帰国子女の私が韓流ドラマの翻訳者になるまでの話②

①    日韓ワールドカップ開催

 大学に編入した私は、カフェや居酒屋でバイトをしながら、翻訳会社にも登録していました。語学系の大学だったので、学校の掲示版に「韓日翻訳者募集」という張り紙が貼ってあり、そこに応募したのだったと思います。

そもそも、韓国語自体が20年前は希少言語で、募集の件数も少なかった時期です。私が登録していたのは、その小さな翻訳会社ともう1つ大手の通訳会社だけでした。

その翻訳会社から初めて仕事をもらったのは忘れもしない2001年の夏頃でした。

2000年を過ぎると、MXTVというケーブルテレビで、韓国ドラマがたくさん放送されるようになっていました。もちろん日本語字幕がついているのですが、字幕翻訳者さんもNさんではない違う人で、誰が翻訳してるのかな、とエンドロールを食い入るように見ていた記憶があります。特に覚えているドラマがキム・ハヌルとキム・ジェウォン主演の「ロマンス」教師と生徒の禁断の恋の物語ですが、もうきゅんきゅんしすぎて録画して何度も見ていたと思います。

 やっぱり私はドラマが好きだわぁ~と、確かそのときも「通訳翻訳ジャーナル」など買って、どうやったら映像翻訳者になれるかというのは探していました。でも韓日の字幕翻訳者になる道、というのは一切書かれていなかったように思います。

 そんな中、話は戻り2001年の夏の終わり、F翻訳会社から、韓国ドラマの短編の仕事が2つ入りました。

脚本をそのまま全部訳す、いわゆる全訳、下訳と言われるものです。

希少言語の場合、この全訳、下訳を元に、英語の字幕翻訳者さんや、吹き替え翻訳者さんが、吹き替え台本や、字幕に仕上げるというやり方がほとんどです。

当時、2002年に開催される日韓ワールドカップに向けて盛り上がっている時期でした。そのため地上派では放送されることのなかった韓国ドラマが、短編ではありますが、放送されることになったのです。
そのときは、誰にでも分かり安い吹き替え版が放送されることになりました。今でもおそらく日曜洋画劇場(今やってるか分かりませんが)などは吹き替えが主流ですよね。

翻訳会社に仕事を回すのは制作会社です。

本来は制作会社でお抱えの字幕翻訳者さんや吹き替え翻訳者さんがいます。
ですが希少言語の場合、そのたぐいの人材がいないため、希少言語を扱う翻訳会社に仕事が振られるわけです。

この制作会社さんからF翻訳会社に全訳をした翻訳者さんに直に質問がしたいとうことで、直接電話でディレクターさんとお話しする機会がありました。随分前のことですが、ディレクターさんと電話で話したことを今でも覚えています。かなり緊張していてガチガチだったはずです。
ありがたいことに、私は吹き替え翻訳者ではありませんが全訳をした翻訳者として名前も出してもらえることになりました。

もう20年前になるので、どこの制作会社で何さんだったかは覚えていませんが、オンエア時は、自分の名前がエンドロールに出るのを確かめるべく、TV他面にくっつきそうになりながら、放送を見ていました。自分の名前がエンドロールに流れたあの時の興奮は今でも忘れられません。

そのとき、私の中で、吹き替え翻訳も面白いかも、という発想が出てきたと思います。

その単発ドラマのあと、字幕の監修や特典の翻訳など多くはありませんが、
いくつかは依頼がありました。

ただ映像翻訳者でもやっていけるかも、と決意するキッカケになった出来事があったのは、それから1年後ぐらいのことでした。



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