エッセイ 盛岡は橋の街(盛岡旅行記その1)
昨年の12月に盛岡を舞台にしたおはなしを書きまして、「スキ」を押すと東北にゆかりのあるお菓子の写真が日替わりで出る仕組みになっていました。このお菓子、実際に私が盛岡で買った(一部いただいた)ものです。そうです。昨年の秋頃、文学フリマ岩手への参加とは別に、もう一度改めて盛岡に観光に行っていました。一度観光した街をもう一度訪れるのは、少し街と親しくなったような気がして嬉しい気持ちになります。人付き合いと似ているかもしれません。会うたびにほんの少しだけ、前より仲良くなったような気持ちに心躍ります(こちらの片思いだとしてもね)。
私にとって、盛岡は橋の街です。電車で訪れて盛岡駅を降りて、ホテルや観光地に行くのに何度も何度も橋を渡ることになったから。
これは駅のある地区とホテルや飲食店のあるアーケード街、もう少し行くと盛岡城(公園)や県庁など公的機関のある地区との間を流れている北上川です。一番近くの都会が名古屋の東海民は、市街地にこんなに大きな川が流れていること自体にすごい驚きがあります。川べりに「材木町」の地名があるので、この川に木を流して発展したのかなあ、と想像はするものの、「堀川(名古屋にある岐阜方面から材木を流していた川です。市街に流れています。)こんなに雄大じゃないよ!(川縁がなく、流れも緩やかで綺麗な川ではありません)」とついつい橋の下の流れを見てしまいます。
川を渡ると、宮沢賢治の生前唯一の童話集「注文の多い料理店」を発刊したことで知られる「光原社」や、それを含む商店街があります。材木業で賑わって→商店が発達した、という順番でしょうか。
これは、川を渡ってさらに奥、盛岡地方裁判所にある石割桜です。本当に岩の割れ目から生えているんですよ。
名古屋の堀川もそうであるように、街に流れる大きな川は、昔の街の中心であったお城の守りでもあるようです。裁判所や庁舎も、お城の近くに作った、という経緯があるはずで、時系列にすると
①川(に囲まれた土地)がある→②お城ができる→③材木が運ばれ商業が発展する→④政治体制の変化でお城の近くに県庁などが建つ→⑤駅ができる→⑥材木業が振るわなくなった後も、駅を通じて街が発展する→⑦新幹線が通る
みたいな感じ、ですかね?(今度訪れた時、もりおか歴史文化会館で確認しようっと)
これらはまるっきり通りすがりの旅行者の想像ではあるものの、駅から出てきた私は⑦→⑤→④と街を見ていくことになるわけで、橋を渡った後、だんだん昔にタイムスリップしているような面白さがあります。川で隔てられた分、平地で繋がった場所より開発の速度にズレができるのだと思う。
駅から北上川を隔てたお城のあるエリアの一番奥には更に中津川という川が流れています。
北上川より細く穏やかな印象です。渡るとすぐにクリスマスのおはなしにも登場してもらった「岩手銀行赤レンガ館」が見えます。
こんな立派な建物があるのも、「駅が来る前はここが街の中心だった」名残なのでしょう。そして、駅から川が二つあるおかげ(?)で、ここにはもう一段階、古い時代の名残が残っている印象です。
例えば、これが川を一つだけ渡ったお城のあるエリアのメイン通り
歩いて渡るのが大変なほど広い道でした。(雪もあるし、あんまりみんなが歩いてフラフラしないのかもしれませんね)
でも、赤レンガ館のあるエリアの古い商店のある通りはこんな道幅です。
時代のある繁華街って感じ。
この辺りには明治26年創業の関口屋菓子補さんや
江戸時代後期から増改築を重ねてきた森九商店さんなどが今も現役で商いをなさっています。
文学フリマで訪れた時はすぐに寝込んだせいもあって会場のあるお城近くと駅の往復しかできず、こうした街の時代ごとの層のようなものを味わうことができませんでした。再度訪れて、とても良かったと思います。この辺りの古いものは大きな観光名所で、多分、盛岡の街としては名刺をくれたくらいのレベルのはず。
次行った時は、もう少し、仲良くなれたらいいな。
※この盛岡旅行記は後2回くらい続きます。次は多分来週です。