作文
作文の具体的なタイトルは施設によって異なります。この記事はへいなか個人の意見等がメインです。ご了承ください。
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少年院にGIGAスクールの波は来ていない。
そこに様々な議論の余地はあると思うが,現実として少年たちにタブレットやノートパソコンを1人一台持たせることはないし…
少なくとも今後数年はそんなことにならないだろう。
塀の中にも極めて初歩的なパソコンの技術を習得するための指導はある。
が…
結局のところ,彼らは手で文章を書いている。
少年院の教育活動の大半は「手で書く」ことによって成り立っている。
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少年院の矯正教育の二本柱が,日記と作文だ。
日記についてはこちら↓
また…
少年たちが「書く」ことの効果などについてはこちら↓
を参照いただければ幸いだ。
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ここでは,もう少し踏み込んで,
・どんなテーマで作文を書いているのか
・少年たちはどんなことを書いてくるのか
・僕は何を指導してきたのか
を書いていこうと思う。
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1)作文の位置づけと概要
少年院では,成績が付けられる。
成績が悪いと進級が遅れ,
進級が遅れると出院が遠のく。
成績評価の1つの材料となるのが,作文だ。
しかしそれは…
やたらと反省の言葉を並べさせるものではない。
僕の知りうる限り,いわゆる反省文を書かせて進級を判断することはないし…
今どき「反省文」を書かせている教官はほとんどいないように思う。
少年院では大きく分けて2種類の作文がある。
①施設の正式な課題として全員書くもの。
②担任がその子の課題として個別に課すもの。
施設によって細かい部分が異なっているものの,①は概ね…
・少年院送致前の生活を振り返るもの
・送致のきっかけとなった事件を振り返るもの
・非行の被害に関するもの
・出院後の生活プランを具体化させるもの
などがある。
進級の可否を判断する材料ではあるが…
こちらから書き方を提示したり,内容に文句をつけるものではない。あくまでも本人が考えて書き,それを次の指導に活かしていくためのものだ。
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個別の課題作文は実に多種多様。
また,
僕を含め,教官それぞれが「固有のネタ」を持っているし,それを共有し合うことも多い。
考え方は様々だが…
僕の場合は,
自分の内面に目を向け,気付きや自覚が生まれるような課題を課すことが多かった。
最終的に大切なのは
量ではなく,思考の道筋だ。
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2)とはいえ,まずは量から…(私見)
少年院に入ってくる子の多くは,思考が雑。
自分では考えているつもりなのだが,実際には「思いついた」だけであることがほとんと。「考えた」とは到底言えない。
だから,
作文も日記もまず…量を書くことができない。
量より質が大事なのは間違いないが…
まともな学校生活を送らず,家庭でも言葉を丁寧に扱うことのなかった彼らが,適切に言葉を紡いで文章を書くためには…
まずはたくさん書くことが必要だと僕は思う。
質は量からしか生まれない。
たくさん書こうと思えば,一言で感想を終わらせるわけにはいかない。
たくさん書こうと思えば,別の視点を探さなければならない。
最終的には質が大事になるが,「まずたくさん書いてもらう」というのは,指導の入口としてはアリだと僕は思う。
少年院の作文では,枚数を指定していることも少なくない。
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たくさん書かせることについて以前…
同僚と「苦手な子に苦手なことをさせても仕方ないのでは…?」という議論になったことがある。
個人的な意見としては…
苦手だろうと書かせるべきだと思っている。
もちろん,
資質面を含め「書けない」に対する成績評価上の考慮は必要だ。それは合理的で必要なもの。
しかし…
「苦手だからやらなくていい」という話ではないと僕は考えている。
「苦手」の度が過ぎているからだ。
2時間の映画を見た感想が…
「楽しった」「つまらなかった」だけ。
数ヶ月の練習の末に迎えた行事の感想が…
「最高だった」だけ。
それでは,社会生活にも支障が出るだろう。
訓練次第で少しでも書けるようになるのであれば,訓練はすべきというのが僕の考え方だ。
