聖書の生命の樹(セフィロト)とは? エデンの園①
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回は聖書の大きなテーマである木・人間シリーズの第1弾です。
古代レバントにおける生命の樹
海の獣(竜)同様、生命の樹(いのちの木)は古代レバント(現代の中東周辺)の文明によく出てくる題材でした。
メソポタミア
エジプト
実際にイスラエル・ヨルダン・エジプトなどの国々に行ってみると、荒野や砂漠が広がり、緑が希少なのがわかります。
現代の中近東で木というものが貴重かつ重要なものであるのならば、古代でもそうだったと考えられます。
木には食物である果物が実る→木は命を与える
日陰を作る→暑い天候から守ってくれる
水(雨)によってできる→降った雨によって誕生した木は天からの贈り物
一般的には高い場所に行けば行くほど木があります→古代の考え方で高い場所は神様と繋がっている(又は臨在する場所)という認識がある
古代レバントの人々が木を神々や聖なるものとして崇めたということにも納得できます。
聖書の生命の樹は神様の臨在そのものを表す
聖書に登場する生命の樹はエデンの園の中心にありました。
神様が臨在された幕屋・エルサレムの神殿と同じ中央(中心)に生命の樹があったわけですが、このことについては、別の記事でエデンの園とエルサレムの神殿の構造を対比します。
つまり、聖書の生命の樹は命の源である神様の臨在を表すように感じます。
その生命の樹(神様)を食べるという行為が、命の源である神様から命をいただくことを象徴するわけです。
また、この神様(命の源)を「食べる」というのが、最後の晩餐にイエス・キリストが告げられた聖餐式に繋がっているように感じます。
キリストの
という言葉も、エデンの生命の樹を連想させるように感じます。
それはなぜなら、その後、イエス・キリストが木(十字架)にかけられ、命の源になったからです。
ヘブライ語で木(エッツ)の意味
ヘブライ語でעֵץ(エッツ)は木・植物に関連する全ての言葉に当てはまると学びました。
例えば、切られた木(木材)もעֵץ(エッツ)として表現できます。
このことに注目して聖書を読むと、重要な場面で木が用いられているということに気づきます。
ノア
洪水からノアの家族を守る箱舟が木から出来ている(創世記6:14)
聖書で初めて祭壇を築くノア(創世記8:20)
(その祭壇の燃料が箱舟の木であったと考える聖書学者もいる)
アブラハム
神様に示された地に着いたアブラハムは、モレの木(創世記12:6)で神様と出会い、祭壇を築く
神様にイサクを捧げる時に、イサクに薪を背負わせる(創世記22:6)
また、雄羊が角を藪に引っかけている(創世記22:13)
モーセ
パピルス(木)でできたカゴの中で流される(出エジプト2:3)
燃える柴で神様と出会う(出エジプト3)
苦いマラの水に木を投げ込むと、水が甘くなる(出エジプト15:25)
杖をもちいて数々の奇跡が行われた
契約の箱・神殿
アカシア材によってできた箱
杉でできた神殿(列王記第一6:15)
偶像礼拝をするイスラエルの民
アシェラ像(木の柱)を高い場所に置いて崇拝した
イザヤ
来たるメシア(救世主)をエッサイの根から出てくる新芽として表現する(イザヤ書11:1)
エレミヤ
来たるメシア(救世主)を正しい若枝として表現する(エレミヤ書23:5)
ナタナエル
いちじくの木の下にいたナタナエル(ヨハネの福音書1:48)
イエス・キリスト
木に関連した様々な例え話をする
種を蒔く人(マタイの福音書13:1-8)、からし種(マルコの福音書4:30-32)、ぶどう園と農夫(マタイの福音書21:33-46)などイエス・キリストがブドウの木で私たちはその枝である(ヨハネの福音書15)
イエス・キリストの十字架
ペテロ(ペテロの手紙第一2:24)・パウロ(ガラテヤ人への手紙3:13)はキリストの十字架を木(ξύλον/キシロン)として表現している。生命の樹から食べる権利をくださる(ヨハネの黙示録2:7, 22:2)
などなど聖書においてעֵץ(エッツ)木はとても大きなテーマになっています。
最後に
木に注目しながら聖書を読むとまた面白い読み方ができます!
エデンの園シリーズまだまだ続きます!
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参照
今回の記事はBible ProjectのTree of LifeというポッドキャストシリーズとMatthew SleethのReforesting Faith: What Trees Teach us about the Nature of God and His Love for usから学んだものです。
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