ワクチンや抗体は「獲得免疫」の話である。獲得していない「免疫」の話をいくらかき回しても議論の温度は上がることはない。今すぐ議論すべきは、「自然免疫」についてである。

もちろん、抗体検査は拡充すべきは当然だが、いつもながら議論の底が浅すぎる。橋下氏はPCR検査不要の主張の自らの過ちを取り戻そうとして、姑息にも抗体検査を持ち出し、自らの主張における軌道を修正して、今後の議論での整合性を図ろうとしているのが見え見えである。

PCR法はウイルスの遺伝子を増幅して測定するもので高い感度を有しているが、鼻咽頭粘膜など検体採取部にウイルスが存在しない場合、感度をいくら上げても陰性と出る可能性がある。

抗体検査では、IgM抗体を測定することにより、感染が現在生じているのかどうかが明らかとなり、IgG抗体が陽性であれば、すでに感染を克服している可能性が高いことがわかる。

だが、問題はその抗体自体の有効性や継続性については不明なのである。
だからこそ、新型コロナは未知のウイルスと呼ばれている。

そもそも、ワクチンや抗体は「獲得免疫」の話である。獲得していない「免疫」の話をいくらかき回しても議論の温度は上がることはない。今すぐ議論すべきは、「自然免疫」についてである。

30度のお湯と30度のお湯の場合、足しても、引いても、掻き回しても30度以上にはならない。つまり、この場合「量」が「示量性変数」で、「温度」は「示強性変数」となる。「量」は加減するが、「温度」は加減しない。そんなことくらいは子供でも解る。

橋下氏はこの理屈がわからない。橋下氏がいくら大声で「ごちゃごちゃ」騒いでも、決して「温度」が上がることはない。「温度」が上がっているのは、お湯ではなく橋下氏自身である。「温度」をあげるための「変数」は行動であり、コンセクエンスである。

橋下氏のような、無責任なお笑いコメンテーターは私たちの「反面教師」である。

橋下氏に関しては、行政や統治機構改革、知事報酬、議員報酬、公務員報酬カットなどに対しての政治手腕は最大評価するが、すでに過去の話であり、コロナ危機は位相が全く異なる。現実として口先だけの弁護士やコメンテーターの分際を弁えるべきである。

橋下氏は、いつまでも過去の栄光にすがって自慢話するにはまだ若く早すぎる。何かを発言したければ、まずは行動せよ。

橋下氏のようなコメンテーターの「形式知」が強いのは、論理空間の大きさが限定されているからだ。だが、リアルな現実社会では論理空間は無限大であり、何が行われるかわからない。

橋下氏はプログラムにもとづいて「知識」を表現する。それは、データを処理する以前に、前もってどのようなデータかを予測し、いかなる論理にしたがってデータを操作するかのアルゴリズムにより、結果を導き出すというプロセスによるわけだが、良き結果を生み出すのは、過去のプログラム作成時におこなった状況予測が当たった時だけである。

もちろん、そうしたアプローチを、全て否定しているわけではないが、橋下氏が、このコロナ危機においての、論点を全て外した、一連のトンチンカンな発言の背景には、橋下氏の「勘所」の悪さが存在する。

橋下氏の評価は複雑だ。大阪府市政の実績は際立っている。過去に類を見ない首長としての行政評価は当然素晴らしいものがある。だが、人権や環境、民主主義、スポーツにおけるフェア精神など行政や法の領域を超えるような大きな主題になるとからっきしである。

その差は、普段の思考による差である。知事や市長時代は目前の課題に対して、真摯に向き合い深く思考していたが、今は全てが上っ面で、場あたり的、「深謀遠慮」が全く存在しない。

人間の「免疫」については、数式や公式で解析できるものは実に易し、ところがあるところまで行くと、理屈では解き明かせないものが必ず出てくる。つまり、生命には必ずそういうブラックボックスがある。つまり、生命には「不思議」が存在する。「不思議」は「不思議」であって、決して「謎」ではない。科学者が「不思議」を「謎」と誤解し、もっともらしい「解答」を導き出しても、こうした「謎解き」は、所詮こじつけの「レトリック」に過ぎないのである。

市中で散発的な感染例がどんどん出てくる状況になってきた。「市中蔓延期」と言われるような状態である。いたるところにウイルスが浮遊し、付着している。私たちには、もはや「対策」も「選択肢」も何も存在しないことを自覚すべきである。

ワクチンであろうと、抗体があろうとウイルスをやっつける「免疫」が機能しなければ何の意味もない。ワクチンや抗体は、「的」であって「矢」ではない。つまり、自分自身の「免疫」でウイルスと戦うしか道はない。そして、ワクチンや抗体の「獲得免疫」がない以上、今は「自然免疫」で戦うしかないのである。これは、厳然とした事実であり、そこから目を背けることはできない。この国の政府も国民も、どうやらヘラヘラ、気づかないフリをしてコロナ危機をやり過ごす腹のようだが、この危機はまだまだ続くと見るべきである。

橋下氏がごちゃごちゃ心配しなくても、抗体検査は広げていくべきだが、過度な期待は禁物である。やはりPCR検査を中心とした検査体制の拡充に議論を集中すべきである。

そして、新型コロナウイルスの初動において、橋下氏や、吉本芸人らのお笑いコメンテーターたちによる、「騒ぎすぎ」、「インフルエンザと同じ」などの根拠のないインフォデミックが現在の事態を呼び起こしたことは、時間が経っても忘れることはなく、全ての国民の永遠の記憶に刻み込まれることになることは言うまでもないことである。

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