第1/性犯罪の無罪判決はケシカランのか?
1 性犯罪に関する最近の4つの無罪判決
2019年3月、性犯罪事件について、立て続けに4つの無罪判決があった。
① 福岡地裁久留米支部判決(3月12日/準強制性交=無罪)
② 静岡地裁浜松支部(3月19日/強制性交致傷=無罪)
③ 静岡地裁判決(3月28日/強制性交、児童買春・児童ポルノ禁止法違反のうち、強制性交につき無罪、後者につき罰金10万円)
④ 名古屋地裁岡崎支部判決(3月26日/準強制性交=無罪)※報道は4月5日
これら性犯罪をめぐるこの4つの無罪判決をきっかけとして、その後、ツイッター上が、実に殺伐とした状態となった。まず、これら4つの無罪判決に対して、一般の方々から、被害者に同情し、無罪判決を批判する内容のツイートが相次いだ。これに対し、ツイッターをしている弁護士たちから「判決文を読まずに、短い新聞記事だけを鵜呑みにして無罪判決を批判するのは適切でない」旨のツイートがなされた。これが始まりだった。
これに対して、一般の方々からは「判決文を読まなければ何も言ってはいけないのか?」「素人は黙っていろということか!」などという猛反発が湧き起こり、これに対して、弁護士たちからも、そんなことを言っているワケではないとのツイートがなされたが、もはや鎮火するどころか、火に油を注ぐだけだった。
結局、事態は、無罪判決を書いた裁判官を名指しで非難したり、「これ以上の無罪判決を許さない」というようなデモ(スタンディング)までが繰り広げられるというところまで発展し、ネット上でも、一般の方々と弁護士たちとの間に深い溝を残した格好となった。
2 無罪判決に対して弁護士が慎重になるワケ
日本の刑事裁判における有罪率は99.9%を超える。つまり、起訴された事件のうち99.9%は有罪になるということだ。少し前に弁護士を主人公にした同名のドラマがTVで放映されたから、今では弁護士などでなくても、このことを知っている人も多いだろう。
つまり、日本の刑事裁判で、無罪判決が出されるというのは、相当に珍しい。これは、言い換えれば、日本の裁判官はよっぽどのことがない限り、無罪判決を出さない、と言うことである。……と言うことは「無罪が出されたと言うことは、よっぽどのことがあったのだろう」。無罪判決を受けることの難しさを骨身にしみて知っている弁護士たちは、無罪判決に接するとまずこう考えるクセが付いている。
だから、弁護士たちは、無罪という結論が一見不当なように見える新聞記事を読んでも「いや、ここには書かれていないが、何か事情があったのではないか? だから、軽々しく批判することはできないぞ」と、こぞって慎重になったのである。
ところが、一般の方々にしてみれば、そうではない。そして、新聞記事というものに対する信頼の程度も、おそらく弁護士たちよりは、一般の人たちのほうが遙かに高い。そこで、多くの人が、その記事の内容を前提として「この判決はおかしい。常識に外れている。こんなことでは被害者が可哀想だ」と義憤に駆られ、その怒りをネット上であらわにしたワケだ。
このように、まず弁護士と一般の人たちとの間には、無罪判決というものに対する受け止め方に大きな違いがあった。
3 本当の「悪玉」はだれなのか?
また、弁護士たちには、仮にこの判決が不当なものであったとしても、なぜそんな判決が下されることになったのかという「原因」、言い換えれば、本当の「悪玉」はだれなのか、ということは、これらの記事だけでは全然判らない、という気持ちがあった。
上述したように、これら4つの無罪判決をめぐる事態は、裁判官個人に対する攻撃やこれ以上無罪判決を出すなというようなデモにまで発展した。しかし、悪いのは裁判官なのだろうか?
確かに、無罪判決を下したのは裁判官である(もっとも、上記4つの判決のうち②事件は裁判員裁判)。しかし、刑事裁判というのは、裁判官がつぶさに事件を調べ、自由に判決を下すことができる、というようには制度が作られていない。その意味では、裁判官も一定の「枠組み」の中で判断をし、判決を下しているのだ。
だから、仮に、そこに実質的には処罰に値すると思われる行為が存在するとしても、
第1に、その行為を犯罪として処罰する条文がないなら、悪いのは国会である(立法権は国会にあるから)
第2に、条文はあるのに解釈を誤ったために処罰できなかったのなら、悪いのは裁判官である(解釈権は裁判所にあるから)
第3に、証拠が存在しないために公訴事実の認定ができなかったのなら、悪いのは捜査機関(警察・検察)あるいは「運」である(証拠を集められなかった原因が、捜査機関の無能や怠慢なら悪いのは捜査機関だし、そういうでないなら「運が悪かった」としか言えないから)
第4に、証拠は存在したのに、その証拠の評価を誤ったために公訴事実の認定ができなかったなら、悪いのは裁判官である(証拠の評価は裁判官の権限だから)
第5に、事実もあり、証拠もあり、これを処罰できる法律もあったのに、起訴状に記載された公訴事実の組立て・構成(これを「訴因」という)が悪かったために、裁判官がその公訴事実では有罪にできなかったのなら、悪いのは検察官(検事)である(起訴するのは検察官であり、裁判官は検察官の設定した訴因に拘束されるから)
以上の第1から第5までのいずれの場合にも、判決は無罪となる。そして、第2と第4の場合は、確かに裁判官が悪いと言えるのかもしれないが、しかし、第1、第3、第5の場合は、裁判官にはどうすることもできないのだ。
だから、仮に無罪判決が不当であると感じられたとしても、その原因は、必ずしも裁判官の非常識にあるとは限らず、裁判官がケシカランとは必ずしも言えない。そして、新聞報道だけでは、これら5つのうちどれが原因となって無罪判決となったのかは、必ずしも明らかではないのである。
4 何が民衆の怒りを燃え上がらせたのか?
