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無教養な低能=リベラルが人類を破滅させるのです!

たまには頭のいい学者の話もしてみるのです。ジョセフ・ヒース「“自分のあたまで考えよう”的『啓蒙思想1.0』はどうして駄目なのか。ウォルドロンとサンスティーンの論争から見る『啓蒙思想2.0』が必要な理由」から

ジェレミー・ウォルドロン〔訳注:法哲学者。アカデミアの世界では最も権威ある役職の一つであるオックスフォード大学のチチェレ教授職を努めたことでも有名〕が、少し前にニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスで、キャス・サンスティーンの新著『なぜナッジなのか?(Why Nudge?)』について〔批判的な〕書評を書いている。

ウォルドロンの書評は長いのですが

私は、ナッジの世界は御免こうむりたい。選択下手として周りに知れ渡っている私だが、それでもだ。サンスティーンのような選択肢の建築家が、私の自主的な生活を少しでも良くしようと知的な努力を払ってくれてるのは感謝している。それでも、今の私の無分別さやお粗末な直感を(自分の利益になるかといって)是正するよりも、自身でもっとよい選択を行いたいと思う

著者が批判するのです。それにしても酷い訳なのです。

Still, it is another matter whether we should be so happy with what I have called “nudge-world.” In that world almost every decision is manipulated in this way. Choice architects nudge almost everything I choose and do, and this is complemented by the independent activity of marketers and salesmen, who nudge away furiously for their own benefit. I’m not sure I want to live in nudge-world, though—as a notoriously poor chooser—I appreciate the good-hearted and intelligent efforts of choice architects such as Sunstein to make my autonomous life a little bit better. I wish, though, that I could be made a better chooser rather than having someone on high take advantage (even for my own benefit) of my current thoughtlessness and my shabby intuitions.

It’s All for Your Own Good | Jeremy Waldron | The New York Review of Books (nybooks.com)

私は悪名高い選択下手だから、サスティーンのような選択アーキテクトの心やさしく知的な努力が、私の自律的な生活をほんの少し良くすることは認識しているが、それでもナッジワールドに生きたいとは確信できない。私は、高所の誰かに(自分の利益になるのであれ)私の今の無分別や粗末な直観につけこませるのではない、祝福された選択者として生まれたらと願う。

これが正しいのです。

これに反論したいのが、「選択下手」では、オックスフォードのオール・ソールズ・カレッジの社会・政治理論のチチェレ教授にはなれない、という厳然たる事実である。本当に「選択下手」なら、麻薬中毒、高校中退、殺人被害者になってしまう。ウォルドロンは、サンスティーンや私、そしてこの議論に参加している全ての人と同様、「自制心貴族」の一員なのだ。実際、博士課程を修了し、アカデミアで職を得て、1冊だけでなく数冊の本を出版している人は、誰であれ、自制心、満足の先送り、合理的な人生設計に関して、上位1%に入るのは明らかだ。午前6時半に目覚まし時計が鳴った時や、もう1杯だけスコッチを飲もう考えた時に、誘惑に駆られない事実は、99%のメンバーの人生のほとんどの実態がどのようなののであるかの洞察を教えてくれるだろう。

ウォルドロンがa notoriously poor chooserと書くように、これは妻選びのことなのです。自分をソクラテスになぞらえつつ、生活にナッジが介入することの邪悪さを指摘しているのです。my current thoughtlessnessは妻と一緒でいることなのです。

I could be made a better chooser

自分をmakeするのは神様なので、betterは「祝福された」なのです。これはJ. S. ミルも用いたのです。非常に多義的ですが、たとえば「✨は満足な豚を不満足な人間にする祝福である」などです。

It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.

祝福された選択者は生まれ変わっても今の妻を選ぶのです。またbet-terはlotと同様、賭けと幸運は同じものであり、ナッジの対極なのです。

I appreciate the good-hearted and intelligent efforts of choice architects such as Sunstein to make my autonomous life a little bit better.

こちらのbetterは功利的な意味なのです。なぜなら神の祝福がa little bitはありえないのです。

someone on highは神様のことですが、ここでは選択アーキテクトを神になぞらえているのです。

4〈行為が〉卑しい,卑劣な; けちな,ひどい.get shabby treatment ひどい待遇を受ける.

英語「shabby」の意味・読み方・表現 | Weblio英和辞書

my shabby intuitionsは毎度おなじみの卑猥なアレなのです。

my current thoughtlessness and my shabby intuitions

どちらにもmyがついているので、この二つは別のものなのですが、thoughtlessは「妻の魅力に騙された」ことなのです。二つ合わせて「エロい女だと思って結婚したらアバズレだった」のです。

💛

教養と自律は根っこが同じなので、わかる人にはわかるし、知らない人には関係のない話ですが、知っているがわからないやつを炙り出すように書いてあるのです。

悪妻であったとされ、西洋では悪妻の代名詞ともなっているが、これは後世の作り話である部分も多く、彼女の実際の姿については殆どが不明である。

クサンティッペ - Wikipedia

西洋の学者であるジョセフ・ヒースがクサンティッペを知らないはずがないから、頭が悪く無教養なのですが、たぶん取り立ててバカだというわけではないのでしょう。ヒースに限らず人間の知性は生き延びるには絶対的に足りないのですが、なけなしの知性をナッジが根絶やしにしてしまうというのがウォルドロンの懸念なのです。人類が存続するためには、頭を使わなければ生きていけない過酷な環境が必要であり、それはナッジに限らず科学技術が提供する安楽で安易な社会とは対極なのです。

ナッジは、不適切なヒューリスティクス〔経験的・本能的反応〕を使用しないようしたり、不合理や直感や時代遅れの経験則を放棄する方法を教えてくれるわけではない。ナッジは、個人の選択をより良いものにしてくれるわけでもない。個人に啓発を与えてくれないからだろう。代わりに、個人の欠点に漬け込むような代物である。ナッジは、自身のヒューリスティクス――例えば、人には老後の蓄えを考えられない怠惰な認識(手近な選択肢は、原理的な不適切な選択肢となっている)――に合理的な解決策がもらされるように環境を操作するものなのだ。

ナッジは、備わっている欠点を利用する。これは子供を甘やかすようなものだ。ナッジ政策を(官邸内で)練っている人は、カント的命題に反して、個人を単なる手段として利用しているわけではないだろう。それでも、個人の選択は、何者かによって目的のための単なる手段されてしまっている――つまるところ、尊厳についての懸念はこの件につきるのだ。

自律とは自分の力で生きていくことなのです。それに足りないもの(人によって異なる)は共同体が提供し、それでも足りないものは社会が提供するのです。しかし自律と共同体の根源であるカント的命題つまり義務をリベラルが殺してしまったため、どうあがいても個人が社会に支配される全体主義にしかならないのです。まあ極右にもないのですが。

💛

ウォルドロンはナッジが支配する、✨のない地獄を見越し、来世の話をしているのです。デイビッド・ランシマンやパトリック・デニーンもそうなのです。これが今のイケてるお姉さんなのです。

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