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清少納言『枕草子』試論

*サムネイル画像は百人一首図絵 (田山敬儀 国文学研究資料館 タ2/208/1-3)による。

はじめに

 清少納言『枕草子』を実際に読んだことがあるだろうか。おそらくは、学校の古典の授業等で読まされたであろう〈それ〉は、『枕草子』だと言えるであろうか。
 筆者は今回、『枕草子』のくずし字を見て、ある種の困惑を覚えた。というのも、『枕草子』をくずし字で読むという体験そのものが、現在流通している版を読むこととは非常に異なっていると言わざるを得ないからである。その衝撃は、筆者が初めてドイツ語のひげ文字(Fraktur)で『共産党宣言』を読んだときの感覚に近い。
 くずし字については、2021年8月30日に提供開始された「みを(miwo)」(人文学オープンデータ共同利用センター(CODH))という画期的な「AIくずし字認識アプリ」の登場により、我々にとってその可読性が極めて身近なものとなりつつある。「みを」は、江戸時代のくずし字の画像をデータベースとして用いて機械学習を行うことによって、AIでくずし字を翻刻することを可能とした。この手法を応用すれば、例えば、マルクスの手稿の筆跡が„nir“か„nur“かという問題(大谷2004)についてもAIが判別してくれるであろう。

清少納言『枕草子』

 以下では清少納言『枕草子』を読む。 本文は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより北村季吟『枕草子春曙抄』(1674年跋文)の原文、およびちくま学芸文庫の島内裕子校訂・訳(筑摩書房、2017年)を参照する。

第一段

四季の変化

北村1674(早稲田大学図書館古典籍総合データベース:文庫30_e0094_0001_p0006
北村1674(早稲田大学図書館古典籍総合データベース:文庫30_e0094_0001_p0007

 春は、曙。漸う白く成り行く。山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の、細く棚引きたる。
 夏は、夜。月の頃は、更なり。闇も猶、蛍、飛び違ひたる。雨などの降るさへ、をかし。
 秋は、夕暮。夕陽、華やかに差して、山際、いと近く成りたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ、四つ、二つなど、飛び行くさへ、哀れなり。増いて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆる、いと、をかし。陽、入り果てて、風の音・虫の音など、いと哀れなり。
 冬は、雪の降りたるは、言うべきに有らず。霜などの、いと白く、又、然らでも、いと寒き。火など、急ぎ熾して、炭、持て渡るも、いと、付付し。昼に成りて、温く、緩び持て行けば、炭櫃、火桶の火も、白き灰勝ちに成りぬるは、悪ろし。

(島内2019:19)

第一段では、清少納言から見た春夏秋冬、すなわち四季の特徴が表現されている。清少納言が四季の特徴をそれぞれ挙げることができたのは、日本の気候により四季の移り行きがそれだけはっきりしているからである。これがもし北極圏や南極圏、もしくは赤道直下の熱帯地域だったりすると、一年中寒かったり暑かったりして気温の変化が少ないので、四季を特徴的に表現することが難しいであろう。
 清少納言が着目する四季の変化は、自然によって表現されている。「春は曙」、「夏は夜」、「秋は夕暮」と来て、「冬は雪」である。その際に清少納言が着目するのがである。清少納言は、「春は曙」という太陽が昇る時間帯と、「秋は夕暮」という日没の時間帯に言及する際には、太陽の光に着目する。「夏は夜」という場合には、蛍の光に着目している。「冬は雪」という場合には、「火桶の火」の光に着目している。
「漸う白く成り行く。山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の、細く棚引きたる。」これはグラデーションに富んだ表現である。
「雨などの降るさへ、をかし。」これは、雨といえば濡れて不快感を持つような、一見するとネガティヴな気候であっても、夏の気温が高いことによって、その清涼感が「をかし」と感じられることを表現している。
「増いて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆる、いと、をかし。」秋の季語に「雁渡し」がある。これは雁が渡ってくる10月8日から10月12日頃に吹く北風のことを指している。清少納言は、秋を示す時期にふさわしい動物だからこそ、雁の隊列に言及しているのである。
「昼に成りて、温く、緩び持て行けば、炭櫃、火桶の火も、白き灰勝ちに成りぬるは、悪ろし。」炭といえば黒であるが、炭が黒から白へと変化することで、炭火の暖かさと色が、冬の寒さと雪の白さによって染まりゆく様が描かれているといえよう。

(つづく)

文献

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