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読書前ノート(4)

佐藤貴史『ドイツ・ユダヤ思想の光芒』(岩波書店、2015年)

本書では、主に20世紀のドイツ・ユダヤ人思想家たち——ヘルマン・コーエン(Hermann Cohen, 1842-1918)、マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878-1965)、ゲルショム・ショーレム(Gershom Gerhard Scholem, 1897-1982)、レオ・シュトラウス(Leo Strauss, 1899-1973)——が、ニーチェとスピノザという偉大な思想家を参照軸としつつ、取り扱われている。ユダヤ人は〈常にすでに〉抑圧された宗教的民族ではあったものの、ヒトラー率いる20世紀のドイツにおいてその抑圧は、ユダヤ思想に対しても特別な影響力を有していたはずである。そうした特殊で非人道的な時代状況の中で、ユダヤ人思想家たちは一体何を思考し、議論してきたのであろうか。マイノリティである〈我々〉の立場からではなく、ユダヤ人自身がどのように考えたかということを把握することがひとつ重要な事柄であるように思われる。本書はその手がかりを与えてくれるのではないだろうか。

D. F. シュトラウス『イエスの生涯』(岩波哲男訳、教文館、1996年)

ドイツの宗教批判は本書から始まり、フォイエルバッハやバウアー、マルクスへ影響を与えた。著者のダーフィト・シュトラウス(David Friedrich Strauß, 1808-1874)はヘーゲル左派の一人として知られている。今年1月に講談社学術文庫から出版されたヘーゲル『宗教哲学講義』(山﨑純訳、講談社、2023年)には「D・F・シュトラウス「ヘーゲル「宗教哲学」講義」(1832年)の要約」が収められている。シュトラウスが『イエスの生涯』第1巻を出版したのが1835年であるから、その前にシュトラウスはヘーゲルの宗教哲学を我有化していたといえよう。それでは『イエスの生涯』にはいかなる点でヘーゲル宗教哲学の影響が見られるのであろうか。あるいはヘーゲル宗教哲学のうちにシュトラウス『イエスの生涯』に結実する萌芽が見られるのであろうか。歴史学の観点から福音書を神話として解体した本書の意義は、強調しすぎてもしすぎることはない。キリスト教国家の中でそれをやってのけたシュトラウスは、理論的には合理主義的であるが、当時の時代状況を鑑みると極めて異常な人間である。本書の冒頭でシュトラウスはイエスの物語の「考察方法 Betrachtungsweise」には三つあることを示唆している。一つ目が「自然的な natürlichen 考察方法」であり、二つ目が「超自然的な supranaturalen 考察方法」である。これらの考察方法は古くなっており、これに対してシュトラウスが本書で新たに打ち出しているのが三つ目の「神話的な mystische」観点である。「このこと(神話的な観点:引用者注)は、決してイエスの物語全体が神話的と称せられるべきだということではなくて、物語のうちのすべてが、神話的なものをそれ自身含んでいるのではないか、と批判的に吟味されるべきである、ということである」(5〜6頁)。したがって、イエスの物語における〈神話的なもの〉の絶妙な位置付けをいかにして把握するべきかということが、本書の重要な課題となる。

アントワーヌ・アルノー/ピエール・ニコル『ポール・ロワイヤル論理学』(山田弘明・小沢明也訳、法政大学出版局、2021年)

4月に入り、私にも社内異動があり、部下は2人から8人へ増えた。——増えすぎじゃないかー?——増えた部下とコミュニケーションを取るのだが、私は細かいフィードバックをするときに「ロジック」という言葉を使う。だが、いきなり「ロジック」などと言われても、部下が即座に理解できるはずがない。『それはどういう意味でしょうか?』とわざわざ質問させるのも野暮である。私がいう「ロジック」とは哲学的論理学のそれであって、つまりその際に観念されているのはアリストテレス以来の論理学からヘーゲルの論理学までであって、今巷の本屋で手に入る論理学の教科書に書いてあるような現代数理的論理学ではないからである。ビジネスの現場では記号化された論理学は不要である。むしろ必要な観念は思考のための道具であって、「類—種」関係や推論だとか「普遍性—特殊性—個別性」だとか「抽象—具体」とか、存在—本質—概念」といった関係性を理解しておくことだろう。問題は「ロジック」を伝える類の本がなかなか存在しないということである。どんなに間違っても初学者向けにヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』など決して手にとってはならないし、戸田山和久『論理学をつくる』も取っ付きにくいので不要である。そういう意味では、アントワーヌ・アルノー/ピエール・ニコル『ポール・ロワイヤル論理学』が役にたつかもしれない。本書は論理学の手引きとして、実際に教育の現場——ポール・ロワイヤル修道院だけでなく、その後の大学でも用いられた——で教えることを前提として書かれているからである。その「ロジック」は300年以上経った現代でも有効である。


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