんは、急に思い出しました。
なぜ自分が一生懸命に勉強していたのか、一流の大学に行き、一流の会社に入ろうとしたのか、その理由を。
「すべてはメモリーちゃんのためだったのに…」
でも、もう何もかもが手遅れでした。
ハードくんは会社をやめ、メモリーちゃんはバリバリの仕事人間になってしまったのです。
「さようなら、メモリーちゃん。さようなら、美しき思い出…」


ー11ー

それから、数年の時が流れました…

ある春のうららかな日。
メモリーちゃんは、ひとり途方に暮れていました。
数年間、一生懸命に働いたメモリーちゃんでしたが、思うように成績をあげられずに悩んでいました。
「メモリーくん、何だねこの成績は。これでは、新しく入ってきた部下たちに示しがつかんとは思わんかね」
メモリーちゃんは、あの日の成功で主任に昇格になっていましたが、その責任が逆に重みになってしまっていたのです。
「アレは、ハードくんの企画書があって初めてあった成功だったんだわ。私はそんなコトにも気づかずに…」
しかし、運命は再び2人を引き寄せます。
それは、あの橋の上でのコトでした。


ー12ー

トンッ!
メモリーちゃんは、橋の上でうっかり人にぶつかってしまいます。
「ご…ごめんなさい。考え事をしていて…」
「メモリーちゃん?メモリーちゃんじゃないかい?」
それは、まぎれもなくハードくんでした。
「は、ハードくん!?ハードくんなの?」
「やっぱり!わ~、なつかしいなあ。メモリーちゃん、全然変わってない!」
「ハードくんの方こそ変わらない。でも…」
「でも?」
「なんだか、雰囲気は変わってしまった…いいえ、昔に戻ったみたい。子供の頃のやさしかったハードくんに」
時間は昔のハードくんを呼び戻していたのです。


ー13ー

「僕は今、区立の図書館でたくさんの本に囲まれて働いてるんだ。メモリーちゃんは?」
「私は、ずっとあの会社で働いています」
「そうか…正直、ちょっと意外だったよ。君があんな風にがんばれるなんて」
「そんな…」
「そうだ。今度ヒマがあったら、僕の勤めている職場に遊びにおいでよ」

数年前とは大きく変わってしまったハードくんを見て、メモリーちゃんは、気づきました。
「私は、どこかで人生を間違えてしまっていたのかも知れない」と。
ひとつひとつを取ってみれば、どれも正しい選択だったと思う。ハードくんを追いかけて、同じ大学に進学したコトも。同じ会社に就職したコトも。あとを引き継いでバリバリに仕事をしてきたコトも…
でも、大きな意味での「人生の目標」のようなモノはなかったかも知れないな、と。
そして、「自分の中で時が止まってしまっていたのかも知れない」というコトにも。


ー14ー

季節はいつの間にか、春から秋になっていました。
「行こう、行こう」と思いながらも、メモリーちゃんは、ハードくんの働いている図書館へはなかなか行けませんでした。仕事の忙しさにかまけていたせいでしょうか?
いいえ、きっと理由はそれだけではなかったのでしょうね。
いずれにしても、メモリーちゃんは、ある日ついに決心して図書館へと向かいます。


ー15ー

図書館には、一所懸命に働くハードくんの姿がありました。
それでいて、とても落ち着いていて、しあわせそうでした。
「ハードくん…」
そんなハードくんの姿を見て、メモリーちゃんの心の中で、何かが溶けていくのを感じました。
私は何をやってきたのだろうか?きっと、私はムリをしていたんだ。誰かの期待に応えようと、ほんとうは自分では望んでいない自分になってしまっていたんだわ。
そんな風に考えながら、ジッと立ち尽くしたままハードくんの姿を眺めているメモリーちゃんでした。


ー16ー

「あれ?メモリーちゃん」
ハードくんは、図書館の隅でジッと立ち尽くしているメモリーちゃんを見つけて、声をかけてきます。
「こ…こんにちは」
「来てくれたんだね」
「ええ…」
「ここには数え切れない程の本が並んでいるんだ。ぼくの仕事は、本を探している人たちに、その人がほんとうに求めている本を見つけだしてあげるコトなんだよ」
「そう…」
「ようやく自分の居場所を見つけた気がするよ」
「そうみたいね」
「メモリーちゃんは?」
「え?」
「メモリーちゃんは、ほんとに自分がやりたいコト見つかった?」
「わからないな。わたし…バカだから」
「そんなコトないよ!君はバカなんかじゃない!だって、君は教えてくれたもの。ただ知識ばかりを追い求めるコトが偉いんじゃないんだって!」
「…」
「ほんとうにやりたいコト、見つかったら教えてね」
「うん…」
そうは言ったものの、メモリーちゃんは自分がほんとうにやりたいコトが何であるのか、サッパリわかりませんでした。そんなものが存在するのかどうかすら…


ー17ー

そして、メモリーちゃんは、ついに見つけ出しました。
「あった!あったわ、私がほんとうにやりたいコト!やりたかったコト!!」

それから数日して、メモリーちゃんはハードくんと会います。
「ごめんね、突然呼び出したりして…」
「いいや。それより用事ってなに?」
「あのね…あのね、私ようやく思い出したの。私が、ほんとうにやりたかったコト」
「ほんとに!それで何だったの?君がほんとうにやりたいコトって」
「それはね…ハードくん、あなたのお嫁さんになるコトよ♪」

それから、2人は恋人としてつき合い始めました。
そして、2人が結婚するまでにそう長い時間はかかりませんでした。


ー18ー

さらに数年の後…
ある街のある橋の上で。
「ほんとうのしあわせって、なんだろうね?」
「さあ…でも、私は充分過ぎるほどしあわせよ!」
「僕もだよ」
「この子も、いるコトだし♪」
「そうだね」
橋の上には、夫婦2人と1人の子供の影が、夕日によって長く長く伸び落ちているのでした。


  ーENDー


noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。