性犯罪に関する新たな構成要件の提案

第10/強制性交等罪における暴行

1 静岡地裁浜松支部平成31年3月19日の無罪判決を読んで

静岡地裁浜松支部が平成31年3月19日に下した無罪判決については、ここでもすでに「第6」で取り上げた。その時点では、新聞の記事しか情報がなく、これに基づいて検討を加えたが、4つの無罪判決の中でも、記事からは最も事案の様子が想像できないものだった。

問題となっていたのは「強制性交致傷罪」だったようだが、性交自体が既遂だったのか未遂だったのかも、記事からはよく判らない。それ以前に、被告人と被害者とはどんな関係だったのか、どんな場面で事件が起こったのか、被告人が被害者に対して加えた暴行とはどんなものだったのか、被害者はどんな怪我をしたのか、などがまったく明らかにされていない、とその時、ここでも書いた。

そうしたところ、この事件の判決文が、このたび、私がいつも使っている判例データベースに収録され、ようやく判決文の全文を読むことができた。

そして、これを読んでみて、事案が想像していたものとはまったく掛け離れていて、愕然とした。

そもそもこの事案は、正確に言えば「強制性交致傷罪」ではなく、「強制性交致傷罪」の事案であり、本件の被告人が被害女性(一応、彼女が被告人の行為で怪我をしているので、そう表記する)に対して行ったのは「性交」ではなく「口腔性交」だった。怪我をした部位もである。

しかも、事案はかなり込み入っている。以下では、判決文を一部引用しつつ、この事件がどのような事案で、これに対して裁判所(裁判官および裁判員)がどのように判断したのかについて概観し、検討してみることにしたい。

2 裁判所の認定した事実

このような場合、本来ならば公訴事実からスタートすべきなのかもしれないが、本件では公訴事実と裁判所の認定した事実との間には開きがある。

事件の関する被告人の供述と被害女性の供述にも、もちろん食い違う部分があるし、被害女性の供述も全面的に採用されたわけでもない。どちらかと言うと、最も信用されたのは、被害女性が事件直後に電話で事件の内容を伝えた友人の供述で、被害女性の供述は、その友人の供述と整合する限度で採用されている。

そこで、裁判所の認定した事実を軸に、検討してみたい。

まず、裁判所が「前提事実」としたのは、次のような事実である。なお、文中に登場する記号Aが被害女性、Bがその友人である。

関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。
(1) 平成30年9月8日(以下、特に断らない限り、月日は平成30年である。)午前2時頃、本件公訴事実記載のコンビニエンスストア(以下「本件コンビニ」という。)の南側駐車場(以下「本件駐車場」という。)において、被告人は、徒歩で通行中のAに対し、声を掛け、会話をし、Aと携帯電話番号を交換した。
(2) その後、Aと被告人は、一緒に歩いて本件公訴事実記載のウッドデッキ(以下「本件ウッドデッキ」という。)付近に行き、本件ウッドデッキに並んで座り、会話をした。
(3) 本件ウッドデッキにおいて、被告人は、Aの脚を触り、Aの体を抱き寄せて自身の太ももの上に乗せ、Aの脚や尻、胸を直接触り、乳首を舐めるなどした。
(4) その後、被告人は、Aを本件ウッドデッキに座らせ、自身はAの目の前に向かい合わせに立ち、自身のズボンを下ろして陰茎を出し、Aの手を取って被告人の陰茎を触らせた後、Aの顎付近を触りながら自身の陰茎をAの閉じている唇に押し当てた。
(5) その後、被告人は、自身の手で陰茎を触り、本件ウッドデッキ付近の地面に向かって、射精をした。
(6) 被告人は、射精後、Aに対し、「家に帰ったらメールして、心配だから」などと言って、Aと指切りをして別れた。
(7) Aは、被告人と別れた直後の同日午前2時17分頃、友人のBに電話をかけ、その後、約53分間にわたり、Bと通話をした後、Bに対し、●●のメッセージを送信した。
(8) Aは、同日夜、●●警察署に行ったが、その際、けがの申告はしなかった。
(9) Aは、9月11日、●●整形外科医院に行き●●医師(以下「●●医師」という。)の診察を受けた後、I皮膚科医院に行き、口唇の荒れがヘルペス等の感染症でないことを確認した。また、同日、Aは、●●警察署へ行き、全身や口付近の写真を撮影された。

もちろん、被害女性も、被告人も、これ以外の事実についてもいろいろ公判廷で供述している。しかし、前述のように、食い違う部分もあり、裁判所は、友人Bの供述を踏まえ、以上に加え、

①被告人がAの陰部に指を入れた事実(上記(3)の際にあった模様)

②被告人がAの口を指で開けて陰茎の先をAの口腔内に2度入れた事実(上記(4)と(5)の事実の間にあった模様)

を認定している。そして、これらの事実を見ると、本件は、どうやら、真夜中に被告人がAをナンパしたところから事は始まっているらしいと判る。

また、被告人は、フィニッシュも、Aの口腔内ではなく、自らの手で地面に向かってしているし、その後もAと言葉を交わし、指切りなどしてAと別れている。

3 傷害の事実とその原因

強制性交等致傷罪が成立するには、被害者が負傷している必要があるが、では、本件の被害女性Aは、負傷しているのか? 負傷しているとすれば、どんな負傷で、その原因は何か?

