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エッセイ インディアナ、インディアナ、インディアナ【レアード・ハント「インディアナ、インディアナ」感想】

 高校生の頃THE BLUE HEARTSが好きだった。姉のCDを聞いて知ったアーティストだったのでクラスで話題になったりということもなく、私の鼻歌をたまたま聞いてくいついてきた友人(彼女も兄のCDで知ったそうだ)ただひとりが同好の士だった。
 お互い話す人もいないから休みの時間はTHE BLUE HEARTSのことばかり、歌詞がどうとかライブがどうとか話すのではない。どちらかが歌い始めて、もう片方がそれに続いて、笑いながら一緒に歌う。それで時間がすぎていった。
 
「リンダリンダ」という曲があって、二人で歌う定番だった。「ドブネズミみたいに 美しくなりたい」から始まる、CMに何度か使われているから知っている方も多いと思う。歌詞の半分くらいは「リンダリンダ」の繰り返し。ここの部分をふたりで掛け合いで歌うのが楽しかった。「リンダリンダ」ってなんのことだろうと思って友人に聞いてみると「美しい、とかそういう意味だよ」と言っていた。友人は兄に色々教えてもらっているらしかった。ネットで調べてみると歌詞を書いた甲元ヒロトの造語で確定の解釈はないようだ。でも、どうやら概ねあっているし、昔の私も今の私もそう思っている。

「リンダリンダ」の記憶が強すぎて、二回繰り返しの単語を目にするたびに「リンダリンダみたいだ」と思う癖がついている。「つまずく本屋ホォル」さんから来た定期便の袋をあけて出てきたの本のタイトルを見てもやっぱり思った。リンダリンダみたいだ。

 レアード・ハントの「インディアナ、インディアナ」はノアという農場に住む男を書いた小説である。派手なことは起こらない。過去にはいくつか起こったようだが、思い出の中でしか語られないし、その語りにしても、何が現実なのかはっきりとはわからない。ノアの見えるものや聞こえること、考えることに小説をとおして繰り返しふれていくうちに、なんとなく感じるだけだ。本のカバーの後ろに翻訳者である柴田元幸の訳者あとがきが引用されている。下記のようなものだ。

 事実は見えなくても、ノアの胸に満ちる強い喪失感は、一ページ目からはっきり伝わってくる。その静かな哀しみが、ノアと猫たちとのどこかとぼけたやりとりや、ノアの父親ヴァージルのやたらと衒学的な物言いなどから浮かび上がる淡いユーモアと絶妙に混じりあい、それらすべてが、文章教室的規範から逸脱することを恐れない自在の文章で語られることによって、この作品を、昨今の小説には稀な、とても美しい小説にしている。

「インディアナ、インディアナ」(訳者あとがき)

「美しい小説」ってなんだろう、と思うことがある。「美しい文章」でもいい。他人に紹介される「美しい文章」が、実は好きじゃないことが多い。突飛な表現や過度の装飾が少し苦手なのだ。なんというか、嘘をついているな、と思ってしまう。残念ながら(すごく残念ながら)文学的な人間ではないのかもしれない。

 最近、すごく美味しいオイスターソースをいただいた。ご存知だとは思うがオイスターソースは牡蠣のエキスでできている。牡蠣をソースにするだなんて、贅沢な! そう思っていた私は一人暮らしの台所で一度もオイスターソースを買ったことがなかった。身に余る調味料だと信じていたからだ。身に余る調味料ってなんだ。

 しかし、もらってしまったのなら仕方がない。届いていきなり蓋をあけた。小さい頃母親がオイスターソースを使い切る前にカビさせたのを目撃したことがあって、不用意に開けるべきではないということは重々承知していたが、我慢しきれなかった。ひと匙なめて広がるうまみ。「オイスターソースだ!」私は言った。同じようにいただいた方に報告した。「結構なオイスターソースをいただいて!」

 それからくださった方が辟易するほど『オイスターソースが、オイスターソースが』を繰り返し、自分の感動をどうにか伝えた(つもりになった)。何が言いたいかというと、自分は何かに心動かされたとき、比喩を駆使した表現は出ない、ということだ。単純な人間なのである。

 高校の頃THE BLUE HEARTSが好きだったのも、きっとそのあたりにあるのかもしれない。ヒロトの歌詞は難しい表現を使わない、けど、美しいと私は感じる。美しいってなんだろう。

 ノアは両手をストーブの火にかざす。もう少しあとになって、あたりが明るくなり、太陽が新雪の青い緑を焼き去りはじめたら、ノアは鋸を手にとり、小屋を出て、畑の先まで行くだろう。でもいまはまだ外は暗い。そして寒い。(後略)

レアード・ハント「インディアナ、インディアナ」

 「インディアナ、インディアナ」の冒頭はこのような文章で、特別に美しい光景を書いたものではないし、華やかな装飾もない。でも私はこういう文章が好きである。美しい、と思っているのかもしれない。

