見出し画像

壁なんて最初からなかった

かなり恥ずかしいやつに
気づいてしまった・・・

いやさ、
わたしハナココロというコミュニティで
コンテンツ提供者として
参加させてもらって

どうやったら参加者さんが喜んでくれる?
どうやったら参加者さんのためになる?
どうやったらイベントに参加してもらえる?
どうやったら興味持ってもらえる?

とか試行錯誤するのに夢中で

ハナココロ以外でも
何か(活動)してもいい

ってことを、全力で
見ないようにしてたのね。。。

そこには、
すごくすごく高いハードルが
すごくすごく高い壁が
あるように感じてた

これまで(自分でやってるんだけど)
痛い思いもしたし
傷ついたと思ったこともあった

だけど・・・
傷を癒して。

自分が持っている前提を
ゆっくりだったけれども
1個ずつ外して。

それで世界を見てみたときに・・・

あれ、壁、なくね?


と唐突に気づいてしまって。

〇〇だからできない
〇〇がこわい
〇〇が嫌

とか
何個でも作れるけれど

でも

●●やるにはどうしたら?

って考えたら
いくらでも工夫はできて。

さらに

ここからがすごい笑えるっていうか
痛すぎたんだけど

わたしは
1か月~2か月に1回ペースで
コーチングを受けていて

でも最近は毎回

「わたし結構いまいい感じ」
「今日は何話そうかな~」

という気分で向かい

コーチング後に
「○○やろうね」
っていう話になった途端に

「いーやーーーー!!!」


と悶えまくる。

それを、

コーチングを受けると
「いーーーやーーーー」
ってことを
やることになる

って思ってたんだけど

違うじゃんね。


わたしが、
無意識で、
何かやりたい
今のままでもいいけど
もっと人生遊びたい

と思ってて

コーチは
そこを毎回毎回
拾ってくれてるだけなのに

わたしは
まるで
コーチが
わたしがやりたくないことを
わざわざ言ってくれてるように
感じていて(ごめんなさい!!!笑)

まじで、一人芝居w

ということに気が付いてしまって

あーーー。

あーーーー。

あーーーーー。

何してた、自分。
ってなったけど、

そしてこれからも
何度もやるんだろうけれど←

何度も向き合わせてくれる
コーチがいて

「いーーーやーーー」
っていいながら
一緒に向き合っていける仲間もいて

ああ幸せじゃないか

顕在意識で
自覚できてよかったじゃないか

と思ったのでありました

閃いた!とか
気づいた!
学びになった!

っていう感じじゃなくて

「何やてったんだ・・・」

っていうため息しかでないし
徒労感しかないけれど

わたしは確かに
また1つ気づいたのです

壁なんて
最初からなかった


何をしてもいい
何をやってもいい
どこに進んでもいい

わたしは既に自由で
循環を生み出せる
こわがる必要もない

だから

壁はもうないから
踏み出してみよう
やりたいことやってみよう
思いついちゃったことやってみよう

人生いつまであるかわからない

ふとね、思ったのですよ

わたしが前に進むことで

死なない人が出てくる可能性があるかもしれない
(弱気単語のオンパレードw)

医者じゃないから物理的にじゃなくて
精神的にか、間接的にか、
目に見えないかもしれないし
なんなら
気づかないかもしれないけれど

でも

「生きるのめんどくさいな」
「生きるハードル高いな」
って思ってた人が

わたしみたいにいつか
「壁なんてなかった」
って気づいたら
それってめっちゃ素敵じゃん?って思って

で、別にわたしも
そこに対して払う犠牲とかはないわけで
(だって失うものなんて最初からなくて
 全部もってるし生み出せる)

ちょっともう
頭がまわらなくなってきたけれど

とにかく
わたしは自由だった!
壁はなかった!

ということを記録しておきたかったので
書いておきます。

みほ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?