この点、裁判所が医師の診断に基づいて認定したAの傷害は「加療約2週間を要する口唇挫創、口輪筋挫傷、顎関節捻挫の傷害」である。

そして、これらは、いずれも被告人の行為によって生じたと認定している。すなわち、

「口唇挫創」については「指が受傷部位を圧迫したか、もしくは指でこすって生じた」と考えたようである。

また「口輪筋挫傷、顎関節捻挫」については「被告人がAの口に指を入れ、Aの口腔内に陰茎を入れた際に生じた」と見るのが自然であるとしている。

つまり、被告人が、Aと口腔性交するために、Aの口に指を入れ、さらにAの口腔内に陰茎を入れた際に、これらAの口唇挫創、口輪筋挫傷、顎関節捻挫という傷害が生じた、と裁判所は認定している。

4 暴行と行為状況

ところで、強制性交等致傷罪(刑法第181条第2項)は、強制性交等の罪(刑法第177条)を基本犯とする結果的加重犯なので、まず、行為者は、その最初の実行行為である「暴行」または「脅迫」を行う必要がある。そして、その暴行・脅迫は、相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行・脅迫である必要がある(最狭義の暴行・脅迫)。

では、本件の被告人は、被害女性に対し、そのような行為を行っているのか?

少なくとも、すでに引用した「前提事実」を見る限りでは、そこに、それらしい激しい行為は見当たらない。

しかし、この点につき、裁判所は次のように述べている。

被告人がAを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れる暴行をしたことによって、Aは、頭が真っ白になり、顔を動かす等の手段に出ることができず、被告人が口腔内に陰茎を入れようとするのを拒否することが非常に難しくなったということができ、被告人の加えた暴行がAの反抗を著しく困難にする程度のものであったと認めることができる。

え? Aを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れた行為が、この暴行なの?

つまり、裁判所の理屈は、こうだ。

①被告人は、Aを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れる暴行をした(行為)
 ↓
②Aは、頭が真っ白になり、反抗することが著しく困難になった
(結果/行為状況)

ということは、逆に言えば……

③被告人の加えた「Aを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れる」という行為は、Aの反抗を著しく困難にする程度のものであった。

え? え? ええッ?!

つまり、裁判所は、このような、いわば逆算の理屈により、「相手方をウッドデッキに座らせ、その目の前に立った状態で、口に指を入れる」という行為が、相手方の反抗を著しく困難にする暴行だ、と認定しているのである。

しかし、この理屈は正しいのだろうか?

すなわち、結果的にその被告人の行為によってAの反抗を著しく困難にしたという事実がもたらされたとしても、その事実から、逆に翻って、その被告人の行為は相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行であったと言ってしまってよいのであろうか?

実は、これは、かなり厄介な議論を含む問題なのである。

5 相当因果関係と実行行為性

この問題は、そもそも結果犯の実行行為はどのようなものでなければならないか、という一般的な問題と関係する。

そして、そのことを理解するためには、その前提として、結果犯に必要とされる「因果関係」が、単なる条件関係ではなく、相当因果関係であると考えられるに至った経緯を知る必要がある。

そこで、ちょっと古い時代の議論から説明したい。次の事例において、甲には殺人罪が成立するか、という議論である。

(1)条件関係から相当因果関係へ

【事例1】甲は、Xを殺害しよう思い、「Xが森に行けば雷に打たれて死ぬだろう」と考えて、Xに対して、森に行って薪を拾ってくるように言いつけた。Xは、甲の言いつけに従って、森に行ったところ、甲の思惑どおり雷に打たれて死んだ。

古い時代に、この事例において甲に殺人罪が成立するかが議論された。もちろん、こんな事例において甲に殺人罪が成立するというのはおかしい、と言うのである。だが、そうだとすれば、殺人罪が否定される理由は何か、ということが問題となった。

甲は、Xを殺害する意図を持って「森に行け」と言い、その結果、Xは死亡している。もちろん、甲の行為とXの死亡との間に「因果関係」は必要とされるが、当時は、この因果関係は、条件関係でよいと考えられていた。条件関係とは「あれなければ、これなし」という関係である。つまり、行為者の行為がなければ結果が発生しなかった、ということだ。

そして、この条件関係で考えると、確かに、甲が「森に行け」と言わなければ、Xは雷に打たれることもなく、死ぬこともなかった、と言えるので、甲の行為とXの死亡との間には条件関係はあり、因果関係が肯定されることになる。

