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クリスマスは固有名詞だが解釈は多様です

Xmasがやってくる。

インドネシアにいる。国民の大半はイスラム教であるが故に街に出てもクリスマスの装飾や雰囲気は日本よりも薄い。昨日は友達とクリスマスパーティーとしてお洒落なレストランへ行った。そこではヒジャブを被る人もクリスマスプレゼントを渡し合う。日本では何も気にせずに装飾されたであろうクリスマスツリーも、キリスト教の間では勿論意味があるらしい。上の星は三位一体の...難しいことは理解できないが、とにかくあらゆるものの起源には意味があるということだ。時が経ち広く知られることでその意味は好く解釈される。ちなみに、どうやらクリスマスにケーキを食べる風習は日本独特のものらしい。

インドネシアのクリスマスには雪が降らない。20年間もの間クリスマスといえば雪の降るホワイトクリスマスを肌でも慣習的にも刷り込まれてきた。だから、なかなかクリスマスという感じがしない。バイクの音が聞こえ、ホリデーシーズンの渋滞でいつもより空気が濁って見える。

僕らは何かとあやかる。訳もわからないけどあやかってみる。一見すると、キリスト教とは縁が深くは見えにくい日本でもクリスマスは独自の祝い方が進化して、街も装飾され、恋人たちが街へとくり広がっていく。ブラックフライデーって、サイバーマンデーって、意味は大したよくわかんないけど得ならそれでいい。というか、ハロウィンすらもなんのお祭りなのかよくわからないけど、とりあえず仮装する。

キリスト教じゃなくてもクリスマスをお陰様で学校が休みだと喜ぶイスラム教の人たちのように、自分の国は宗教を信じていないと言ってクリスマスもお正月も存分に楽しむ日本人のように、何事もぱっぱらぱんになんも考えずに目の前のことを楽しんで、そして、みんなみんないつまでもいい意味でトンチンカンでいるからこその平和な世の中であればいいのに。

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