エデンとアブラハム エデンの園③
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回はエデンの園シリーズの第3弾です!
聖書:エデンに帰る物語に書きました、聖書の物語にはエデンに帰るという大きなテーマがあります。
そして、そのテーマは様々な聖書の物語の中で繰り返され、ことば遊びなどによって創世記1-3章のエデンの園の物語を連想させます。
エデンの園を連想させることば遊びの例の一つであるアブラハム(アブラム)とサラ(サライ)の物語に注目します。
モレの樫の木
神様の声に聞き従い、アブラハムは示された地に入ってからすぐにモレの樫の木で初めて神様に出会います。
まず、ここで注目したいポイントは神様と出会う前に、
神様の声に聞き従ったアブラハムの行動です。
木で神様と出会うということは
聖書の生命の木(セフィロト)とは?にて解説しました、
エデンの園における生命の木(神様自身の臨在)を連想させます。
アブラハムとエジプトのファラオ
モレの木での出来事の後に飢饉が起きたため、アブラハム達がエジプトに下ったということが聖書に記されています。
ここで注目したいポイントは
神様の声に聞き従い続けることができないアブラハムとサラの姿ではないでしょうか?
アブラハムはその示された地に留まることなく(声に聞き従うことができず)、エジプトへと行きます。
そこでアブラハムはエジプトの人々を欺くことになります。
このアブラハムの行為、
エデンの園の蛇を連想しませんか?
実際にそのアブラハムの欺きによって、ファラオとその宮廷にわざわいが起きます(創世記12:17)
ロトとソドム
神様に「親族、あなたの父の家を離れて」と言われたにも関わらず、親族であるロトを連れてきたアブラハム。
その結果、ロト達はソドムに行くことになります。
その主の園(エデンの園)のような場所で堕落した人間の物語が再び描かれることはとても興味深いことです。
ハガルとイシュマエル
アブラハムとサラは神様の声を聞き従い続けることが出来ず、自分たちで子孫を残す方法を思い付きます。
それは、エジプト人のハガルを通して子孫を作るということです。
この場面でもエデンの園を連想させることば遊びがあります。
アブラハムの「あなたの好きなようにしなさい」という言葉が
ヘブライ語でעֲשִׂי־לָ֖הּ הַטֹּ֣וב בְּעֵינָ֑יִךְ
直訳すると「あなたの目に良いことをしなさい」
エバが神様の声に聞き従わず、知恵の樹から取る場面を連想させます。
この結果、サラはエジプト人であるハガルを苦しめることになります。
この苦しめるという言葉が
その後のエジプトがイスラエルの民を苦しめる時に使われている言葉(語根ע.נ.ה)と同じになっているのは非常に興味深いです。
イサクの燔祭
アブラハムの物語のクライマックスに来ました。
それは、愛する息子のイサクを神様に捧げるという試練の場面です。
モレの樫の木とモリヤ
まず初めに注目したいポイントはモレとモリヤのことば遊びです。(文字の類似性に注目ください)
モレ=מֹורֶ֑ה
モリヤ=מֹּרִיָּ֑ה
アブラハムが示された地に行き、はじめて神様と出会ったモレ(מֹורֶ֑ה)を連想させるモリヤ(מֹּרִיָּ֑ה)で究極の試練が起きます。
知恵の樹を連想
エデンの園の場面を連想させるポイントが4つあります。
1.
エバが知恵の樹から取った(語根ל.ק.ח)時と同じ言葉「וַיִּקַּ֨ח」がこの箇所に使われている(創世記3:6)
2.
木(薪=知恵の樹を連想)をアブラハムは取って(語根ל.ק.ח)いく
3.
刃物(הַֽמַּאֲכֶ֑לֶת)という言葉がヘブライ語の「食べる」の意味を持つ動詞(語根א.כ.ל)と同じ語根で、エバが知恵の樹から食べる場面が連想される(創世記3:6)
4.
アブラハムとイサクの二人(アダムとエバの二人を連想)が神様の御前へと進む
ここで注目したいことは、アダムとエバが知恵の樹から実を取る場面が連想されていることです。
ですが、アブラハムはそれらを神様に捧げるために取っていきます。
ここがアブラハムの決定的な違いです。
生命の樹を連想
エデンの園の場面を連想させるポイントが3つあります。
1.
知恵の樹(עֵ֗ץ הַדַּ֨עַת֙ טֹ֣וב וָרָ֔ע)のヘブライ語にも使われている「דַּ֨עַת֙」(語根י.ד.ע)とは対照的に神様が知った/分かった「יָדַ֗עְתִּי」と記されている。
→自分の自我(エゴ)を表す知恵の樹からではなく、アブラハムが神様の知恵に従ったことを表す
2.
知恵の樹から食べたアダムとエバが神様を恐れた「וָאִירָ֛א」(語根י.ר.א)と対照的にアブラハムが神様を恐れた「יְרֵ֤א」ことを神様が知る。
→アダムとエバの神様の恐れ方とアブラハムの神様の恐れ(畏れ)方が対比されている
3.
薮(別の木)に引っかかっている全焼のささげ物の牡羊
→この薮(別の木)はアブラハムが生命の木(神様の声)から取ることを象徴するのではないでしょうか?
最後に
いかがでしたでしょうか。
アブラハムの物語だけでも多くのエデンの園を連想させる場面があります。
常に生命の樹(神様の願い)か知恵の樹(エゴ)のどちらから取るかが問われています。
エデンの園シリーズまだまだ続きます!
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参照
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