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アリストテレス『政治学』試論


はじめに

 今日、我々にとって、アリストテレス『政治学』(Ἀριστοτέλης, Τα Πολιτικά)は何を残すか。
 本書は政治哲学および国家学の古典と言われる。従来、そのような読み方が為されてきたが、政治学を専門としないごく普通の人々は、本書からどんな示唆を得ることができるであろうか。
 ごく普通の人々は、ほとんどの場合、政治学に関心を持たない。実際、選挙に参加しない人々が国民の約半数を占めている。近年の国政選挙での投票率は50%台であり、投票率は年々下落傾向にある。
 近年のこのような政治状況を前提として、アリストテレス『政治学』の知見を通じて現代日本の政治状況を一瞥するならば、一体何が見えてくるだろうか。

共同体の目的と国家共同体について

(Aristoteles1540: 1)

およそ国家というものは、私たちが目の当たりにしているように、どれもが一種の共同体であり、どの共同体も何らかの善のために形成されている。それは、万人が、善いと考えた目的のために万事を行うからにほかならない。それゆえ、多くの共同体のすべてが何らかの善を目指していることは明らかだけれども、とりわけ、あらゆる善の中で最高のものさえも目指すのが、他の一切の共同体を包括する最高の共同体である。これこそが国家と呼ばれるものであり、すなわち国家共同体である。

(アリストテレス『政治学』三浦洋訳(上)22頁)

アリストテレスによれば、「共同体 κοινωνία」の目的は「善 ἀγαθός」である。「善」とは何であろうか。「善」のあり方にもいろいろあり、優劣が存在する。また「共同体」と一口にいっても、家族であったり結社であったり、様々なあり方での「共同体」が存在する*1。
 「あらゆる善の中で最高のものさえも目指すのが、他の一切の共同体を包括する最高の共同体である」。ここでは二つの事柄がいわれている。すなわち、第一に、最高の共同体は、いわゆる最高善を目指すこと。そして第二に、その最高の共同体は、「他の一切の共同体を包括する」こと。したがって、最高の共同体とその他一切の共同体との間には、包摂関係が発生する。その限りで「国家共同体 πολιτική」は共同体の中の共同体、勝義の共同体なのである。

単語

 私は大学でも大学院でもギリシア語を習ったことはなく、またギリシア語文献講読に参加したこともなく、今回初めてアリストテレス『政治学』のギリシア語を通じてギリシア語を学ぶ者である。したがって、以下に示す単語の性数格変化等々は、私のギリシア語学習の過程を書き残したものであって、正確性の面では一切保証しないことを予め断っておく。読者諸賢の御指摘を乞う。

l.1.【接続詞】ἐπειδὴ「〜というのは」
l.1.【限定詞】πᾶσαν [=ϖᾶσαν]「どれも」: πᾶςの女性単数対格
l.1.【名詞】πόλιν「ポリス、国家」: 女性名詞πόλιςの単数対格
l.1.【動詞】ὁρῶμεν [=ὁϱῶμεν]「私たちが見ている」: ὁράωの一人称複数/能動態/直接法現在
l.2.【名詞】κοινωνίαν「コイノーニア、共同体」: 女性名詞κοινωνίαの単数対格 l.2.【不定代名詞】τινὰ「何らかの」: τιςの女性単数対格
l.2.【分詞】οὖσαν [=ᴕ῏σαν]「実際の」: ὤνの女性単数対格
l.2.【接続詞】καὶ「そして、また」
l.2-3.【限定詞】πᾶσαν [=ϖᾶσαν]「どれも」: πᾶςの女性単数対格
l.3.【名詞】κοινωνίαν「共同体」: 女性名詞κοινωνίαの単数対格
l.3.【形容詞】ἀγαθοῦ [=ἀγαθᴕ῀]「善の」: ᾰ̓γᾰθόςの男性単数属格
l.3.【不定代名詞】τινος*2「何らかの」: τιςの男性単数属格
l.4.【後置詞】ἕνεκεν「〜のために」: ἕνεκαの代替形式
l.4.【動詞】συνεστηκυῖαν「結成する」: συνίστημιの三人称複数/能動態/希求法アオリスト[?]
l.4.【不定代名詞】τοῦ [=τᴕ῀]「何らかの」: τιςの単数属格
l.4.【接続詞】γάρ [=γάϱ]「〜のために」
l.5.【動詞】εἶναι「〜であること」: εἰμίの能動態/現在不定詞
l.5.【形容分詞】δοκοῦντος [=δοϰᴕ῀ντος]「〜と考えられている」: 【分詞】δοκῶνの中性単数主格δοκοῦνと【接頭辞】-τοςの完了受動態/形容詞形/男性単数主格
l.5.【形容詞】ἀγαθοῦ [=ἀγαθᴕ῀]「善の」: ἀγαθόςの男性単数属格
l.5.【前置詞】χάριν [=χάϱιν]「(属格)のために」
l.6.【限定詞】πάντα [=ϖάντα]「すべての」: πᾶςの男性単数対格
l.6.【動詞】πράττουσι[=πϱάττᴕσι]「〜が行う」: πράσσωの直接法現在/能動態/三人称複数
l.6.【限定詞】πάντες「すべての」: πᾶςの男性複数主格
l.6.【形容詞】δῆλον「顕れる」: δῆλοςの男性単数対格
l.6.【接続詞】ὡς「目的節」
l.6-7.【限定詞】πᾶσαι「すべての」: πᾶςの女性複数主格
l.7.【助詞】μὲν「一方で」
l.7.【形容詞】ἀγαθοῦ [=ἀγαθᴕ῀]「善き」: ἀγαθόςの男性単数属格
l.7.【代名詞】τινος「何か」: τιςの男性単数属格
l.7.【動詞】στοχάζονται [=ϛοχάζονται]「目指す」: στοχάζομαιの三人称複数直接法受動態
l.7.【副詞】μάλιστα [=μάλιϛα]「最も」
l.7.【接続詞】δὲ「しかし、そして」
l.11.【名詞】πολιτική「ポリティコン、政治的共同体」: 女性名詞πολιτικήの単数主格

