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自民党「日本国憲法改正草案」を読む

はじめに

 先日射殺された安倍晋三(1954-2022)元首相は,亡くなる5日前に千葉で行った講演の中でも憲法改正(以下,「改憲」と略記)の必要性を力説していた*1.改憲に関して岸田文雄(1957-)現首相は,安倍氏の改憲についての「思いを受け継ぎ、果たせなかった難題に取り組んでいく」と述べ,「できるだけ早く発議に至る取り組みを進めていく」と述べた*2.安倍氏の死をトリガーとして,今後,改憲の動きが加速する可能性がある.
 加えて,安倍氏を射殺した山上徹也容疑者が「『統一教会』に恨みがあり、安倍元首相が近しい関係にあると思ってねらった」との発言を受けて,安倍晋三をはじめとする自民党政治家とカルト教団のいわゆる「統一教会(協会)」*3との癒着の問題が取り沙汰されている*4.
 今回の安倍氏射殺事件を受けて,テロまたは暴力行為による「民主主義の危機」を喧伝する動きが見受けられたが,筆者は,第三次安倍内閣時代(2014-2015年)に取り決めが行われた平和安全法制*5の違憲立法のほうがまさに「民主主義の危機」として問題だと考えている.山上氏による安倍氏殺害という違法行為については,刑法という国内法の正規の手続きにより,山上氏を現行法の下で処罰可能である.が,これに対して,代議制民主主義によって選ばれた政府による憲法または法の蹂躙は,何人たりとも処罰不可能な違憲行為だからである.
 政府は,マジョリティに支持されて選ばれた存在であるからといって,憲法を超越して権力 Gewalt を行使しても良いのではない.なぜなら,それは権力を制限するという憲法の精神——立憲主義——に反するからである.民主主義にとって真に脅威となり得るのは単なる物理的暴力 Gewalt ではなく政治的権力 Gewalt の濫用である.後者の代表格が安倍内閣であった.岸田内閣による改憲の動きがある以上,今改めてまさにこのことが問題とされねばならない.

自民党「日本国憲法改正草案」

 以下では,自民党「日本国憲法改正草案」(以下「改憲草案」と略記)を批判的検討に付す.

前文

 憲法前文に関しては,全面的に書き改められている.現行憲法が主に恒久平和の理念を掲げているのに対して,改憲草案からはどことなく儒教イデオロギーの腐臭がする.

 日本国は,長い歴史と固有の文化を持ち,国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって,国民主権の下,立法,行政及び司法の三権分立に基づいて統治される.

(改憲草案,1頁)

冒頭一行目に関してまず目につくのは,現行憲法では「日本国民 We, the Japanese people」を主語 subject としているのに対して,改憲草案では「日本国 Japan」を主語としている点である.若きマルクスのフォイエルバッハ主義の観点からすれば,「日本国」から出発するのか,それとも「日本国民」から出発するのか,という両者の間には天と地ほどの差が存在する.
 現行憲法が「日本国民」から出発するのは,いわゆる〈国家,エタ État またはステイト State 〉としての「日本国」が主体 subject なのではなく,〈人民,プープル people 〉としての「日本国民 Janese people」が真に主体であることを,文体上でも表現しているからである(主権在民,あるいはプープル主権).
 これに対して,改憲草案では,「国民主権 sovereignty of the people」を明記しつつも,「日本国民 Japanese people」ではなく「日本国 Japan」こそが真に主体であることを,その文体によって示している.改憲草案では,〈人民 people〉としての「日本国民」が「長い歴史と固有の文化」を持つのではなく,〈国家 state〉としての「日本国」が「長い歴史と固有の文化」を持つとされるのである.

