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選択的夫婦別姓について本気で考えてみる


4月9日(もう当日ですが)に選挙が行われる。
私のつぶやきやフォローの問題か、Twitterのタイムラインでは選択的夫婦別姓について大いに盛り上がっている。

世間では選択的夫婦別姓に賛成の声がある一方で「子供の苗字はどうするんだ」とか「家族としての一体感がなくなるのでは?」「子供がいじめられたらどうするんだ」みたいな反対の声も聞こえる。
また、選択的夫婦別姓の導入を反対だと主張する議員も少なくない。

私自身、選択的夫婦別姓には賛成の立場。というか、正直苗字を変えたくないので自分が結婚したら別姓でありたいとさえ思う。
なので反対を主張する人にはこのnoteで大いに反論したいところですが、今回は少し違ったアプローチをしていこうと思います。

ジェンダーゼミにも属しているので苗字については何度か学んできましたが、改めて自分の知見を深めるためにも、記録していきます。


※婚姻に関する姓ということで、パートナーの姓をどう決めるかという内容ではありますが、「選択的夫婦別姓」という言葉が注目されていること、そしてパートナーという意味を含むような丁度良い言葉が思い浮かばずこのnoteでは「夫婦」と称しています。結婚=男女ではなく、夫夫、婦婦…etc 結婚の性別は自由だと思っています。

P.S. この記事書くために色々調べましたが、予想以上に世界に関する日本語文献が少なく、信憑性が微妙なものや、アップデートされていない古いものなどが非常に多かったです。日本の別姓についての記事が少なく、基本的な問題しか書かれていないのは日本の別姓がどれだけ遅れているのか誰も分かってないからなんだろうなと思いました。

世界での夫婦同姓

まず日本以外で夫婦同姓を定めている国はあるのか?
これは調べたところ、夫婦同氏制を導入しているのは日本だけだった。

夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

民法 第七百五十条

この民法いつできたのだろう?と思ったら、夫婦同氏姓が採用されたのは明治31年民法(旧法)とのこと。けどこの時は夫の氏になることが決められていた模様。

昭和22年(1947)改正民法にて、夫か妻のどちらかの氏を選べるようになったとのこと。
つまり、80年近く改正されていないことになる。
約80年前のジェンダー観が未だに続いているってことか・・・。

ちなみに明治31年民法の前はというと「夫婦別氏制」でした。
いやいや。昔の方がある種近代的やん。どういうこと!?
夫婦別氏制だったにも関わらず、習慣的に妻が夫の氏を名乗るようになり、明治31年民法に繋がったとか。

これって逆に言えば、習慣的に別姓を名乗るようになれば現代でも選択的夫婦別姓が導入しやすくなるのでは?(どれぐらいの時間がかかるかは計り知れないけども)

世界での婚氏制度

近代家族が一般化した20世紀のヨーロッパ諸国の多くの国において、それまでは夫婦は夫の姓という同一の姓を名乗ることになっていたものが家族の中の男女の平等という観点から次々に精度を改めて、夫婦同姓を矯正する制度が見られなくなった。

百々雅子(2000) 「近代家族と夫婦別姓———夫婦別姓制度の意味をもとめて」 山梨県立看護大学短期学部紀要 Vol.6 No.1, p.69

ヨーロッパの中では比較的遅いドイツやスイスもそれぞれ1993年、2013年(10年前)に選択的夫婦別姓を導入している。

ドイツの場合、選択的夫婦別姓にするだけでなく、片方がダブルネームにして「妻の名・妻の旧姓・共通の姓」という名前にすることもできるようです。(夫でも同様)

こういったダブルネームの制度もアメリカ・イギリス・スウェーデン・トルコ・中国….etc 多くの国で採用されている。

結合姓とも言うらしく(?)、国によっては結合姓と呼ばれたり複合姓と呼ばれたり呼称が違うことが気になった。なんで訳が違うのだろう・・・?

分かったことはヨーロッパでは20世紀から既に夫婦別姓について変化しつつあったことで、遅かったスイスでも2013年に導入している。(そのスイス
も1988年の時点でダブルネームは認めているわけですが。)

しかも、アジア圏で家族観が根強そうな中国・韓国でも別姓になっている。それに限らずアフリカでも別姓が認められている。

本当になんで日本は同姓に固執しているのだろう????(純粋な疑問)

子供の姓について

夫婦間での苗字の決め方については分かったけど、多くの国が別姓をとる中で子供の苗字はどのように決められるのか。

法的に規定がなく、婚姻によって姓が強制的に変わることのないフランスでは、85%の子供が父親の姓を名乗るという。

未成年の子どもの本姓に関しては、これまで通り、父親姓、母親姓、双方の併記姓を継承させることができるが、それに加えて、出生時に姓を継承させなかった側の親が、後になって自分の姓を通称として付け加えることも、可能になった(両親が合意できない場合は家裁判事が判断。また子どもが13歳以上ならば子どもの合意も必要)。

VOGUE JAPAN「子どもに家族姓の選択肢を──夫婦別姓の国フランスが実現したジェンダー平等へのさらなる一歩。」

2022年3月に「姓の変更と選択に関する法案」が可決され、成人の姓の変更が簡単になっただけでなく、子供の場合はダブルネームにもできるし、後から姓を加えることもできる。

中国やサウジアラビアのような国では子供に「父親の姓」を名乗らせる決まりもある。フランスみたいに夫婦どちらかの姓を選んで子供につけるといった国もあったけどそれでも父親の姓を選択する国が多い印象を受けた。

ただ、別姓が当たり前の国の元では子供が自分の姓に疑問を持つことなどないようにも感じられる。(違うことが当たり前だから)

夫の両親や兄弟から子どもたちが「どうして彼(うち)の姓でないのか」と聞かれたことは一度もない。そんなことをだれも気にしていない。「kishimotoってかっこいいよね」とむしろみんなが私の非ヨーロッパ的な要素を誇りに思ってくれていると感じる。文化の多様性や会話を豊かにするポジティブな要素として。

world voice 「夫婦別姓で1ミリの問題もないベルギーより」



世界では別姓・結合姓が当たり前で、むしろその先にある子供の姓に父親の姓が多いことが課題とも取れる。国際社会では議論すべきなのは別姓のその先にあるジェンダー観なのだ。



日本はそれ以前に別姓を導入するかでもめていて、さらにまだ何も起こっていない子供の姓についてまで考えている。

選択的夫婦別姓なのだから同姓が良い人はそのままでいいじゃないか。
別姓を選びたい人が幸せになり、同姓を選びたい人が幸せになることの何が問題なのだろう。

子供と姓が違っていても家族の在り方が多様になってむしろメリットなのではと思う。クラスで仲良くしていた子がある日親の離婚で苗字が変わり、気まずくなる…ということを経験を多くの人がしていると思うが、そちらの方が双方にとって辛いものではないか。親と子の姓が違うだけであそこは片親なんだ・・・と目立つことは良いのか。苗字が変わることでの子供のアイデンティティが見失われることは良いのか。

むしろ「親と子の苗字違うのは珍しいことじゃない」という風潮がさまざまな家族の形を肯定していると思うのです。

家族の一体感が苗字という見えるものでしか測れないのなら、家族なんてやめてしまえ


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