ラテン語訳

(Aristoteles1502: 1)
  • ギリシア語のπόλις(ポリス)は、ラテン語ではciuitas(キウィタス、civitatemは女性名詞civitasの単数対格)と訳されている*3。これは「共同体、国家」の意味である。

  • ギリシア語のκοινωνία(コイノニア)は、ラテン語ではsocietas(ソキエタス、societatemは女性名詞societasの単数対格)と訳されている。これは、様々なあり方を持つ「社会、共同体」の意味である。

  • ギリシア語のπολιτική(ポリティコン)は、ラテン語ではciuilis societas(キウィリス・ソキエタス)と訳されている。アリストテレスからカント(Immanuel Kant, 1724-1804)にまで及ぶ「政治的共同体」としてのいわゆる「市民社会 civil society」の源流が、ここにある*4。

共同体の人数規模に応じて共同体の性質は異なる

(Aristoteles1540: 1-2)

したがって、共同体(共同関係)ならばみな同じはずだと考え、[市民による]国家の支配でも、王国の支配でも、家の中の支配でも、主人の奴隷に対する支配でも、支配者というものは変わらないと思って主張を展開する人々は適切さを欠いている。なぜなら、そうした人々は、それぞれの共同体の違いが被支配者の多寡にあると考え、質的に種類の異なる共同体だとはとらえないからである。すなわち、被支配者が少なければ主人の奴隷に対する専制的支配となり、やや多くなれば家の中の支配、もっと多くなれば国家か王国の支配になるというように考え、大きな家と小さな国家に違いはないととらえているのである。さらに、国家と王国の違いをとらえるときにも、支配者が自分ひとりで権力の座に就けば王国になり、権力者に必要な知識の諸箇条に基づきながら支配者と被支配者が交代で権力の座に就けば国家になるというように、支配者の数の違いに帰しているのであるが、いずれも真実ではない。

(アリストテレス『政治学』三浦洋訳(上)22〜23頁)

ここでアリストテレスは重要な指摘をしている。共同体はその規模に応じて、単純にその構成員の数に還元され得ない、質的に異なった支配形態を伴うというのである。アリストテレスのこの指摘は、組織論上の問題提起を含んでいる。というのも、実際、会社の発展段階に伴って、いわゆるダンバー数を超えたところで企業統治の仕方が大きく異なってくることがわかっている。例えば、会社を起業したばかりのアーリーステージでは、従業員数が少ないので力技で組織をまとめることができるが、ある程度の従業員数を超えて上場を経たりすると、そこで働く従業員の数も質も力技でどうにかなるものではなく、会社のルールに沿って適切にマネジメントしていく必要がある。したがって、「国家とは大きな家族である」というナイーブな主張*5は、アリストテレスからすれば、共同体の違いについての根本的な無理解に基づいているものと考えられる。

アリストテレスの分析的探究方法

(Aristoteles1540: 2)

