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(続)たべっ子水族館

先日、これからずっと大事にしていきたいキーホルダーを手に入れた。
(気持ちのたかぶり、下記記事参照のこと)

無くしたり汚したり傷ついたりしないように、持ち歩くのはやめて、箱入りかれいにしていた。
でも、今日は萎えの金曜日だったのでかれいを携えて通勤。
その矢先、案の定満員電車で落としてしまったもよう。
出会ってまだ1週間さえ経っていないのに。大事にするって決めたのに、約束破ってごめんなさいの気持ち。かれいを譲ってくれたお友達にも謝罪。
やっぱり満員電車は滅びたほうがいい。いや満員電車よりもなによりも、まず第一に咎めるべきは自身の不注意、猛省。

そういえば、以前大お気に入りのしおりを紛失した時も、こころにぽっかり穴が空いたような気持ちになった。かなしみ再来。
なお、しおりの方は数日後に鞄の奥から見つかりました。本当によかったです。

モノに対して執着を抱くこと、俗物的だと否定的な評価をされがち。だが、モノはその物理的側面、実用以上の効用を有している。そこに愛着やイメージなどの付加価値を伴っているゆえ。
"モノへの執着"が、物持ちのよさに派生する。同様に、俗物的との評価にも繋がりうる。
執着心を自己の内外どちらに向けるかで、まったく異なる印象がもたらされる。ということのなのでしょうか。

すきしおりと前回引用したすき本


おそらく、かれいは私の手元から、世界という大海原に逃れていった。およげ!かれいくん?
たい焼きくんのように、自分の身の程を突きつけられて傷心するようなことがないといい。かれいは唯一無二、短い日々の思い出をぎっしり背負ってる。
めぐりめぐって、また私の元に漂着するかもしれないし。
いずれにせよ、充実した鰈生を過ごしてほしい。私はかれいとのあゆみに一区切りつけたいと思います。終わり。

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