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最近みた映画「Summer of 85」のハナシ

夏が舞台になっているフランス映画って、なんだか心惹かれるものがあるなあと思う私でございます。あの独特の雰囲気が大好きです。

 Summer of 85を観てきました。フランス映画界の巨匠、フランソワ・オゾン監督によってエイダン・チェンバーズの小説「Dance on my Grave/おれの墓で踊れ」が映画化された作品です。

※このnoteはネタバレ注意ですので、悪しからず…

summer of 85ロゴ

 少年たちの忘れられない、ひと夏の物語です。どこか懐かしさを感じさせる映像美と、色鮮やかな夏のフランス、少年たちの瑞々しさ、内容だけではなく視覚的にも非常に楽しめた作品でした。

あらすじ 公式サイトからの引用 https://summer85.jp/

1985年夏、フランス・ノルマンディーの海辺
アレックスとダヴィドが出会い、永遠に別れるまでの6週間
恋する喜びと痛みを知った少年が守ろうとした、あの夏の誓い─
 セーリングを楽しもうとヨットで一人沖に出た16歳のアレックスは、突然の嵐に見舞われ転覆してしまう。そんな彼に手を差し伸べたのは、ヨットで近くを通りかかった18歳のダヴィド。運命の出会いを果たした二人だが、その6週間後に、ダヴィドは交通事故で命を落としてしまう。
 永遠の別れが訪れることなど知る由もない二人は急速に惹かれ合い、友情を超えやがて恋愛感情で結ばれるようになる。アレックスにとってはこれが初めての恋だった。互いに深く想い合う中、ダヴィドの提案によって「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」という誓いを立てる二人。しかし、一人の女性の出現を機に、恋焦がれた日々は突如終わりを迎える。嫉妬に狂うアレックスとは対照的に、その愛情の重さにうんざりするダヴィド。二人の気持ちはすれ違ったまま、追い打ちをかけるように事故が発生し、ダヴィドは帰らぬ人となってしまう。悲しみと絶望に暮れ、生きる希望を失ったアレックスを突き動かしたのは、ダヴィドとあの夜に交わした誓いだった─。

 映画中盤の、二人のダンスシーンは非常に印象的でした。アップテンポな音楽の流れるクラブにてダヴィドはアレックスにウォークマンのヘッドホンをつけてあげます。(このウォークマンがなんともノスタルジックな良い味を出してました。)ウォークマンからは、ロッド・スチュワートの『Salling』が流れます。ダヴィドとアレックスは、それぞれ異なるリズムの音楽で踊るのです。映画を全編観終えてみて、思い返すと、このシーンは二人の対照的な心情を表現しているのだろうと感じました。(公式のYouTubeにてこのダンスシーンが公開されているのでリンクを貼っておきます。今、見返しても非常に良いなぁとしみじみ感じるシーンです。)

物語には、ケイトという女性が登場します。このケイトの存在が二人の関係に大きな影響を与えることになります。 ↓

ケイト

好きな人に言われる「君に飽きた」

 ケイトとの関係について、二人の関係についてを言い合う中で、ダヴィドはアレックスに対して「君に飽きた」という言葉を投げつけます。アレックスはこの言葉にひどくショックを受け、怒ります。感情を爆発させ、船具店の商品をなぎ倒しながら店を飛び出しました。
 好きな相手に、「君に飽きた」なんて言葉を言われるのはひどくショックを受けますよね。それが普通の反応だと思います。言葉の意味をすぐに理解することが出来ないことだって考えられます。嫌いになったと言われるよりもショックを受けるかもしれません。だって、飽きるっていうのは興味がなくなったともとれるのです。私の考えですが、嫌い、という状態は少なくとも興味を持っている状態ですが、飽きたのはそんな興味さえ失われている状態です。好きな人から自分に対する興味が失われてしまうのはとても悲しく、怒りを覚えるのも仕方ないのではないでしょうか。

 ケイトに言われる、あなたの想うダヴィドは理想の彼だった。でも本当の彼はそんな理想のダヴィドではなかった。アレックスの心にある、ダヴィドは自らがつくり出した幻想…。
 自分が好きな相手は、自分の考えるようなステキな人物だと頭の中で思い込んでしまう。むしろ、思い込みたくなるのが恋なのでしょうか。相手に期待しすぎてしまうことが、必ずしも悪いとは言い切れません。しかし、相手からしてみれば、勝手に理想の人物像を作られて、それとは違うからといって、文句を言われてもどうしようもないと思うのが当然ともいえます。相手に期待することが無い恋愛は、なんだか寂しい気がします。
 アレックスは、ダヴィドが変わってしまったと感じ、彼の言動に怒りを感じ、悲しみも感じます。もしかすると、はじめからアレックスとダヴィドの気持ちは少しすれ違った状態だったのかもしれません。ダヴィドにとっては、アレックスとの関係は恋ではなく、ただの遊びのつもりだったのかもしれないのです。ダヴィドが亡くなってしまい、真実はわからず仕舞いです。

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 ダヴィドが、アレックスに対して恋愛の気持ちを抱いていなかったにしろ、抱いていたにしろ、彼が亡くなったという事実はアレックスの心に深い傷を与えます。ひどく落ち込み、彼に一目会わせてほしいと彼の母親に懇願しますが「あなたのせいで息子は死んだ」と言われ、彼の通夜にすら立ち会うことは許されません。それでも、どうにかしてダヴィドに一目会いたいアレックスは大胆な行動をとりました。それは、一般的な常識からいえば、非常識で死者を冒涜する行為ともいえます。しかし、アレックスは発作的、病的ともいえるような行動をとってしまうです。1985年、同性愛が認められるような時代ではありません。そのため、霊安室に忍びこむ際には女装をします。アレックスはそうでもして、ダヴィドの姿を確認したかったのです。彼が本当に死んだのか、なにかの夢でも見ているのではないか…。

ダヴィドとの誓いを果たすアレックス

「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」という、ダヴィドが生前に言った、奇妙とも、イかれているとも思えるこの誓いをアレックスは彼の死後、実行しようとします。一度目は、彼の墓を見つけると狂ったように土を掘り、まるでダヴィドを掘り起こそうとしているようでした。二度目は、彼にもらったウォークマンをつけおもむろに踊り出します。まるで、何かにとりつかれたように踊るアレックスは、悲しげでありながら、どこか楽しげでもありました。彼との誓いを守るために、非常識ともいえる行動を繰り返すアレックスは、恋した相手の死を受け入れられない16歳の少年でした。自分の気持ちと、どう向き合えばいいのか分からなかったのでしょう。それでも必死に行動する、アレックスの姿は心打つものがありました。

アレックス

 16歳という年齢で、恋した相手の死に向き合わなければならない少年は、ただ、がむしゃらで、周りのことを考える余裕なんてものはありません。それでも、ケイトや教師、両親の助けを得ながら、前を向き歩き出していこうと奮闘する姿は切なくそしてとても愛おしく、私の胸を締め付けました。
 たった6週間の、しかし決して忘れがたいひと夏の恋は、1人の少年に大きな影響を与えたのでした。

ぱーしー

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