いま述べたことは、これまで私たちを導いてきた探究方法に従って考察すれば明確になるだろう。すなわち、国家以外の事物であっても、要素の結合から成る場合は、結合されていない要素へと分ける必要がある(すなわち、分けられた要素が、全体を構成する最小の部分である)。同様に国家の場合も、[市民や奴隷などの]構成要素について考察すれば、それらの要素同士がどう異なるかということ、また、先に述べた国家の支配、王国の支配、家の中の支配、主人の奴隷に対する支配のそれぞれについて、支配者が持つべき何らかの支配術を得られるかどうかということも、いっそうよく見えるようになるだろう。

(アリストテレス『政治学』三浦洋訳(上)24頁)

ここでアリストテレスは自身の分析的な探究方法について述べている。すなわち、事物をその構成要素から考察するという主張がそれである*6。加えて、事物の構成要素は、その事物の性質に応じて、その構成要素の性質もまた異なるものである、とアリストテレスは考える。このことは、化学物質に例えるとわかりやすいかもしれない。水とダイヤモンドでは、その物質を構成する要素が異なっている。水は水素Hと酸素O、ダイヤモンドは炭素Cから成るからである。これと同じように、国家と家族とでは、その構成要素の性質が異なっているから、それぞれが異なった支配のかたちを持つことになる。

アリストテレスの発生論的アプローチ

(Aristoteles1540: 2)

そこで、いま私たちが研究対象にしている[共同体という]事物について、どのように自然発生するかを最初のところから見てゆけば、他の自然発生物の場合と同様に最善の方法でそれらを研究できるだろう。

(アリストテレス『政治学』三浦洋訳(上)26頁)

ここでアリストテレスは、「共同体」を考察するにあたり、いわば発生論的アプローチを採用することが「最善の方法」だと考えている。その際、「共同体」は、人間たちの自由な意志決定に基づく社会契約論的アプローチではなく、むしろ「自然発生」的に生まれたものだと理解されている。「自然発生」の例として、アリストテレスは続けて男性と女性との生殖活動を挙げている。

単語

l.13.【接続詞】εἰ「もし」
l.13.【接続詞】δή「しかし、そして」
l.13.【代名詞】τις「だれか」: τιςの男性単数主格
l.14.【前置詞】ἐξ [=ἐκ]「(属格支配)〜から」
l.14.【名詞】ἀρχῆς [=ἀϱχῆς]「発生、起源」:女性名詞ἀρχήの単数属格
l.14.【冠詞】τὰ: ὁの中性複数対格
l.14.【名詞】πράγματα [=πϱάγματα]「もの、対象」: 中性名詞πράγμαの複数対格
l.14.【動詞】φυόμενα「我々が自然的にそうする」: φύωの一人称複数直接法現在 l.14.【名詞】βλέψειεν「見る」: βλέπωの三人称複数能動態希求法アオリスト
l.15【副詞】ὥσπερ「〜のように」
l.15.【前置詞】ἐν「(与格支配)〜において」
l.15.【冠詞】τοῖς: ὁの中性複数与格
l.15.【形容詞】ἄλλοις「その他の」: ἄλλοςの中性複数与格
l.15.【接続詞】καὶ「そして」
l.15.【前置詞】ἐν「(与格支配)〜において」
l.15.【指示代名詞】τούτοις「これら」: οὗτοςの中性複数与格
l.15.【副詞】κάλλιστ᾽「最善の」: 形容詞καλόςの中性複数与格、最上級
l.15.【助詞】ἂν
l.15.【副詞】οὕτω [=οὕτως]「このようにして」
l.16.【動詞】θεωρήσειεν「かれが観察する、考慮する」: θεωρέωの三人称単数能動態希求法アオリスト

男性と女性、主人と奴隷における自然と必然

まず、互いに相手を必要とし、相手なしでは生きられない者同士が一対の組になるのは必然である。例えば、生殖のために男性と女性は組になる(これもやはり、人間に特有の意図的な行為ではなく、他の動物や植物の場合と同様、自分自身と似たような他の個体を残したいという欲求を持つことは自然的なのである)。また、自然的な性質に基づいて支配者になる者と被支配者になる者とが、互いを活かして生存するために組になる場合もそうである。つまり、知性によって先を見通せる者こそが自然的な支配者であり、主人になる性質の者である。他方、その見通された事柄を、身体によって仕事として行える者が被支配者、すなわち、自然的に奴隷になる性質の者である。それゆえ、同一の事柄が、主人のためにもなれば、奴隷のためにもなるわけである。

(Aristoteles1540: 2-3; 三浦訳(上)26〜27頁)

