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弊社の販売契約社員5年満期雇い止めに妥当性はあるか

無期転換ルールの適用を意図的に避けることを目的として、無期転換申込権が発生する前に雇止めをすることは、労働契約法の趣旨に照らして望ましいものではありません。また、有期契約の満了前に使用者が更新年限や更新回数の上限などを一方的に設けたとしても、雇止めをすることは許されない場合もありますので、慎重な対応が必要です。

厚生労働省HP

元部下の退職

 元部下から連絡がきた。「お世話になりました。」 当然知ってはいたが、今月で弊社を辞めるのだという。 ちょうど一年前まで自分が担当していた。働きぶりも良く、雇い止めになるという事実は受け入れ難い。 自分が販売契約社員だったときには5年経ったら無期転換ルールがあったのだが、ある時期以降に入社したメンバーからは無期転換ルールは廃止されたようだ。入社時の雇用契約書から明文化されているとはいえ、それはさすがにやりすぎというか、おかしいんじゃないの?と思っている。 会社批判をするのが良いと思わない社員もいるようだが、私は自社株をある程度保有している正式な「社員」であるから、私の考え方の方が合理性があると考える事柄についてはステークホルダーとして書かせてもらう。

ブラック企業問題

 「ブラック企業」*1とはこのことか、と思った。「ブラック企業」とはもちろん弊社(ソフトバンク株式会社)のことである。こんなことを書いたら私は弊社から訴訟を起こされても仕方がないと思うが、「ブラック企業」という評価に関しては私の意見も尊重されるべきである。何より労働問題という大事なことについて、明確に批判できない社員が増えているのが情けない。弊社の労働組合は正社員の給与額のベースアップだけを交渉しているが、臨時社員の側にももっと眼を向けるべきである。 販売契約社員採用時の雇用契約に基づいて、被雇用者が5年満期で契約更新終了になる。これはシャイロックよろしく雇用契約書通りに遂行されたから問題ない、と会社は考えているのだろう。だが昨今の資本主義市場で重視されるのは倫理である。販売契約社員を5年以上雇わないことで何が企図されているのか。その制度は、無期転換ルールを回避することを目的としている。だが、人間は歳を取るし、5年もその仕事に従事していたら、20代の人間でも30代に突入する。結婚もすれば子供もできる。徐々に他業界への転職も厳しくなる。真っ当な倫理観を持っているならば、企業は被雇用者の年齢に応じた責任を持つべきである。5年も契約更新された熟練労働者は賃上げされるのが当然である。契約社員といえども、その仕事に負っている責任は正社員のそれと同等である。5年で雇用関係が終了する弊社の現行制度は、会社が大人としてのそうした責任を一切負いたくない、と宣言しているようなものである。それは端的に言って倫理に反している。私が「ブラック企業」と呼ぶゆえんである。今はまだ序の口だが、すでに多少は現場に弊害が出てきている。要するに雇用開始から約5年程度経過した熟練労働者が居なくなるのだから、人が減った分は新規採用で穴埋めをしなければならない。だが、人を育てるというのは単に知識を詰め込むとかスキルを身につけてもらうとかそういった側面だけで判断されるべきではない。熟練労働者が身に纏っているのは、その労働の歴史そのものであり、雇用停止によって会社は自身の歴史の継承を喪失することになる。むしろ労働を通じて得られた歴史性こそが、会社の核を形成することになる。雇用関係の終了は、せっかく人を育てている我々の成果をも否定する行為である。無駄もはなはだしい。

解雇権濫用法理

 販売契約社員5年雇い止めには、場合によっては解雇権濫用法理(労働契約法第16条)が類推適用される場合があり得ると筆者は考える。なぜならば、(1)販売契約社員が行なっている業務は販売職正社員と全く変わらない(にもかかわらず、形式的に臨時社員として扱っているに過ぎない)点、(2)雇用契約更新の形式的な反復性とその多さ、そしてここからが本題なのだが、(3)販売契約社員5年目の最後の半期に正社員登用試験を受けた場合には、その者は一定期間に渡って平均を超える能力を収めたものと見なされ、したがって雇用契約の当初より5年満期の雇用契約書に両者が合意しているとしても、数ヶ月にわたる最後の正社員登用試験のプロセスにおいて、雇用の継続を期待する合理的な理由が発生すると考えられるからである。
 正社員登用の合否結果は解雇のおよそ1ヶ月前まで開示されないので、正社員登用をエサに販売契約社員に対する労働強化の手綱はギリギリまで緩められることがないのだが、これによって絶対的・相対的剰余価値が見事に極大化されている光景を定期的に観るのは、極めて「ブラック企業」的な風物詩である。
 ルドルフ・フォン・イェーリング(Rudolf von Jhering, 1818-1892)の『権利のための闘争』(Der Kampf ums Recht, 1872)に倣い、当事者は自身の権利を主張して闘うべしと筆者は考えるが、弊社に訴訟を起こすような知的体力のある者がこの仕事についているとは到底思えない——常識的に考えて、解雇された臨時社員が弊社法務部の弁護士とやり合って勝てる目算がどれほどあるだろうか——ので、残念ながらこの点でも会社の思う壺なのである。

*1: 今野晴貴『ブラック企業』文藝春秋、2012年

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