聖書:エデンに帰る物語 エデンの園②
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回はエデンの園シリーズの第2弾です!
生命の樹と知恵の樹(善悪を知る知識の木)が象徴するもの
聖書の生命の樹(セフィロト)とは?に書きました、生命の樹というのは神様ご自身を象徴するものとして考えることができます。
生命の樹
アダムとエバに対して神様が言われたように、知恵の樹(善悪の知識の木)以外を食べることは
神様の御心(知恵)に従うこと
を象徴します。
知恵の樹 (善悪の知識の木)
反対に、知恵の樹から食べることは
神様の御心に聞き従わないこと
ことを象徴します。
このように考えた時に、
知恵の樹は自我(エゴ)を象徴する
ものとして考えることができないでしょうか?
ヘブライ語(旧約)聖書の木と選択
ヘブライ語(旧約)聖書の登場人物の重要な選択の場面では木に関連するものが登場します。
ノアの木の方舟
神様に従う:
木の箱舟を作って乗る
自分に従う:
神様に聞き従わない
アブラハムとイサクの薪
神様に従う:
イサクを捧げる
自分に従う:
神様に聞き従わない
モーセと燃える茂み
神様に従う:
エジプトに戻ってイスラエルの民を解放する
自分に従う:
神様に聞き従わない
などなど、エデンの園の
生命の樹(神様に従う)
知恵の樹(自分のエゴに従う)
を連想させる場面が多く登場します。
エデンの園とゲッセマネの園
この人類の選択にイエス・キリストも試される場面が多々登場します。
荒野の誘惑もその一つの場面ですよね。
そしてその試練のクライマックスがゲッセマネの園です!
そうです!再び、園という場面で起きます!
神様の御心と自分の命が天秤にかけられます。
神様の願いを選択し続けたキリストはこの究極の場面でも神様の御心に聞き従います。
パラダイスとエデン
キリストは十字架上で次のように言われました
ギリシャ語でパラダイスπαράδεισος(パラディソス)の意味を調べると園という意味を持つことが分かります。
七十人訳聖書(ギリシャ語の旧約聖書)を見てみると
エデンという言葉がπαράδεισος(パラディソス)
に訳されている聖書箇所があります。(イザヤ書51:3)
さらに、パラダイスという言葉は
生命の樹(いのちの木)と一緒に使われています。
黙示録の新しいエルサレムの説明を見てみると、エデンの園と共通していることが多く見られます。(黙示録21章・22章)
つまり新しいエデン=天国
と考えることが出来ないでしょうか?
生命の樹になったキリスト
自らの命を捨ててまでも神様の御心に従って十字架にかかったイエス・キリスト。
ペテロ(ペテロの手紙第一2:24)・パウロ(ガラテヤ人への手紙3:13)はキリストの十字架を樹木(ξύλον/キシロン)として表現しています。
このことを考えると
キリストの十字架そのものが生命の樹を象徴していると考えることができないでしょうか(ヨハネの福音書15:5)。
イエス・キリストは神様の御心に従い十字架にかかることによってエデンに帰るための道となってくださったのではないでしょうか。
最後に
イザヤ53章を見てみると
満ち足りた状態であった7日目(エデン)を連想させるיִשְׂבָּ֔ע(数字の7とのことば遊び)をキリストは見たと記されています。
詳しくはこの記事を読んでください。
さらに、その知識によって多くの人を義とする。
生命の樹(神様の知恵)を連想させる言葉が記されていることに気づきます。
エデンの園シリーズまだまだ続きます!
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参照
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