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留学先インドネシアにて年を越す

 2024年になった。新年一発目の脳内整理コラムはやっぱり正月のことだ。
31日から2日まで、現地の友達や留学生とStaycationとして隣町の街の忙しなさから離れることができる山の方に泊まった。考えてみると友達と年越しの瞬間を過ごしたといのは、記憶の限りでも一回あったかないか。多分、初めてだったと思う。

 インドネシアで年を越して感じたこと、それは「花火と爆竹」「とうもろこし」「時差」である。
 
 「花火と爆竹」これは本当に恐ろしいしやかましいし、でも意外と年を越した気になるものであった。31日のまだ日が沈まないうちから町中でバンバンと爆発音がし始める。昼寝の良い目覚ましだ。正直、日本人目からするとなぜこんな危ないことが許されているのかが疑問でしょうがない。本当に尋常じゃないほどに花火が上がる。普通に火事になるだろうと思う。というか、どこかで必ず火事は起きただろう。年越しの瞬間が近くなると外に出ると咽せるほどに街が煙に包まれる。

 「とうもろこし」なぜかインドネシアは年越しに焼きとうもろこしやサテという焼き鳥を食べるそうだ。もともとイスラム教徒の多いこの国ではイスラム暦の正月の方が伝統に馴染んでいることもあるのだろう。新年はBBQをするという。多分、その流れで正月の定番がこれらの料理なのだと思う。正直、焼きとうもろこしがいくら美味しかろうと20年間この日におせちとお雑煮を食べてきた僕にとって無しだ。ただ、人生のうちのたった一年の正月と思えばとても良い思い出だ。来年はお雑煮が食べたい。ところで、正月にお餅を砂糖醤油につけて食べるというあの罪な美味しい食べ物をいただくのは日本特有の文化なのだろうか。

 「時差」インドネシア、僕の住んでいるバンドンと日本の時差は2時間だ。友達は台湾やオーストラリアのパースにもいて、彼らとの時差は1時間だ。つまり何が言いたいかというと、実はあの年越しの瞬間というのは大して大事じゃないのかもしれないということである。たとえ日本の年越しの瞬間に飛んで地球にいなかったといっても、実はすっかり油断した1時間後には台湾で年を越し、2時間後にはバンドンで年を越している。地球で。こう考えてみると同じ時、同じ瞬間を異なる世界の人と共有するということは意外と難しくて尊いことなのかもしれない。

 兎にも角にも、2024年になってしまった。実はあまり2024年に違和感を感じていない。というよりも2023年が去年と言われてもすでにしっくりときてしまっている。まあきっとそんなものだ。2024年ももう3日目が終わろうとしている。そうやって今度は2025年が来るんだろう。その時僕はどこにいるのかな。

 ニュースの限りしか知り得ないが、日本はお正月から大変な連続だという。まずは、そんな中でも強く生きている人たちに心の底からの敬意と応援を送りたい。人間というのは強くてしぶとくて、どんなことが起きても生きていこうとする力がある。ただ、時々生きていることへの有難さを忘れてしまう。だから僕たちはこういうことが起きるたびに死を痛感し、同時に生を感じる。

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