 いとしいオーバル

 きみのいうとおりで、こうやっててがみを書くのはずいぶん時間がかかります。いいたいことをヴァージルがかわりに書いてくれるといってくれたのですがやっぱりぼくががんばって書いてなおしてもらうほうがいいとおもいました。

レアード・ハント「インディアナ、インディアナ」

 主人公ノアは「オーバル」と呼ばれている女性としょっちゅう手紙のやりとりをしている。ノアは成人男性だが、引用した手紙からも感じられるように文章をすらすら書けるようなタイプではない。実は物事の認知に少し難も抱えている。
 ノアの手紙は美文ではないけれど、ノアがオーバルを大切に思っていることはよくわかる。普通の手紙よりもわかるくらいだ。こなれすぎた美文を見ると、なんとなく胡散臭く感じてしまうのはどうしてだろう。ノアの父親ヴァージルはノアにこんなことを言っている。

(前略)そしてこれもまた、わしがこれまで知ってきたことと一致する。すなわち、いままでいろんな歴史や寓話を読んできたが、結末に至り、話をそのままの場所にーーすなわち闇のなか、薄闇のなかにーー置き去りにもせず、かつすべてを小綺麗にまとめようもしない話には、いまだかつて出会ったことがない。そういうこと自体、小綺麗ではない。そしてどうしたら小綺麗にできるのかわしにはわからない。

レアード・ハント「インディアナ、インディアナ」

 この話のあと、ヴァージルはノアに懺悔のように昔の打ち明け話をしだす。前置きにこのことを話すこと自体、やっぱり一種の懺悔だろう。誰かに何かを話す時、いや、話さなくても、自分の記憶や思いのとりとめのなさに、情けなく、申し訳ないような気分になることがある。

 いわば「小綺麗に」したいのだ。多分。ほんのささいなことでも。カッコ悪いことに小綺麗にまとめたいと思っている。少なくとも自分は。でも実際のところ、毎日の出来事はてんでばらばらに起こるし、浮かんでは消える感情は突拍子もないし、全然小綺麗なんかじゃない。もし小綺麗に何かを話しているとしたら、何らかの嘘や脚色のたまものでしかない。少なくとも私の場合は。

 多分、私は嘘がないと感じる文章を美しいと思うのだと思う。「嘘がない」は「誠実である」というのとはちょっと違う。真実としての嘘・本当ではなく(そもそも小説なんだから本当ではない)つくろっていない、とか、そのまま世界を受け止めているとか、そういう感じのものだ。

 ノアが旅先でシャンクスという男性と話す場面が好きだ。

 インディアナはアメリカで最高の州だよ、とシャンクスは言い、いまこうしているとそれほどよくも思えないけどなどとノアは言って、どうしてそう思うのかと訊いた。
 どうしてインディアナがアメリカ最高の州か?
 そう。
 シャンクスは肩をすくめた。
 さあなあ。故郷だからかな。ここから出られるわけじゃないし、だいいち、いい名前じゃないか、そうだろ?
 インディアナ、とノアは言った。
 インディアナ、とシャンクスも言った。
 焚き火が消え、また燃えた。コウモリだろうか、何かが木々のあいだを抜けていくのが見えた。(後略)

レアード・ハント「インディアナ、インディアナ」

 結局、何かが言えているわけじゃないけど、二人はインディアナが好きではあるのだと思う。たいていのことはうまく言えないし、何を言おうとして言うのか自分でも理解できない。私はそんなとき、同じ言葉ばかりを繰り返してしまう。繰り返した先に答えが見つからなくてもかまわないし、そこまで思いがあるものは小綺麗にまとまってもくれない。

 もしかしたら、毎日書いているおはなしすら、自分がわからないことを繰り返し小綺麗にまとめようとしているだけなのかもしれない。たまにそう思う。繰り返し繰り返しか書いて、その先に何があるのかはわからない。
 わからない。小綺麗にまとまらなくてもいいのかもしれない。でも繰り返したいのだ。放課後に友達と歌っているみたいだ。リンダリンダ。リンダリンダ。リンダリンダリンダ。

エッセイ No.53

 埼玉にある本屋さん「つまずく本屋ホォル」さんの「定期便」をとっています。毎月一冊、店の方が選んだ本が小さな紹介文つきで届くしくみです。どんな本が届くのかな、と楽しみにしながら、先月以前に届いた本の感想をこっそり言うエッセイです。

エッセイに登場したもの

「インディアナ、インディアナ」
レアード・ハント 著  柴田元幸 翻訳
2023年3月 twililight

 朝日新聞出版から2006年にされ、絶版になっていた小説がtwililightから復刊したもの。

哀しみを抱えるすべての人へ。
2006年刊行の「とても美しい小説」を復刊しました。

と、リンク先の紹介文にあります。


「リンダリンダ」THE BLUE HEARTS

80年代の日本を代表するロックバンドTHE BLUE HEARTSのメジャーデビュー曲。思い出の曲です。

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