ここでアリストテレスは男性と女性の関係*7、また主人と奴隷の関係を、「自然」と「必然」の観点から考察している。「自然」と「必然」と対照をなすのが、「人間に特有の意図的な行為」である。この点で、人間は他の生命体である動物や植物と同様の自然性を持っている。
 アリストテレスにとって主人と奴隷という関係は、その者たちの得意分野に基づく役割分担だとも言える*8。アリストテレスによれば、頭脳を使うのが得意な人間には指示者としての主人の役割が相応しく、また肉体を使うのが得意な人間には主人の適切な命令を受ける奴隷の役割が相応しい。したがって、アリストテレスがここでいう「自然」とは、生まれの階層に基づく世襲制による奴隷制度の再生産を正当化したものではなく、個々の個体ごとの特性に合わせた分業の結果と考えられる*9。

(つづく)

*1: テンニース(Ferdinand Tönnies, 1855-1936)は『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(Gemeinschaft und Gesellschaft, 1887)の中で、共同体の類型を「ゲマインシャフト Gemeinschaft」(共同社会)と「ゲゼルシャフト Gesellschaft」(利益社会)とに区別したが、テンニースから見てアリストテレスの「共同体」論はどのように映るであろうか。
*2:-οςには中世ギリシア語の合字が用いられているが、Unicodeに登録されていない文字である。
*3: ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)は『リヴァイアサン』(Leviathan, 1651)の中で、「国家」を意味するstate(ステイト)をcivitas(キウィタス)と訳している。この点について詳しくは拙稿「ホッブズ『リヴァイアサン』試論」を参照されたい。
*4: ただし、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)が『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)で述べている近代の「市民社会 bürgerliche Gesellschaft」は、アリストテレスが述べているような古典古代の「国家共同体 πολιτική = 市民社会ciuilis societas」とは全く異なる概念である。なぜならヘーゲルの場合には「市民社会 bürgerliche Gesellschaft」は、シトワイヤンが活動する「国家 Staat」という政治的領域とは厳密に区別された、ブルジョワが活動する経済的な領域へと還元されるからである。この点について詳しくはリーデル1985および植村2010を参照されたい。
*5: このようなナイーブな主張は、ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)に見られる。ルソーは『社会契約論』(Du contract social, 1762)の中で「家族はいわば政治社会の最初のモデルである」と述べ、国家における支配形態を家族のイメージを用いて説明した。この点について詳しくは拙稿「ルソー『社会契約論』試論」を参照されたい。
*6: マルクス(Karl Marx, 1818-1883)は『資本論』(Das Kapital, 1867)の中で、「商品」を資本主義社会の富の「要素形式 Elementarform」として分析している(拙稿「マルクス『資本論』試論」参照)が、マルクスがこのように近代以前の社会と区別する資本主義社会に固有の要素として「商品」を取り上げて分析する方法は、アリストテレスがここで述べた分析的方法に似ている。マルクスにはしばしばアリストテレスの影響がしばしばみられるが、この点について詳しくは石井2002を参照されたい。
*7: ここで男性と女性とは生物学的な性差のことを指していると考えられる。一方で今日ではジェンダーまたはセクシャル・マイノリティの観点から、男性と女性という性別二元論は「バイナリー」と呼ばれ、これに対して「ノンバイナリー」と呼ばれる立場も存在する(ヤング2022)。
*8: もちろん奴隷制度や人身売買といったものは、現代では当然批判されるべき事態として捉えられている。現代のこうした観点から見ると、アリストテレスの言説は単純に誤りとして一掃されてしまう可能性がある。ここではあくまでアリストテレスの言説に内在した論理を追うことにする。
*9: ヘーゲル哲学には主奴弁証法と呼ばれる有名な命題があるが、ヘーゲルの命題は古典古代の主人と奴隷の歴史的な関係を踏まえて考察されることが望ましい。スーザン・バック=モース(Susan Buck-Morss)によれば、ヘーゲルが主人と奴隷の弁証法を記述した際に彼の念頭にあったのは、ハイチ革命というアフリカ人奴隷によって成し遂げられた革命であったという(バック=モース2017)。ヘーゲルによれば、主人は奴隷を支配するが、奴隷は主人を支える過程で具体的な力を身につける。その結果として、主人は奴隷を抜きにしては生きていくことができなくなる。ここまでくると、主人は形式的に奴隷を支配しているに過ぎず、実質的には奴隷に支配されている、と見なすことができる。こうした主人(支配者)と奴隷(被支配者)の関係の転倒を弁証法的運動として捉えたものが、主奴弁証法と呼ばれる命題である。マルクスはヘーゲルの主奴弁証法という命題を『共産党宣言』(1848年)や『資本論』(1867年)の思想的背景として保持している。

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