また
その程度しか言葉を紡げない人間では,自分の感情を自分で理解することもできない。結果として,感情統制の稚拙さを加速させてしまう。
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(平均点70点の人が…)
「作文は50点で苦手です」
というのと…
(平均点30点の人が…)
「作文は15点で苦手です」
というのでは,
意味も対応も違ってくる。
現時点で書けないことを責めはしないが,書く努力と書く訓練をしないのは,こちらの諦めと責任放棄でしかないと僕は思っている。
人は原則として言葉で思考する。
言葉を扱う訓練は,個人的には矯正教育の根幹として重点的に行うべきものと考えている。
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3)作文を書くことの「書く」以外の意味(私見)
作文をたくさん書くということは…
少なくともその時間,そのテーマに対して向き合うということでもある。
結果として書かれることばのすべてが本心だとは言えないが,
それでも,
被害者や自分の家族,これまでの自分について考えながら原稿用紙に向かう時…その子の頭の中にそれらの事象が何度も繰り返し想起されるのは事実だ。
安易に結論を出して終わりにするのではなく,それなりに長い時間をかけて向き合うというのは…
被害者や家族,地域社会に迷惑をかけた彼らの最低限の責務とは言えないだろうか。
たくさんの量を書くということは,「長時間向き合う」ということでもあるというのが,僕の立場だ。
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4)へいなかが出していた個別課題
ここからは個人的な実践を書く。
細かく説明すると長くなるので,タイトルを列挙してみる。以下は,個別担任の少年に対して,折を見て出した課題作文の一例だ。
・「好きな人の特徴」と「嫌いな人の特徴」
・「入院当日の自分への手紙」
・「出院当日の自分への手紙」
・「親への不満をすべて書く」
・「この◯ヶ月での自分の変化」
・「もしも生まれ変われるとしたら…」
・「被害者をとことん悪く書いてみる」
・「本件非行の事実」と「本件非行の原因」
・「自分の日記を読み返してコメントを書く」
・「自由(今の自分に必要だと思うテーマを自分で考える)」
すべてを全員一律で課したわけではない。
タイミングや状況を見て,今やるべきだと感じるものを考えて指定してきた。
これらはあくまで一例に過ぎない。
僕が課題作文を課す時は大抵…
彼らがどんなことを書き,どんな気分になるかを予測してから提示する。…提示の仕方も工夫して。
予測が外れることもなくはないが,それも含めて「次の指導のための入口」だ。
書いてもらった作文には,原則すべてにコメントを書いててきた。時には1つの作文に2000文字,3000文字と書いたこともある。
年間で一体何万文字のコメントを書いただろうか…
毎回…
その子の今と未来を見据えてコメントを書いてきたが…今考えてみると,あれは僕自身の内省にもなっていたように思う。
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5)若手法務教官へ
法務教官は忙しい。
なかなかコメントを書く時間も確保できない。
そして…
現場にはコメントを軽視する職員も少なくない。
「書いてもどうせ読まない」
「どうせ理解はできない」
僕に言わせれば,そんなのは自分の無能さの責任転嫁だ。読み込むに値するコメントをコメントを書けていないのだ。
現場には「面接こそが指導の肝」と考える風潮が根強い。しかし僕に言わせれば,面接はコメントを読み込ませるための動機づけだ。
作文を書かせ…
コメントを書き…
自身の作文とこちらのコメントを繰り返し読み込ませる。
声は文字通り音速で通り抜けるが,文字はじっくりと自分のペースで読むことができる。
作文とコメントを自発的に読み返すようになった子どもは,貴方が面接できない時間でも勝手に内省を深め,勝手に自己改善への道を進み始める。
作文を書くことに時間を割いた彼らには,僕たちのコメントがどれくらいの時間と労力をかけたものなのかを感じ取っている。
一読して読み捨てられる薄っぺらいコメントではなく,生涯にわたって指針となるような…何度も読み返したくなるコメントを書けるようになれば…
予測もしない方向で子どもたちの可能性が引き出されてくる。
目の前のその子の今と未来を見据えて,血を吐くようにコメントを書くべきだ。少なくとも僕はそう思う。
大変だけどがんばれ。
へいなか
放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。