素敵な事で泣きたいわ

きゃりーぱみゅぱみゅの問題ガール(中田ヤスタカ)という楽曲にこんな歌詞がある。

嫌いな事で笑うより、素敵な事で泣きたいわ

最近ふと、この歌詞を思い出させる出来事があった。それは、今騒がれている某リアリティ番組での炎上事件である。
わたしは2年ほど前から、その番組にハマっていた視聴者の1人であり、今回の事件は色々と考えさせられる事があった。
いい機会なので、文章にしてみようと思う。

この議題について書こうと思うと、
視聴者のメディアリテラシー、メディアのあり方や、ソーシャルメディアなど、様々な観点で議論する事ができるし、気が遠くなるので、今回は炎上やアンチについて私なりに書いてみます。

某リアリティ番組は、もともと
何かお洒落な若者のちょっとした恋愛茶番と、彼らを通して、東京や湘南の街を観光したような気分になれる事が醍醐味の番組である。
しかし、これがいつしか気がつけば、出演者同士のリアルな修羅場を放送する番組に変わってしまった。加えて番組が人気になるに連れ、そういった人間関係の揉め事をメインにする風潮はますます強くなった。

筆者は、ヤラセでも何でも出演者がデートしてキスして、キャッキャッしてるシーンがあれば何でもよかったタイプの視聴者なので、正直なぜこんなに、炎上するようなシーンを流すようになったのか分からなかった。

しかし今回の一件で私は、人の失敗や修羅場を心底、エンターテイメントとして楽しめる人間が一定数いるのだと気づいた。
そういった物ってフィクションの中で楽しむ分には文句ないが、今回の問題は、ノンフィクションと謳っている番組の中で起こる修羅場を楽しむ人間がいるということ。
また出演者は基本的には、まだ一般人に近しい職業や存在の人々であり、
芸能人やスターのゴシップが話題になることも少し違うと思う。
(芸能人のゴシップと今回の事件の違いについてはもう少し説明したいが、スコープ外なので割愛)

ここまで書いて、なにが言いたいかというと、私にはそういった人達が、誰かが起こした失敗やドロドロした人間関係を笑って楽しめるのか理解できない。
映画やドラマの中では無いリアルな世界で起こっているイジメや修羅場をどうして、エンターテイメントとして楽しめるんだろう。
別に対して有名でも無い、自分と同じような存在の若者の失敗をどうして、楽しんで揚げ足とって追い詰めるのか。
自分の意見や考えを持っているなら、正当な言い方で伝えればいい。
自分と一生関わることの無い人間の事を中傷する為に時間を使って何が楽しんだろうと心底、不思議だ。

先述した、中田ヤスタカの歌詞の言葉を借りて書くと、

そういう人たちって、
嫌いな事で笑っているんだな〜と思った。

嫌いな事で笑える人ってコンテンツだけの話じゃなくて、自分自身の身近な話に対しても、そういう反応するんだろうし、 
もうそういう性分なので仕方ないので、
そういう人たちを否定する気は別に無いのだけど、ただただ不思議。

わたしは嫌いな事で笑う暇があるなら、
感動できる素敵な事を少しでも多く見つけて、たくさん泣ける人生にしたいな〜


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