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ウォーレン・バフェットと私

この業界に30年以上もいますと色々なことがあります。
実は私はウォーレン・バフェットと縁がある日本人の一人だと思っています。

1991年のことです。私は当時ソロモン・ブラザーズという米国の投資銀行のニューヨークの本社で勤務をしていました。その時の私は、米国やラテン・アメリカの株式をニューヨークベースの日本の金融機関のファンド・マネージャーに営業するという仕事をしていました。まだ日本の経済パワーの余力が残っていた時代です。

私が新卒でソロモン・ブラザーズへ入社した2年前の1985年、米ビジネス・ウィーク誌の表紙に「キング・オブ・ウォールストリート(ウォール街の王様 )」というタイトルと共に、ソロモン・ブラザーズの時の会長兼CEOのジョン・グッドフレンドが葉巻を持っている写真が掲載されました。当時ソロモンがウォール街のキングと呼ばれていた理由は、債券取引のパワーハウスだったからです。

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ソロモン・ブラザーズが、ビジネス・ウィーク誌に特集された6年後の1991年、ソロモン・ブラザーズは心無い一部のトレーダーにより財務省証券の不正入札を行ってしまいました。この事件は、当時のウォール街 ではトレジャリー・ボンド・スキャンダルとして騒がれ、米財務省はソロモンのプライマリー・ディラ―シップを剥奪するかもしれないという状況となったのです。当時ボンド・ハウス(債券ハウス)と呼ばれていたソロモンにとって国債の入札ができないということは会社にとって死を意味します。しかも、この不正入札に関しては、財務省からの問い合わせに対しソロモンが誠意ある対応をしなかったということも事態を悪化させていました。

実はそんな時、ソロモン・ブラザーズを倒産の危機から救おうとしてくれたのがウォーレン・バフェットだったのです。ウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ハサウェイは、当時ソロモン・ブラザーズの親会社であるソロモン・インクの筆頭株主であり、バフェットとしても自分の投資を失敗させる訳にはいかなかったのです。時の会長兼CEOのジョン・グットフレンドとの親交があったこともあり、ウォーレン・バフェットはソロモン・インクの 暫定会長に就任します。その後バフェットが行ったのは、時のソロモンのマネジメントの総入れ替えでした。その時、ソロモンのトップとして白羽の矢を立てたのがイギリス人のデレック・モーンでした。バフェットは自分とモーンの2人によるマネジメントの体制をつくりました。実はこのデレック・モーンは元ソロモン・ブラザーズ・アジア証券の東京支店長であり、私が同社へ入社する際に最終面接を受けたのが彼だったという縁がありました。

バフェットは暫定会長に就任した後、下院の公聴会に出席、「私は、私とソロモンの従業員を代表し、今回の件についてお詫び申し上げます」 というスピーチを行ったのです。その後バフェットの尽力により、最終的に財務省はソロモンのプライマリー・ディラーシップは剥奪せず、会社は最悪倒産の危機を免れることができたのです。


個人的な話なのですが、実は私がこの事件が起きている間結婚する話が進んでおり、万が一、会社が倒産するようなことになれば、私の結婚にも大きな影響を与えていたはずです。バフェットは、会社を救ってくれただけでなく、私の結婚を円滑に進めてくれた恩人でもあると思っています。

この騒ぎの真っただ中のとある朝、当時マンハッタンのダウン・タウンにあった会社のエレベーターに乗り込んだ時の事です。中には非常に存在感のあるおじさんがいることに気付きました。そうなんです、その人こそがウォーレン・バフェットだったのです。その時彼は、どうやってソロモンを建て直すかどころか、どうやって会社を倒産の危機から救うかという重大な責任を負っており、彼のホームタウンであるオマハからニューヨークまでやってきていたのです。
バフェットは、エレベーターの中で、眉間にしわをよせ険しい顔をしており、全く話しかけられる雰囲気ではありませんでした。株主総会で見せるユーモア、余裕のあるバフェットではありません。当時のニューヨーク本社 (7 World Trade Center ) の株式部門のトレーディング・フロアは40階だったと思うのですが、そこまでの間約90秒くらいでしょうか、私はバフェットと2人だけの沈黙の時間を過ごすことになりました。話しかけてみたかったのですが、そんな雰囲気ではありませんでした。ただ、Good morningくらいは言ったのではないかと思いますが、正確には覚えていません。

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(今は亡き7 World Trade Center)

そんなことがあってから5年後、1996年のことです。
当時1株3万ドルを超える株価だったバークシャー・ハサウェイが1110ドルの株価でB株の公募増資を行いました。勿論、引き受け主幹事はソロモン・ブラザーズでした。
その時私は既にソロモン・ブラザーズの東京オフィスで働いており、私も日本の機関投資家のファンド・マネージャーに、この想い入れのある銘柄を買ってもらうべく一生懸命営業することになります。
当時既にバフェットに関する本は日本語に訳されており、株式投資の世界では有名な人だったのですが、私はこのバフェットの日本語の本を潜在的な投資家のお客様に配り、営業を行いました。 普通の企業の株とは違い、当時バークシャー・ハサウェイの株式を買ってもらうのは容易ではなかったのです。
その時私は昔のニューヨーク勤務時代の知り合いがバフェットと直接コンタクトがあることを思い出し、彼に今回の公募増資のバークシャー株を営業するにあたりバフェットのサインを貰ってくれないかとお願いしてみました。彼は喜んでそのリクエストに応じてくれ、 私は無事バフェットのサインを入手、見込みのあるお客様へそのサインをお届けすることができました。 これはもう25年くらい前の話で、何件の投資家が買ってくれたかは正確に覚えていませんが、複数の日本の機関投資家が投資をしてくれたのは覚えています。

私はバークシャーの公募増資株の営業をするにあたり、1991年に会社を救ってくれたバフェットのことを思い出しながら仕事をしました。
私なりのバフェットへの小さな恩返しです。


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