見出し画像

ショートショート(と、朗読) サムトの婆 【SAND BOX 1099】

ー「みんなに会いたかったから」ー

 昔、遠野の寒戸という所にある家で若い女性が神隠しにあった。三十年ほど行方不明のままだったが、家の親戚の集まりがある日に、ふらりと帰って来たそうだ。すっかり老いさらばえた姿だった。
 どうやって帰って来たのかと家の人が問うと、「みんなに会いたかったから」と笑ったそうだ。そしてまたふらりとどこかに消えてしまったらしい。
 その日は風の強い日で、だから、その地方の人は今でも風の吹く日を「サムトの婆が帰って来そうな日」と言うらしい。

 今年の正月は久しぶりに実家に帰った。姉の子たちが騒がしく、父も母もてんやわんやだ。家事を手伝いながら、今更、この家の主役がもう自分ではないことに気がついて、独り身のまま歳だけとった自分を、なんだか恥ずかしく思った。
「来るの大変だったでしょ。仕事、忙しかったんじゃない?」
 食器を洗いながら母が言った。私は洗い桶から皿を一枚取って拭きながら、小さな声で答えた。
「みんなに会いたかったから」
 その夜は泊まらずに戻りの電車に乗った。海沿いのふるさとの街に、強い潮風が吹いていた。

イラスト 悠紀【丸大商店】

SAND BOX 1099 No.036

 今月は、文学フリマ岩手に参加しました。というわけで、岩手にゆかりの深い柳田國男の「遠野物語」にちなんだお話をお届けいたしました。

 最後のお話のもとになった話はこれです。

八 黄昏たそがれに女や子供の家の外に出ている者はよく神隠かみかくしにあうことは他よその国々と同じ。松崎村の寒戸さむとというところの民家にて、若き娘なしの樹きの下に草履ぞうりを脱ぬぎ置きたるまま行方ゆくえを知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家にあつまりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡あとを留とどめず行き失うせたり。その日は風のはげしく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトのばばが帰って来そうな日なりという。

 神隠しにあった女性が帰って来る話。「きわめて老いさらぼいて」ってわざわざ言っているところに悲しさというか、若くはない女性として身につまされるものがあります。
 山男に攫われるなどした人がそのまま攫った山男と結婚してしまい「帰れない」と出会った人に言う話は結構あるのですが、この女性は帰れているのに、また去ってしまいます。他で子供ができたとか、理由は他にあったのかもしれないけれど、「きわめて老いさらぼいて」たら、私も家を後にしてしまうかもしれません。
 ムーミンシリーズに「モラン」ていう、体が冷たすぎて草木を枯らしてしまうので、みんなから嫌われている孤独な女性の妖怪(?)がいるんですが、「サムトの婆」も同じような悲しさを感じます。できればみんな、化け物になりたくないものね。

 今月のイラストは4月にもお願いした悠紀【丸大商店】さんに描いていただきました。
 悲しくてお腹痛くなりそう(泣)。でも、温かい場所にいられなくて帰る時って、こんな感じだと思います。そう。こんな感じ。

 悠紀さんは、普段はご自身のお住まいになっている大船渡をPRするYouTubeチャンネルなどを運営しておいでです。地元のお酢を紹介したり、お菓子を紹介したり、イベントを紹介したりの楽しいチャンネルです。

 朗読の水上洋甫さんは宮城県気仙沼市のご出身。お二方とも東北の方です。
 男性なんですけど、話の主体が声で女性だなって、わかるのすごいと思う。
 文学フリマのご準備もあってお忙しかったであろう6月に、企画にご参加いただいて大変感謝しています。どうもありがとうございました。お疲れ様です!

 前回のSAND BOXはこちら。

 全体はこちらのマガジンにまとめています。