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「免疫食堂」アートな食堂を作ろう!〜僕たちは、みな覆面アーチスト


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「免疫食堂」アートな食堂を作ろう!〜僕たちはみな覆面アーチスト

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「家」をアートしよう!                       「家」には面白いことがいっぱいだ。

未知のウイルスとの戦いは永遠に続いていくー
個人飲食店は、「家」をアートなリノベーションでホームビジットの「免疫食堂」に業態転換するべき。

子供たちは、自分で「免疫」を学ぶき、何を食べて、どのような生活を心がけるべきなのか、全て「自己学習」と「自己表現」でやるしかない。なぜなら、親や教師、大人たちは何も教えてくれないのだから。


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「家事」は革新的なゲイジュツ。『家事はゲイジュツだ。』ー「家事」は最も革新的ゲイジュツの核心であり、楽しい。そして人の役に立つ。

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「最も革新的なゲイジュツは家事である。」ー日本の免疫市民に「国家」と「都市」、そして、「家」と「家事」を再融合し、そのインテグリティによる免疫クラスターを、そして、ヒューエンコムパブリックを導き出すことが出来るか。

最も重要なことは、「家事」という労働が決して苦痛なものではなく、最も革新的な芸術的形象であるということを教える体制が整備されていないからである。つまり、「家事」はゲイジュツであり楽しい。そして人の役に立つ。また、「家事」は子どもたちの高度な表現力と独創的な思考力を育てる。これからのゲイジュツは、学校ではなく、暮らしの中から生まれてくる。アカデミーによる「学校芸術」はもはや世界に通用しないのである。

ゲイジュツとしての家は人を招いたり、招かれたりするサロンになっている。人と人との交流場所だ。そこから素敵なものを家に置きたい、人生の素敵な舞台を作りたい、という気持ちが生まれて、それがゲイジュツの土壌になっているのである。子どもの思考・表現が、一つの「世界観」にまで高められていくのである。ゲイジュツ的家事の教育は、子どもと大人の双方が創造性を発揮し、美的で探求的な活動をとおして共に学び、育ちあう関わりを形成することにある。しかしそれは狭義の芸術教育ではない。ましてや大人の知識・技能を子どもに教え込むことでもない。

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社会の紐帯は「生産」を通じて生まれる。社会性・公共性の高い労働である「家事」に高齢者が流れる仕組みを作る必要がある。全て人間は、「生産」に携わり、他人の役に立ち、人類の一部としての自覚を持つことで人生に光を見出すのである。すなわち「生産」とは、人が価値ある人生を送るために必須の手段であり、またそれ自体「目的」でもあるものなのである。人間は「生産」を通じてしか付き合えない。

「家」と「地区」の再構築は「家」づくりには、高齢者も、女性も、そしてこどもたちの手が必要なのである。そして、その中核として「家事」というゲイジュツが存在する。「家」には、日常を維持するするだけでも、やらねばならぬ「家事」が無数にある。だからこそ、その数だけ人々の労働が必要とされ、誰にでも居場所が空けられ、究極のワークシェアリング社会が営まわれている。「家」は高齢者と障害者と女性とこどもたちの「家事」の社交場であり、小さな仕事場なのである。


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無名でたったひとつの「家」はその時代の象徴としての「存在感」を持つことが出来るのか。ー「私たちの「家」は、思っている以上に素晴しい!」


ウイルスの危機的状況の原因の根本は「家」にあって、地球規模での〝家と地区の再構築〟の観点から、初発的に「家」の形象を全ての始まりにするべきである。

「家」の強みは、それが存在の内部に生きているということ、存在を完全に包囲することができるようになるまで、そのどんな小さな欠片をも自分のものにすることができるということ。

そして、「芸術」はいかなる具体的存在も必要とはせず、価値創出のすべての決定に対して、つねに先んじるのがゲイジュツである。

免疫クラスターにおいて、個人個人の共同体として、パブリックとしての「家」の内側に「芸術」が実存しなければ、「学者」のランガージュ言語表現など単なる「豆知識」にすぎない。

