帰国子女の私が 韓流ドラマの翻訳者になるまでの話①


<前書き>

私が映像翻訳者を目指し始めたのは、2000年頃でした。

私は日本人ですが、両親の仕事の都合で、
中高と大学2年の途中まで韓国で過ごし、
大学2年の夏、東京の大学の編入試験を受けました。

日本に戻るきっかけはいろいろあったのですが、
母親が肝臓病を患い危険な状態だった、ということと、
韓国での恋愛がうまくいかなったということが、大きかったと思います。

 大学時代は、「アリーマイラブ」や「Xファイル」などの海外ドラマが大流行していた時期でもあり、NHKで放送していた海外ドラマやシットコムが大好きでした。

特に「アリーマイラブ」は大好きで字幕と吹き替えを同時にだしをしながら、言い回しの違いの研究をしていました。
(今テレ等でよくやっている字吹同時出しの先駆けですね。笑)
別に当時は翻訳者でも何でもなかったので、ただの言語オタクです。笑

もともと字幕ではなく、情報量の多い、吹き替え版が好きでした。
役者の本来の声が聞ける字幕が好き、という人が圧倒的に多い中、
私はかなりマイナーだったと思います。

90年代はアメリカやイギリスのドラマがメインで、当時は韓国ものと言えば映画ばかり、話題作がたまに劇場で上映されるぐらいで、ましてやTVで韓国のドラマシリーズが放映されることなんてありませんでした。

 そのため韓国語を使った仕事といえば、貿易関係や特許通訳、会議通訳などがメイン。今のようなエンタメを翻訳する人なんてほんの一握りどころか、映画の字幕翻訳は、韓日翻訳界のドンと呼ばれるNさんの独占状態でした。

Nさんは通訳もされていて、日本にたまに来る映画俳優たちの通訳もNさんが独占していたと思います。(※最近知った話ですがNさんは留学経験なしだとか、それが本当ならすごい!と思います)

 私が日本の大学に編入したのは90年代終わりだったので、劇場のエンドロールや映画のDVDでNさんの名前を見るたびにいつか私もこうなれたらいいなぁ~ぐらいの淡いあこがれは持っていましたが、実際に翻訳者になる!とまでは思っていませんでした。

 それでも長年、韓国に住んでいたので韓国ドラマやバラエティーが面白いのは知っていました。

当時は新大久保にビデオ屋さんというのがあり、韓国の番組をVHSに録画したものが1本500円ぐらいで売られていました。今のようにネットフリックスがあるわけではないし、ネット環境もそれほど発達していなかったので、ビデオ屋さんに通って好きなドラマやバラエティーを買いあさっていた記憶があります。特に「god」という歌手が子育てをするバラエティー番組が大好きで、毎週欠かさず買いに行っていました。

私が大学に編入した1年後、新しく入ってきた編入生が大のgod好きで、その子とビデオテープを交換し合っていました。

しかしビデオテープって… 本国放送の30分後にネットフリックスにアップされている今となっては、もはや石器時代のような感覚すらします。

 

ビデオデープだけでなく、もちろんネットでvodも観れましたが、まだそこまで回線が速くなく、vodも10センチ×10センチぐらいの映像で画質もよくありませんでした。

当時、爆発的人気だったのはウォンビン主演の「秋の童話」です。妹たちとパソコンのモニターにかじりついて小さい画面でvodを一気見した記憶があります。

そんな私がいつ映像翻訳者、つまり韓国ドラマの字幕や吹き替えを手がける翻訳者になろうと思い立ったのか。

次回から詳しくお話ししていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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