子供を見守る事や信じる事の大切さ

子育てを振り返ると、わたしは結構な過保護で過干渉だったと思う。

そのせいで、いつの間にか息子は自分で物事を決めるのが苦手になっていた。

『どうして良いかわからない』
『なんて言えばわからない』
『どっちでもいい』

こんな感じに。

『あー。これはやっちまったな』と気づいたのは、わりと最近です。

こう思ってからは、一切の判断を息子にさせるようにしてみました。

『何で力になってくれないの!最悪!親の役目果たしてないじゃん!』
『どうせ、言っても力になってくれないでしょ。なら話す意味ない』とか色々その他諸々。

でも、ぐっと堪えて。ぐっと耐えて。

「一生、この子の横に居て、色々な選択や判断をわたしがしていくのか?」…あかん無理。

「この子が大人になった時、正しい判断が自分で出来なかったらこの子はどうなってしまうんだろう。」…あかん。捕まっちまう。

「わたしが死んだ時、正しい判断が自分で出来なかったら、この子はどうなってしまうのだろう。」…あかん。野垂れ死ぬ。

あの子の人生あの子のもの。自分で決めないと

そして私が子供の思いを押し除けて、指図する理由(過保護や過干渉)は、子供を信じていないからだと感じた。自分が子供の立場だったら悲しいな。

そう考えると暴言を吐かれてる時もぐっと堪える事ができた。(我慢するのは息子の代わりに判断したりを正しい選択を教える行為です。暴言については注意します。)

それでも子供を見守り、信じる事は勇気がいるしドキドキする。『頼む!こっちを選んでくれ!』と内心、祈っている。

子供を見守って、信じる事ってこんなにも忍耐力のいる事だったのか。

息子は今まで沢山の失敗をして傷ついてきた。だからそんな思いをして欲しくないという思いがあった。
それと親が口を出すのは、簡単で楽だし、言うことを聞いて良い子にしてくれてると助かる。っていうずるさも。

でもそれだと子供は自分を見失って、判断を放棄するようになる。

いかん。いかん。

『あなたはどうしたいの?』

『あなたはどう思うの?』

それからは、子供の希望や意見を聞く事を煙たがられても続けた。そして息子の考えを尊重するように努めた。

そうしていると、段々意思表示をするようになってきた。しめしめ。

ただ明らかに『それは違うじゃん』って感じた時は、自分の考えを述べるようにした。そして譲れない事は譲らない。

だって間違った事を教えて貰えないのも可哀想じゃないか?知らぬは一生の恥って。

そんなわけでお互いの思いが合致しない事も多かった。

第2ラウンド。チーン

『どうせまた自分が正しいって押し付けるんだろ!』
『結局、折れないじゃん。どうせ自分の思い通りにさせたいんだろ!』

何度も何度もぶつかった。もう数えられない位。体力使うわー。メンタルもボッコボコ。

私は『なんでこんな当たり前の常識が通じないんだ?なんなん?アホなの?イラつくーー』と思う事もしばしばだったが、心の声は封印した

これは幼い時に考える時間を与えず、正しい判断を教えなかった自分のせいだ。

出来るだけ平静を装い『なぜだめなのか』という理由を伝わるように自分なりに言葉を選びながら伝えた。でもその時は理解してもらえない事も多かった。

何度も何度も繰り返し。

大から小まで、選択や判断ってこんなに人生にあったんかよ!早く平和来い!って思ったものだった。

でも、こんな事を繰り返していたら、いつの間にか失敗しても自分で考えて、正しい選択をしようと頑張っている息子がいた。

伝わっていないと思うことばかりだったけど、どこかで考えてくれていたのかも。
そう思えると、失われた自分の体力と耐えた時間やメンタルが少し報われた気がした。

ここまでの道のり長かった。
でもスタートライン。
きっと、また失敗する事もある。
話が伝わらない事もきっとある。
大きな選択や判断をしなきゃいけない事だって。人生長いもの。

離れていても息子を信じて見守り、頼られた時には彼の思いを尊重しながら、正しい方向へ導けるようにわたしもお手本になるような大人に近づかなくては。

そしてたくさん肉食べよう。だって体力使うもの。

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