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脱マスク社会での口裂け女事情

 ——夜。街灯ちらつくストリート。
 女。口元にはマスク。
 口裂け女。
 目前に金髪男。渡米後初の獲物。舌なめずり。
「Hi——ねえ(以下翻訳)」
 振り向く男。怪訝げ。
「私——きれ——」
「なぜマスクをつけてるんだい?」
「……え?」
 出鼻を挫かれた。
「君は中国人? それとも日本人? アジアではわからないけど、ここアメリカではもうマスクは不要だよ」
「……あ、そ、そうなんですか。でも、私醜いから……」
「ははは、何を言ってるんだよ、こんな綺麗なのに」
「ほんとなんです、口が、その、ちょっと大きいもので、隠してるんです」
「ちょっと口が大きいくらいで君の美しさは変わらないと思うな。試しに外してみなよ」
「美しいって……」
 こんなに熱を込めて褒められたことがないため顔が熱くなる。
 でもまだ信じられない。こんな自分が綺麗なわけがない。
 でも、でも、と心が訴える。
 嘘偽りなく認められたいという願望が抑えられない。
「こ、これでも、ですか……?」
 おそるおそるマスクを外す。
「ワーオ」
 大げさなリアクション。びくっとなって顔を伏せる。
 やっぱりだめだ、同じだ同じだ。また怖がられるんだ。逃げられるんだ。それか引きつった顔で、愛想笑いで、嘘で誤魔化されるんだ。くそ、ちくしょう、呪ってやる、殺してやる——
「ほら、思った通り、とってもチャーミングじゃないか。きゅっと上がった口角がキュートだね」
「——え?」
 男は品のいい笑顔を浮かべていた。こちらの裂けた口元から目を逸らさず。
 ……嘘じゃない?
 胸が苦しくなる。ぽろぽろ涙がこぼれる。
「かわいそうに。祖国で差別を受けてきたのかな。でもここは自由の国アメリカだ。心配することはない。そうだ、これからパーティーがあるんだ。みんなに紹介するよ」
「あ——」
 男に手を引っ張られ、足を踏み出す。
 連れ出された。そんな気がした。
 新しい人生に。
 マスクのない世界に——。

  *

 後日談。

 ビジネス街。行き交う人々。
 その中に女。口元にはマスクのない——口裂け女。
 はっとする。
 ……一体私は、何をしているのだろう。
 かっちり決めたスーツ。手には資料を詰め込んだバッグとiPad。
 そうだ、これから商談に向かうのだった。ランチは親しい友人と、今夜は気になる彼とディナーの予定もある。
 ……これが私?
 信じられない気持ちもあれば、以前の自分こそが白昼夢だったかのようにも思える。出来の悪いホラー映画のような日々だっただけに。
 一体どちらが夢なのだろう。そして夢から醒めたら私はどこにいるのだろう。
 わからない。わかるのは30分後の目的地くらいのものだ。
 タクシーを止める。
 行き先を告げる。
 にっこり笑って。

その分活字を取り込んで吐き出します。