ねこはねこ

むかしむかしあるところに
ねこという名のねこがいた
だれがねこと名付けたのかは知らないが
みながねこと呼んでいた

ねこがねこと呼ばれるようになるまえに
ねこはどこにもいなかった
でもある日ねこのいなかったそこに
ねこはいつの間にかやって来た

だれがねこに名付けたのかは知らないが
みながねこと呼ぶそのねこは
いつの間にかそこにいたねこは
まさにねこの中のねこだった

ねこをどこから見てみても
みちゆくだれがねこを見てみても
ねこはまさにねこだった

ねこを知るだれに聞いてみても
みちゆくだれにねこと聞いてみても
まさにねこはねこだった

ねこはねこの中のねこだった
ねこはどのねこよりもねこらしく
ねこはどのねこよりもねこらしい

ねこをどのねこと比べても
どのねこをねこと比べても
ねこにかなうねこはいなかった
ねこいじょうのねこはいなかった

あたりから冷たい空気がひいて
あたたかい風が吹きはじめたころ
はるか遠くの国からひとりの男が
ねこのいるまちへとやって来た

トランクひとつ抱えた若い男は
生まれてからこのかたずっと
ねこを見たことがなかった
ねこということばも知らず
ねこと聞いたこともなかった

ねこを知らずに生きてきた男は
胸の中にねこを持たないその男は
はるばるやって来た見知らぬまちの
はじめて通る見知らぬみちで
生まれてはじめてねこを見た

ねこはねこだった
ことばを知らなくてもねこだった
名前を知らなくてもねこだった
ねこいっぴきぶんのすきまが
まだ若い男の胸にぽっかりあいた

知り合いのひとりもいないまちで
友達のひとりもいないまちで
男はせまく小さな部屋を見つけ
なんとかふなれな仕事を見つけ
いそがしく朝から晩まで働いた

毎日はあわただしく過ぎていく
それでも男の胸にあいたすきまは
埋まることがなかった
男は朝に晩にねこのいるあのみちを
いち日も欠かさずに通った

ねこに会える日もあった
ねこを見かけない日もあった
ねこのいる日もいない日も
ねこのすがたを求めてわずかに
ゆきかうひとの間で足をとめた

くろやしろやとらげやちゃいろ
ふれようとすればするほど
ねこはどこまでも離れていく

ながかったりみじかかったり
やさしくよりそうしっぽに
服はねこの毛だらけになった

うすくはったみみまたはたれて
ことばをかわす相手のいない
かすかな声にねこはまどろんだ

くちもとからこぼれるひかり
輝くぎんいろのひげに満ち欠ける
ねこの瞳が男のすがたを映す

日々はかわらず流れていく
若かった男もついには年老いた
胸にぽっかりとあいたすきまは
埋まることはなかったけれど
胸はいつもねこでいっぱいだった

家を出ることができなくなり
ねこに会うこともなくなった
悲しみに心をつつまれた男は
ふるくなったいすに体をおさめ
かわりゆく景色を眺めつづけた

ある日のことふといつものように
座ったまませまく小さな部屋の
見なれた小さな窓辺に目をやると
ねこがしずかに男のほうをむいて
いつものように佇んでいた

男は夢を見ているのかと思った
いまでは住みなれた見知らぬまちの
はじめて通る見知らぬみちで
はじめてねこに会った日から
ねこはなにもかわっていなかった

明るい空に冷たい空気がひいて
あたりにあたたかい風が吹いていた
なんどか前足をなめたかと思うと
音もなくしなやかに体をひる返し
ねこは男の胸の中に飛び込んだ

埋まることのなかったすきまに
ねこがぴったりとおさまった
そして小さな窓辺から見えるまちに
男の胸の中のねこが溢れだし
いつまでもねこはねこと呼ばれました

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