〈立憲君主制〉としての「日本国」

 ところで〈国家 state〉とは近代的概念であり,それ自体は決して「長い歴史」を持たない.それはせいぜいマキアヴェッリのstato論に遡ることができる程度である.そうすると,改憲草案の中で「長い歴史と固有の文化」を持つとされる「日本国 Japan」は〈国家 state〉ではないのではないか,という疑問が頭に浮かんでくる.
 もし「日本国 Japan」が〈国家 state〉という近代的政治的概念ではないとすれば,改憲草案の示す「日本国 Japan」とは一体いかなる概念なのだろうか.
 これを読み解く鍵は,差し当たり「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」という箇所にある.ここには,「日本国民 Japanese people」——そこにアイヌや沖縄の人々が含まれるならば,いわゆる〈民族,ナシオン nation 〉としては,日本は単一民族国家ではあり得ない——を「日本国 Japan」の名の下に統合して国民国家たらしめているのは,その象徴たる「天皇 Emperor」であるという認識が示されている.そしてここに示されているのは,単なる象徴天皇制ではなく,「天皇を戴く国家」すなわち天皇が「日本国」の「元首」として君臨するという立憲君主制 constitutional monarchy の図式なのである*6.
 天皇の由来はイザナミとイザナギの神話(『古事記』および『日本書紀』)に遡ることができ,その神話をも含めて「日本国は,長い歴史と固有の文化を持」つと述べられていると考えられる.その限りで,改憲草案の「日本国」は近代的概念どころかむしろ反近代的概念でさえある.

第二パラグラフ

 次の第二段落に示されているのは,国際社会において果たすべき「日本国」の役割——自民党がそのように考える限りでの——である.

 我が国は,先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し,今や国際社会において重要な地位を占めており,平和主義の下,諸外国との友好関係を増進し,世界の平和と繁栄に貢献する.

(改憲草案,1頁)

「先の対戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し,今や国際社会において重要な地位を占めており」という箇所は,自民党による「日本国」の歴史認識に他ならない.憲法の条文はその制定後には固定化されるが,歴史認識は時代と共に変化するので,憲法と歴史認識との間の軋轢は時代と共にますます大きくなる.よって,憲法の耐用年数を長くする為には,憲法の中に歴史認識を組み込まない方が望ましい.
 この第二段落は,改憲草案「第二章 安全保障」と関係がある.「平和主義の下,諸外国との友好関係を増進し,世界の平和と繁栄に貢献する」という箇所からは,集団的自衛権の行使により,国防軍の海外派遣を行えるようにしようとする自民党の思惑が垣間見える.

第三パラグラフ

 日本国民は,国と郷土を誇りと気概を持って自らを守り,基本的人権を尊重するとともに,和を尊び,家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する.

(改憲草案,1頁)

ここで第三パラグラフになってようやく本来の主権者である「日本国民 Japanese people」が登場する.
 ここで特徴的なのは,日本国民が「和を尊び,家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と述べられている点である.字面だけ追うと道徳的に良いことを述べているように一見思われるのだが,そもそも憲法にこんなことをイチイチ明文化されてはたまったものではない.改憲草案には,この箇所がそっくりそのまま条文として書き込まれているのである.

第二十四条 家族は,社会の自然かつ基礎的な単位として,尊重される.家族は,互いに助け合わなければならない.

(改憲草案,8頁)

この箇所は改憲草案で新たに盛り込まれた箇所であるが,これでは山上徹也容疑者の母親がいくら統一協会に献金しようとも,それによって家族が崩壊しようとも,親族は「家族なんだから助けてあげなさい」と憲法に命令されてしまうことになろう.
 そもそも「家族」とは「社会の自然かつ基礎的な単位」ではない.「家族」とは「社会」と区別される圏域であって,「社会」の中に包摂される要素ではない.
 しかし,これに対して,改憲草案では,家族とは「社会の自然かつ基礎的な単位」だとされる.したがって,家族とは,社会から独立した共同体ではなく,社会の構成要素に過ぎない.これによって家族は社会の要請に従わざるを得なくなる.家族には,社会から切り離された自由は存在しない.

(つづく)

*1: 「安倍氏,5日前に千葉で講演 「憲法改正しかない」」(産経新聞,2022/7/8 19:48).
*2: 「憲法改正「安倍氏の思い引き継ぐ」 岸田首相 投開票受け会見 物価高対策「上乗せ」も具体策は言及避ける<参院選2022>」(東京新聞,2022年7月11日 21時56分).
*3: 旧「世界基督教統一神霊協会」(通称「統一教会(協会)」),現「世界平和統一家庭連合」(通称「家庭連合」).
*4: 鈴木エイト「「安倍氏は三代にわたって付き合いがあった」マスコミが書かない山上容疑者・統一教会・自民党をつなぐ点と線」(PRESIDENT Online, 2022/07/13 15:00).
*5: 「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(平成27年(2015年)9月30日法律第76号)」(通称 平和安全法制整備法)と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(平成27年9月30日法律第77号)」(通称 国際平和支援法)の総称.
*6: 「第一章 天皇/(天皇)/第一条 天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく.」(改憲草案,2頁).

文献

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