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「猫ケ洞の王さま」第5話 【ピースパーク】

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 墓、また墓。見渡す限り墓地が広がっている。
 道沿いに案内板らしきものが見えたので近寄る。『平和公園配置図』とある大きな木の板に、現在地と道路を示した地図が書いてある。道路の間の土地は細い区画に分けれられて、そのひとつひとつに寺の名前が描いてあった。

 大学の頃、ラクロス部の同級生が「ピースパークにランニングに行ってくる」とよく言っていたのを思い出した。「『平和公園』だから『ピースパーク』」だとかなんだとか。墓地も含めた公園だとは聞いていたが、こんなに広いとは思わなかった。

 案内板の左側に広がる大きな池がさっきの魚釣りの人の池だろう。『猫ケ洞池』というらしい。動物愛護センターの隣にあるのにぴったりの名前だ。赤い矢印の現在地と比較して、自分の歩いてきた道を確かめる。道路を渡って、まっすぐ行ったところにバス亭の印があった。地図アプリが見えない以上、あまり歩き回らないのが賢明だ。曲がる順番を覚え、道路をわたる。交差点の一角に「つつじ」という文字と花の絵がある道路標識のようなものがあった。道路から墓地を隔てる石垣と墓石しかないその区画に植物が植っている様子はない。多分迷わないための目印だろう。ショッピングセンターの駐車場にあるやつだ。それだけ、ここの墓地が迷いやすいんだろうな、と思うと不安になった。

 地下鉄の本山駅から大学に通っていた頃、大学に提出する書類を見て、立地住所が「不老町」という名前であることを知った。変な住所だなと思った。なんだか、辛気臭い。本山駅の隣の駅は大きなお寺が有名で、近くに「極楽」という場所もあるのだと地図で見て知っていた。なんだかその手のものに溢れているなあ、と思っていたけど、少し奥にこんなに大きな墓地だなんて、ずっと知らなかった。

 戦後に市内のお寺を集めてできた場所だと、誰かに言われたのか、テレビで見たのか、朧げながら聞いたことがあるような気がする。こんなに広くちゃ墓参りも大変だろう。石垣で段々に固められた坂道を、どこの誰かも存じ上げないお家の墓石を眺めながら登るのは変な感じだった。よく見ると墓石にも色々ある。長方形なの、正方形なの、丸いの。中には由緒ありげな、大きくて古い墓石もあるし、何かの看板が立っている墓石もあった。有名な人なのかもしれない。

 バスのあるはずの方角に向けて墓地の坂を登ると、まだ、眼下に墓地が見えた。あの案内板の示す場所の大きさを見誤っていたかもしれない。どうしようもないので下る。よくもまあ、こんなにお墓があるものだ。

 墓参りと思しき人は見当たらなかった。こんな遠くまで、なんでもない日にくる人はいないのかもしれない。お盆か、出なければ命日などの特別な日だろう。他所のお墓にちょっと寄り道、なんてこともしそうにないから、普段この場所に来る人もあまりないのだろう。市内とは思えないくらい静かだった。確かに、この静けさは平和なのかもれない。

 坂を下り切って、辺りを見渡す。バス停が見つかる気配はない。

 ふと、ここ幽霊のことを考えた。ここに幽霊は出るのだろうか。出るとしたら、こんなにお仲間がいるのだから、きっと賑やかで楽しいだろう。私も仲間入りを果たすかもしれない。ここの墓地で迷って朽ち果て、二度と家に帰れない幽霊に。

「やあ。さっきのお嬢ちゃん。今度は墓参りかね」
呼び止められて振り向くと、さっきの魚取りのおじさんが立っていた。結局釣れなかったのか、竿だけ肩に担いでいる。私と同じ道を歩いてきただろうに、この暑い中汗ひとつかかないで涼しい顔をしている。浴衣ってそんなに通気性がいんだろうか。
「バス停、この辺にありませんか?」
「バス停?」
「道に、迷ったんです」
「猫の次はあんたが道に迷ったのかね」
痛いところをつかれた。恥ずかしい。ずけずけとした物言いをする人だ。でも今は仕方がない。非常事態だ。
「そうです。私が迷ったんです」
「最近の人は道に迷わんって聞いとるけど。災難だったね。あっち」
おじさんが、竿で墓地の向こうを指した。
「ここの道、まっすぐ行けばそのうち広い道に出るよ」
「ありがとうございます」
丁寧にお礼を言った。これで墓地を彷徨う幽霊にならずにすむ。おじさんが、うんうんと嬉しそうに頷いた。ふと気になって聞いてみる。
「おじさんは、墓参りなんですか?」
「わし? わしは、家に帰るとこだよ」
「『家』に?」
 おじさんの背後に広がる墓地を見た。相当の距離を歩かないと住宅地はないように思う。なんだか面倒くさそうなので、それ以上聞くのはやめることにした。
「気をつけてくださいね」
「お嬢ちゃんも。困ったことがあったら、呼びんさい」
「『呼ぶ』って?」
「わしでよかったら相談に乗るよ。猫好きのよしみだ。名前呼んでくれりゃあ、……ええと。なんだったっけ……」
 おじさんが腕を組んで首を傾げた。まさかこの人、自分の名前も忘れたんだろうか。
「『夏』……。『秋』……。ああ。そうだ。『ハル』! 『ムネハルさん』って、そう呼びやあ。飛んでいくから」
「ありがとうございます」
 私は笑って頭を下げた。方向を変えて、竿でさされた方の道を進んだ。私は見ていたのだ。さっき首を傾げたおじさんが、近くの小さな立札の文字をちらりと確認したのを。お墓のイラストの横に赤い矢印で『徳川宗春の墓』と書いてあった。いくら自分の名前がおもいだせなかったからって、適当にも程がある。

「猫ケ洞の王さま」第5話