マガジンのカバー画像

エッセイ

28
具体的な出来事とそれについて考えたこと
運営しているクリエイター

#エッセイ

全部

コインランドリーに洗濯物を取りに行った。信号を渡ってランドリーの前に来たところで、前を歩…

4

「光」を書くときに考えたこと

習作を書くときに考えていたことシリーズ。2作目の「光」について。 まず、この書き出しにつ…

6

ドトール

ドトール。注文をする女性。一度会計を済ませたが、ポイントカードを出し忘れたとかで、やり直…

8

半月

オードリーのオールナイトニッポン15周年記念の東京ドームライブに行った。 訳ありスタンド席…

10

比べないで作る

星野源と若林正恭の対談番組である、Netflix『LIGHT HOUSE』を観た。 オードリー若林は、体育…

4

崖の向こう

飽きるというのは、一種の自己防衛なのだと思う。それによって、のめり込みすぎるときに起こる…

3

人が目的を訊くとき

学問には「突き詰めたい真理」みたいな大目的があると思われているようで、「それは結局何がゴールなんですか」という質問をされることが最近立て続けにあり、知見それ自体を面白がるという学問の自己目的性についてもっと話した方がいいのかなと感じる。 相手のやっていることに対して「目的はなんですか」と訊くのは、至極真っ当な感覚ではある。そして学問には特にそういう目的志向性が想定されているらしい。とはいえ、なにか具体的なトピックについて話したときに、その面白さではなく目的に反応される時点で

表面と根源

サーファーの友人に誘われて、茅ヶ崎で行われた「横乗日本映画祭」に行った。サーフィン、スケ…

6

恐竜は死んだのだ

福井県立恐竜博物館に行くことになった。それにあたって、恐竜がなぜ人を惹きつけるかというこ…

花の一生に君は必要ない

羊文学は人と世界の、あるいは人と人の距離を歌おうとしている。どこか冷めている、その世界へ…

ヤンキーと時間

床屋で髪を切ってもらった。あまり形を変えるつもりがなかったので、速さが売りのチェーンの床…

「自分の星」を生きる

『ちひろさん』を観た。孤独な人しか出てこない映画だった。みんながそれぞれの孤独を生きてい…

あじさいと空き瓶の間で

国道沿いに一本だけあるあじさいのことを母が言っていて、次の日に見てみるとたしかに一本だけ…

「豆腐屋」の諦念

神奈川近代文学館で小津安二郎展。 生活の活写とナンセンスユーモア。さくらももこ展以来頭に残っている両者の結びつきが小津にもある。 集合写真に写る小津は、どれも隅っこで猫背だった。背中を丸めて覗き込むように正面を見ている。代名詞のローアングルは、小津の視線そのものなのだと思った。 小さな日記帳に書かれた小さい文字。小さすぎると思ったが、別の人物の日記も同じように小さくて、この時代は一般的に豆のような字で記録を残すものだったのだろうか。単眼鏡で覗き込んでいる人が何人もいた。