子どもの主張がかき消される学級その3

我が家では、日々の生活を質の高いものにするために、自分が思ったことははっきり主張するように教えています。
もちろん、自分の意見を通すだけではただの我儘になるので、なぜそう考えたか相手に伝わるようにしっかり説明できないといけないこと、別の意見の方が正しいと思ったら、或いは多数であれば自分の意見を退けることも大事なことだと伝えています。
親として我が子が成長する上で最優先で身につけなくてはいけない能力だと思っています。

そんな中、6年生になる娘が学校での行事の進め方や、教師の考え方で納得いかないことがあると相談されることがありました。よくよく話を聞くと、我が家からして到底理解でいない言動が多々あり、憤りを感じざる得ませんでした。しかし、私たちの考え方が間違っている或いは、偏っていることも考えられるので、noteを作成し広く意見を聞きたいと思います。

今回はその3からの続きです。

よく聞く根性論

コロナ禍のため小規模な運動会が開催されるころ、学級代表の任期が終わり、新しい2人が選ばれました。男の子も女の子も6年間で初めて務めるそうです。
そんなある日、休み時間後に学校菜園に集合しなくてはいけない時間がありました。チャイム後に整列し、学校菜園に向かったところ『開始から5分が経過している。タルんでいる。』と担任による説教が始まったそうです。子どもたちはいつものように、なぜ注意されているかわからず、そのまま1時間話を聞いていたそうです。娘曰く、『これから運動会の練習が始まるのに、最高学年として自覚があるのか、5年生に示しがつくのか』と言った意味合いで説教されていたんじゃないか?とのことでした。
この”最高学年として”というのは、だいたい運動会前に言われるフレーズで、おそらく緊張感を持てという意味で先生方は利用しているのだと推測します。意味合いはわかりますが、令和の時代の子どもたちにはもう通用しないことをそろそろ気づいてほしいです。子どもの士気を上げるために、前向きに誘導する方法を知らないことが恥ずかしいと思わないのか不思議でなりません。
しかも、今回に限ってはダラダラして遅れたのではなく、チャイムまでに学校菜園に集合するのか、チャイムとともに整列するのか担任から指示がなく、かつ学級代表の初仕事でどうすればいいかわからなかった結果で、単純な担任の連絡ミスとフォロー不足が原因であることがわかりました。学級代表の2人が、クラスのみんなに迷惑をかけてしまったと責任を感じていないことを祈ります。

子どもはダメで大人はいい

運動会の演技は、5年6年合同で行われます。そのため、毎年のように『5年生に示しがつくのか』というフレーズが最高学年に浴びせられます。確かにダレて練習に集中できていない時もあるでしょう。最高学年に関わらず、最小の時間で最大の成果が出せるように練習してほしいと思います。
そして、それは先生にも同じように言えることです。今回の合同演技は、娘の担任が指示出しを行っていたそうですが、進行順序を覚えている様子がなく、いつものように何を言いたいのかわからない状態が続いたそうです。娘の見解では、終始5年生の先生(学校の重鎮のようなベテランの先生です)の顔色を見ながら指示出しをしているので全然集中できていなかったのではないかとのことでした。
まさに弛んでるのはどっちなのか、という話です。感が鋭い子どもはよく見ているので、『なぜ子どもは怒られるのに、大人は怒られないのか。』と考えるでしょう。士気の上げる方法もさることながら、子どもの襟を正す前にまず自分の襟を正してほしいものです。

主張はノイズなのか

説教には後日談があります。学校菜園で1時間しゃがんだ状態で説教されたあと、教室に戻りどうすればダレないのかの話し合いを行なったそうです。話し合いの結果、『マイナスな表現を使わない』という1つの意見が上がりました。これは子どもたちの話し合いの結果から発生した意見で、担任も賛同したようです。しかし娘はこの意見に違和感を覚えたようです。『マイナスの表現を使わないルールにすると、本当にしんどい人は弱音を吐けなくなったり、SOSが出せなくなるけどそれでいいのかな。』
そのことについて、家族で話し合い『マイナスの意見を言わないということは言わない方がいい。』という結論を出しました。娘は話し合いの結果を連絡ノートに書き翌日登校すると、担任と学年主任に呼び出しを受けたそうです。
そして2クラスの授業を潰して1時間、なぜそんなことを言うのか、クラスで話し合った結果であるとか散々聞かれたそうです。娘も最初は自分の主張を説明したようですが、無駄だと諦め、はいそうですねと伝え、これ以上関わりたくないと真剣に思ったと言っていました。
想定外の主張はノイズとしてしか捉えられない現状は、個性を伸ばす現代教育から矛盾しているとしか思えません。でもそれが今の小学校の限界なのかもしれません。憤りは感じますが、諦めるしかないのかもしれません。

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