こういう事情があるため、判決文も読まず、新聞報道だけを頼りにして無罪判決や裁判官を批判するのは妥当でない、と弁護士たちは主張した。しかし、ならば判決文はどこにあるのか? どうやったらこれを読むことができるのか? 実は、判決文を読むことは必ずしも容易ではないのだ。
判決文は、もちろん裁判所にある。検察官もその正本を持っているし、弁護人、被告人もこれを入手することができる。しかし、確定する前の判決については、正式な手続を通じて一般の人がこれを入手(閲覧・謄写)することはできない。
むろん、重要だと思われる判決については、最高裁判所はこれを判例集に載せ、公開する。最近では、それをネットを通じて読むことができる。しかし、裁判所側でこれを公開しなければ、関係者以外の者がこれを読むことはできない。これは弁護士たちであっても同様である。そして、上記4つの判決は、現在も判例集に掲載されてはおらず、私たちが容易に読むことはできないのである。
つまり「判決文を読まずに批判すべきではない」と言われても、実際上、読むことができないのだ。読むことができる状態にあるならば、読まずに批判すべきでないと言われれば、読むだろう。しかし、読みたくても、読めないのだ。読むことができないものを、読まずに批判するなと言われれば、それは単に批判するなと言われているに等しい。だから「判決を批判するなと言うのか!」「素人は黙っていろと言うことか!」と、民衆の怒りに火を点けたのだ。不可能を強いられれば、だれだってキレるのは当たり前だろう。
こうした状況に憂慮し「裁判所は、すべての判決につき、判決文を速やかに公開すべきである」との主張も、幾人かの弁護士からなされた。私も、この意見には大賛成である。しかし、だからと言って、現時点でもそれは実現されてはいない。
そうである以上、この問題を現時点で議論をするのであれば、不完全ながらも、新聞報道がある程度正しいと仮定したうえで、これを前提として議論を構築するよりほかにない、ということになろう。
もっとも、それがその事件・判決に対する正確で十分な情報ではない以上、その仮定に基づいてその判決自体を批判するのは適切ではない。せいぜいそれをきっかけに一般的な問題を議論する、というのが限度だろう。
5 性犯罪に関する刑法の規定を変えるべきか?
冒頭に掲げた4つの無罪判決をきっかけに、上述したような裁判官に対する非難が勃発した一方で、性犯罪に関する刑法の規定を変えるべきだ、との主張も一部からなされた。具体的には、強制性交罪(旧・強姦罪)の「暴行・脅迫」要件を撤廃すべきだ、というのである。どういうことか?
刑法第177条の強制性交等罪の規定は、次のようになっている。
(強制性交等)第177条 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、5年以上の有期懲役に処する。13歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
慣れないと少し読みにくいかも知れないが、この条文は、前段と後段に分かれている。前段は「13歳以上の者」に対する場合の規定であり、後段は「13歳未満の者」に対する場合の規定だ。そして、前段は「暴行又は脅迫」を用いることが要件となっている。後段にはそれがない。
つまり、後段(13歳未満の者に対する場合)では、相手方に対し「性交」「肛門性交」「口腔性交」のした、というだけで、それぞれ、強制性交罪、強制肛門性交罪、強制口腔性交罪が成立する(これら3つをまとめて言うときに「強制性交等の罪」と表現される)が成立する。この場合、被害者が同意していても、犯罪の成立は妨げられない。
これに対し、前段(13歳以上の者に対する場合)では、相手方に対して「暴行又は脅迫」を用いてした場合でなければ、強制性交等の罪は成立しない。また、相手方の同意がある場合にも、強制性交等の罪は成立しないとされている。
そして、上述した主張は、この前段からも「暴行又は脅迫を用いて」という要件を外すべきだ、と主張している。
では、前段からもこの要件を外すと、どうなるのか? 前段と後段とはまったく同じ規定になってしまいそうだが、この論者の主張は、そうではない。後段の場合、つまり13歳未満の者の場合は「被害者の同意」は無効となり、犯罪の成立に影響しないが、前段の場合、つまり13歳以上の場合は同意は有効であるから、同意があれば強制性交等の罪は成立しないとする。
つまり、この論者は、13歳以上の者に対する強制性交等の罪を、相手方の同意のない性交等を処罰するという犯罪として作り替えるべきだ、と主張しているのである。
6 ここで考えたいこと
では、このような「不同意性交罪」の創設は、妥当なのだろうか? ここで考えたいことは、端的に言えば、そういうことである。
上述した性犯罪をめぐる4つの無罪判決をきっかけに、性犯罪をめぐるわが国の裁判や法制度の現状に対する一般の人たちの不安や憤懣が爆発したが、例えば「不同意性交罪」というような犯罪を創設すれば、それは解決される問題なのだろうか? あるいは、そのような犯罪を創設したところで、解決されない問題なのか? 仮に解決されないとすれば、どうすれば解決されるのか?
そのあたりを、2019年3月に下された4つの無罪判決を題材にしながら考え、法律学を学んだことのない一般の人にでも理解しやすいよう配慮しつつ、検討してみたい。
幸い、私はかつてある大学の法学部で、5年ばかり刑法の授業を受け持ったことがある。その時の経験を生かし、法律の素人にも解りやすいよう、適宜必要な解説を加えながら、検討を進めていきたいと思う。そして、今回の騒動で一般の人たちと弁護士たちとの間にできてしまった深い溝を少しでも埋めることができれば、と考えている。
次回から具体的な検討に入ります。ご期待を。
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