帰国子女の私が韓流ドラマの翻訳者になるまでの話③
②初めての連続ドラマ
単発ドラマ後、まだ大学生だった私は、韓国系のITベンチャー企業でバイトを始めます。当時は、カフェ、居酒屋、ITベンチャーと3つぐらい掛け持ちしていました。社長さんは韓日カップルで社員はプログラマー1人だけ、奥さんが秘書のようなことをしていました。最初は、オモチャの輸出や英会話アプリの翻訳などがメインだったので、翻訳作業や事務作業を手伝っていました。
バイト先のカフェに遊びに行ったある冬の日。1本の電話がかかってきた。珍しくF翻訳会社からだった。
内容は連続ドラマの下訳の依頼!(※下訳とは字幕や吹き替えの形式ではなく、すべてを訳すというもの)しかもN●●のBSで放送される。
反応がよければ地上派放送もあるかも、という話だった。
私は2つ返事で受けた。その日、映画のワンシーンのように、粉雪が舞っていたのを覚えている。
しかもそのドラマ、前述した新大久保のビデオ屋さんで借りて見ていた。当時人気だった「人魚姫」という超長いイリルドラマ(毎日ある30分の帯ドラマ)があり、ザ・韓ドラというぐらい何でもありの展開で目が離せない作品だったのだが、それを借りるついでに、依頼のあった連続ドラマも借りたのだったと思う。
正直、主人公のYは好みではなかった。当時20代だったYだが、高校生役が似合わなすぎた…まさか彼がその後、あれほどフィーバーするとは…韓国人の誰が予想しただろうか。
あの1作品で、主演女優と主演男優は人生が変わったはずだ。(もちろん私も)
全訳をしたのは私だが、N●●会話に出ていらした有名な先生が監修につくことになった。監修とはいえ、私は名もない翻訳者なので、翻訳者としてその作品に名前が出ることはなかった。
その作品がBSで放送が始まった時は、(吹き替え版でした)まだ韓国語の作品が世に出て間もなかったので、名前の読み方などいろいろと苦労した。
韓国語は語頭が濁らない。プサンのように本来Bの音も語頭ではPになる。あとリエゾン(連音)になるので文字通りに発音されない。そこも吹き替えなのでどのように発音するのがベストか何度も問い合わせが来た。
今でもN●●では語頭ルールが使用されている。たとえばキム・ギジュンと名字と名前がくっついた時はk(キ)が濁るのでギジュンとなるが、名前単体だとキジュンという発音になる。この使い分けがされてる。(そのルールができた瞬間に立ち会っているので、何とも複雑なのです、訳す方としてはちょっとメンドクサイ)
さて話が脱線したが、そのN●●初の韓ドラとなった作品Aのおかげで私は、「吹き替え翻訳者」になると決めた。
字幕は韓日翻訳界のドン、Nさんがいるから、どう頑張っても第一人者にはなれない。
しかし韓国ドラマもついに吹き替え作品がN●●で放送されるのだ。
韓国ドラマは面白いから、絶対にヒットする。と私は思った。
(フタを開けたらヒットしたどころじゃなかったが)
今、韓国語から直で吹き替え台本をつくる技術を身につけておけば、絶対に重宝されるし、「韓日吹き替え翻訳者の第一人者」になれる、と考えたのだ。
だが当時、希少言語だった韓国語の吹き替え翻訳をできる人がいないわけだから、教える人もいるわけがない。
仕方なく私はF翻訳会社が主催している「英日の吹き替え翻訳者養成講座」に通うことにした。
学費は各週3時間ずつ1年コースで30万円ちょっとだったと思う。帰国子女で日本語も怪しい私が、英語のドラマを翻訳するコースを受ける…?
考えただけでも気が遠くなりそうだったが、「韓日吹き替え翻訳者の第一人者になる」という夢に私はかけた。
貧乏学生に30万は高い。F翻訳会社は仕事も依頼していることだしと、 月々3万円ずつの分割にしてくれた。
講師の先生は、NHKのドキュメンタリーの演出と翻訳をされる方で、教え方も丁寧でフレンドリーないい方だった。(のちにこの先生が、サンドゥ学校に行こう、とかシークレットガーデンの吹き替えを担当する。下訳は有名な韓国語講師の人だった)
その講座が終わっても数年間はたまに卒業生で集まって食事をしていたのを思い出す。当時、お気に入りの街にみんなを招待して、遠すぎるとブーイングされたこともあった(笑)
確かそのとき、森の見えるレストランで「10年後、自分は何をしてると思う?」と聞かれて、「パン屋さん」と答えた。
あれからもう10年以上経っているが、まさか今、韓国の島でのんびりしながらそれでもまだ翻訳を続けているとは思っていなかったし、ネットフリックスなんてものが出てきて、「イカゲーム」が世界中で大ヒットし、日本人の若い子はイカゲームのジャージを着ていたり、割とアジアに限られていた韓流ブームがKコンテンツという名前でアメリカや欧米でも人気になるとは…
ほんと何が起こるか分からない。
ちなみに2021年の時点では第4次韓流ブームと言われていた。
私は第1次の波が来る作品から関わっているので、いつの間にかブームが4つも過ぎ去ったのだ。
面白いとは思っていたがここまで成長するとは…恐るべし韓国の底力。
日本人とはまた違う忍耐強さを感じる。
さて、すぐに脱線するが、私は英日の養成講座を受けながらN●●のドラマの下訳を続けた。当時1話、下訳代が5000円だった。翻訳だけではまったくお金にならないので、ヤフーのなんとかフォンのオペレーターもやっていたし、IT企業でもバイトを続けていた。(ヤフーなんとかフォンは、クレームの電話がひどすぎてノイローゼになりかけ、やめた)
就職活動は、1社だけ試験を受けたが落ちた。その時点で、卒業してからも、バイトをしながら「韓日吹き替え翻訳者の第一人者になる」と決めていた。
そのためにもN●●の韓流枠の吹き替えをするのが夢だった。
その夢はなんと早くも2005年には叶うことになるのだが、その前の3年間で、下積みから詐欺事件までいろいろな事件が起きるのだった。
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