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このまま社会に具体を示さない「芸術」を続けることは、未来に対して新たな贖罪のアクチュアルを負うことになる。社会は単なる政治的な力関係や権力装置ではなく、それを信じる主体同士の関係の中で発生するものである。

新型コロナウイルスの出現により、人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、数年後には、世界は距離がなくなり、クラウド・シンキングのその新たな意識は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。「スタンド」という運動は別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。

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免疫食堂は、ゲイジュツの文脈における「スタンド」である。「スタンド」とは、個の「自立」と「覚悟」の概念だ。今後、世界中で群発的に「スタンド」がわき起こる。世界の構築に参加する諸々の主体からなる多様体のなかで共有し、特異的形象を発明する。これがゲイジュツのシンギュラリティである。ゲイジュツは、スタティックな、モニュメンタルな造形を想像することではなく、スタンドと化した構想的プロセスのことである。「スタンド」はこの文脈において、言語表現やシーニュではなく、潜勢力でありゲイジュツなのである。

「免疫食堂」のゲイジュツの形象には、誰の許可も要らないし、フリープランでお金もかからない、あとは「自己学習」と「自己表現」で展開するだけである。免疫クラスタによる、オルタナティブなパブリックの形成は、私たちの「日常」が底光りすることの理由をつかみ、形象することが出来たゲイジュツである。コロナウイルス後の社会が形象しなければならないのは、戦争でも革命でも経済発展でもない、ごくありふれた「日常」の再構築なのである。

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「免疫食堂」〜免疫クラスターは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて、コンソーシアムの結成を呼び掛けたのが始まりである。この運動は、立ち上げるに当たって、Facebook・Twitter・YouTubeなどの現代的なオンラインツールを活用しているが、あくまで運動の核となるのは、論理化される「家」であり、「地区」である。こうした運動のコミュニケーションは、たいていの場合、小さな共同体や近隣集団のなかからゆっくり始まるが、一定のポイントに達するとウイルスのように拡散するようになる。

免疫クラスタによる「家」と「地区」の再構築は、国家に抗する反国家の〝パブリック〟という意味ではなく、国家や行政区分の概念を超えて、人と地球と社会の自立と共存をテーマに持続可能なゲイジュツ・アプローチである。

そして、それは、民族や伝統的、地理的な境界を超えた共通の感性と理想を持っている人々のパブリックであり、世界中のあらゆる国と地域において、独立した層における独立した形象である。

世界が抱える様々な問題に通底するメッセージは、「ウイルスから人々の命を守る社会を創れ」ということだ。私たちはその解答として、免疫食堂による世界的な免疫クラスターの形成を提言する。

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免疫クラスタは、行政区分や伝統的地理境界を超えたネットワーク社会の地理学であり、オルタナティブなパブリックである。情報・思考・行動をシェアする行為、またはそれらをシェアしている状態を形成すること。そして、周囲とコラボレーションするために、プロセスをオープンにすること。オープンであることの倫理を包摂するものである。

パラダイムの変化は、政治的、あるいは経済的な意思決定の仕組み(議会や市場)によって導かれるものではない、〝新たなパラダイムが現れ、その優位性を示し、次第に現行のパラダイムに取って代わっていくものなのだ。〟
人類再興のパラダイムシフトを呼び起こすためには、現代政治のその射程の「狭さ」への反動として、思想射程を拡大したゲイジュツ運動を展開していく必要がある。                           
免疫食堂の中核は、有権者と政治家が同意するずっと前に、将来を見据えた行動を起こさなければならないと考えている無名の人びとだ。
エスタブリッシュメントに対抗するのは、持続可能性を高めようとする個性豊かな人々で、唯一の共通点は、遠い未来を見据えているということだ。
そして、この「グループ」には将来的には国家や団体の、先見の明のある世界的なリーダーも参加する。人類の長期的な未来のために戦うことを目的とした集団の強力メンバーに名乗りををあげるはずである。


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