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2月27日:目に見えないものを説明できなくなった大人たち。

おはようございます。

今日はじめて履いたズボンが、娘とローラーコースターで遊んでる間に破けました。服は破けましたが楽しかったのでヨシとします。へいなかです。

#娘の思い出はカネでは買えぬ  

さて今日は、いつも以上にちょっと角度のある話をします。結論は「言語化できない大人のせいで自閉症気味な子が増えてんだよ」です。

エビデンスのない、極めて個人的な洞察の話です。ご了承ください。

・・・・・・・

1)発達障害「自閉症」のよく言われる特徴

ASD(自閉症)の子はモラルやマナーを理解しにくい

などと言われます。

明文化されたルールには病的なほどきっちり従うのに、「おもいやり」や「配慮」がわからない。それらを考慮した行動が取れない。

結果、学校などの集団生活場面で意図せずして周囲に不快感を与え、学校の先生からは「扱いづらい子」として扱われたりする。

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2)「発達障害」の定義(念のため確認)

現在の日本での発達障害の定義はスーパーざっくり言えば「先天的な脳の特性による社会性の困難」とされています。

先天的なもの

なのだそう。

ここに少し誤解があると思うのですが、人の不適応行動(先程挙げた「おもいやりに欠ける」など)の原因がすべて先天的なものというわけではありません。

脳の働きに偏りがなくても、後天的な要因で不適応行動が起きることはいくらでもある。

ただ

脳のどこかの機能が十分に働きにくく、かつそれが先天的なもので、それによって不適応行動が起きている場合に「発達障害」と診断されるということです。

つまり

後天的な要因で「おもいやりが理解できない子」が育った場合には、医学的には「自閉症」と診断されることはないということ。

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3)異論

でもさ…

そもそもその子の脳の特性が先天的なものか後天的なものかって、厳密にはわからないよね。

だって生まれてすぐに脳波測定してるわけじゃないんだもん。

結局ね…発達障害の定義における「先天的な」の文言は「親の子育て」への批判を回避するためのものだと僕は思ってる。(発達障害が子育てのせいだと言いたいわけじゃない)

そして

先天的だろうと後天的だろうと、服用する薬の違いはあるのかもしれないけれど、僕のやることは基本的に変わらないと思っている。

つまり

医学的な意味での発達障害かどうかは、僕にはあまり関係ない。

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4)もうすぐ本題

さて…

「おもいやり」や「配慮」という感覚がわからない子がいる。それによる不適応行動が何歳ごろからどの程度発生しているか…によって「先天的」と判断されれば、もしかしたらその子は発達障害「自閉症」と診断されるだろう。

でもそんなことは置いといて…

そもそも「おもいやり」や「配慮」って人は生まれたときから持ってんのか?

んなわけないんですよ。

おもいやりや配慮どころか、感情表現だって学ぶものなんだから。ヒトは生まれた時には「快」と「不快」しか区別してない。それがだんだん分化して様々な感情に分かれていく。

そこには周囲の人がかけてくれる言葉の影響が非常に大きい。もちろん言葉以外のコミュニケーションの影響も大きい。

ちなみに…

世間が「愛情不足」と表現する乳幼児期のノンバーバルで受容的なコミュニケーションの不足によって数年後に発症する不適応行動は「愛着書害」と診断される。とってもざっくり言うと。

でもここでは発達障害か愛着障害か…という議論すらどうでもいい。

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5)本題

さて…

あなたは「おもいやり」や「配慮」を4歳児にわかるように説明することができるだろうか?

今この国ではこういう目に見えないものを説明できない人が増えている気がする。…やろうと思えばなんとかできるのかもしれないが、その説明を面倒くさがり、ごまかす大人も増えている。

つまり

子どもの立場から世界を見ると、今この国は「おもいやりや配慮などを説明してくれない国」になっているような気がする。

ASDの子に理解ができない

のではなく

子どもに理解できるように説明できる大人がいない

ということなのだと僕は思ってる。

そして大人の多くが自分の説明力不足を自覚できていない。

自分たちの説明力不足を自覚せず、「説明したのに理解できないんですこの子」なんて言ってたら、そりゃ発達障害や愛着障害の診断がアホみたいに増えるだろ。

数学で考えるとわかりやすい。

クソつまらなくてわかりにくい授業しといて、「今年の子どもたちは数学ができない!」なんて文句言ってたらどうだろう?

それどう考えても子どもじゃなくその先生の方がおかしいだろう?

NHKに「奇跡のレッスン」というすばらしい番組がある。世界レベルのトップコーチを招聘して万年1回戦負けのチームを1週間で生まれ変わらせるという実に残酷な番組だ。

あの番組が示しているのは指導者の質次第で子どもの成績が大きく変わるという事実であって、子どもの資質が成績を左右する…なんて話じゃない。

感情だってマナーだってモラルだって学ぶもの。生まれつきのアスリートがいないように、生まれつきの人格者だっていない。

ヒトは、生まれてから学ぶことによって人になる。

我々大人が、目に見えないものを子どもに分かるように説明できなきゃ、子どもなんて一生ヒトのままだ。人間にはなれない。そんな人災の被害者を発達障害だの愛着障害なのと…ふざけたこと言ってんじゃねぇ。

と僕は思っている。

言語化できないならせめて、その感情がじんわり芽生えて、感覚的に理解できるまで、一緒に経験し、待たねばならない。

言語化もしない。
体験も共有しない。
そして待たない。

そんな子育てしてたらどんな子も自閉症みたいになるよ。

あたりまえだろ。

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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。