しかし、雷に打たれるか否かは、いわば偶然のことであり、こんなことで甲に殺人罪が成立するのはおかしい。

そこで、この場合に甲に殺人罪が成立するのを妨げるために、いろいろな理屈が考案され、主張された。

まず、因果関係の中断論という考え方が主張された。これは、因果の流れの中に自然災害や他人の故意行為が介在した場合には、因果関係が中断するというものだ。

この説は、因果関係に対する従来からの条件説を維持しながら、これを一部修正しようとするものであるが「不都合だからちょっと修正する」という感じで、そこには、なぜ自然災害と他人の故意行為が介在した場合にだけ修正されなければならないのかという深い考えはない。それに、そもそも「中断」って何だ? などと批判されたりもした。

そこで、次に現れたのが、原因説という見解である。この説によれば、上記【事例1】における甲の行為は、結果に対する単なる「条件」であって「原因」ではない。だから、因果関係はなく、甲には殺人罪が成立しない、と言う。

この見解は、結果の発生に至る諸条件の中から「単なる条件」と「原因」とを分けようというもので、例えば、花が咲くという結果のための「原因」は種であって、水や土や気温などは「単なる条件」に過ぎない、という考え方がその基礎にある。そして、犯罪においても、結果を発生させた様々な諸条件の中から、この「原因」と「単なる条件」とを区別することができるのだ、と考えたのだ。

だが、この見解も、最終的には有力にはならなかった。なぜなら、何をもってこの原因と条件とを区別するのかについて、最終条件説、異例行為条件説、優勢条件説、最有力条件説、動的条件説など、実に様々な説が登場して戦乱状態になってしまい、しかもどれひとつとして問題となるすべての事例においてうまい説明をすることができなかったからである。

こうして最後に現れたのが、相当因果関係説という見解である。これは、条件関係の存在を前提としつつも、さらにその行為からその結果の発生することが経験則上相当と言える場合にだけ、刑法上の因果関係を認めることができる、という見解であり、これがその後、主流となってゆく。

経験則上相当」というのは、簡単に言えば、われわれの社会生活上の経験に照らしてそういう行為からはそういう結果が発生しがちである、ということだ。

そして、刑法上の因果関係が認められるためには、従来からの「条件関係」とともに、この「相当性」という要件が必要とされる、と主張したのである。

上記の【事例1】の場合であれば、確かに、甲の行為とXの死亡との間には条件関係はある(甲が森に行けと言わなければ、Xが死ぬことはなかった)が、森に行ったからといって、雷に打たれて死ぬ、などということは、そうそう起こることではなく、この場合「相当性」が認められず、刑法上の因果関係が否定される、とこの説は説明する。

(2)未遂罪の成否

こうして、この相当因果関係説によって、上記【事例1】の甲には殺人罪は成立しないことになった。

しかし、ここにもう1つの問題がある。

それは、上記【事例1】において、甲に殺人罪が成立しないならば、殺人未遂罪は成立しないのか、という疑問だ。

比較のために、次の事例を見ていただきたい。

【事例2】乙は、殺意をもって、Yの腹を包丁で刺した。ところが、その場に居合わせた数人から、乙は直ちに取り押さえられた。一方、Yのために救急車が呼ばれ、Yはこれに乗せられて病院に向かった。ところが、救急隊員の無謀な運転のため、この救急車は崖から転落してしまい、Yは全身打撲で死亡した。

この事例において、乙に殺人罪は成立しない。結果としてYは死亡しているものの、乙の行為とYの死亡という結果との間に刑法上の因果関係は認められないからだ。すなわち、

確かに、乙がYの腹を刺さなければ、Yが救急車に乗せられることもなく、救急車に乗せられなければ崖から転落することもなく、Yは死亡しなかったであろうと言える。つまり「条件関係」はある。

しかし、救急車が崖から転落して患者が死亡するなどということは、私たちの社会経験上もまったく聞いたこともないような出来事であり、経験則上の「相当性」があるとは言いがたい。

よって、殺人罪の「実行行為」と「結果」が認められても、「因果関係」が認められないために、殺人罪の構成要件を充足しないのである。ここまでは、この事例も先の【事例1】と変わりがない。ところが、ここからが違う。

では、この事例において、乙には何らの犯罪も成立しないかというと、そんなことはない。乙には、殺人未遂罪が成立する。

乙は、殺意をもってYの腹を包丁で刺している。これは、少なくとも、殺人罪の実行行為を開始したものであり、殺人罪の「実行に着手した」と言える。そして、殺人罪は完成していない。つまり「これを遂げなかった」と言える。そこで、殺人罪の「実行に着手してこれを遂げなかった者」(刑法第43条前段)として、乙には殺人未遂罪(刑法第203条、第199条)が成立するのである。

このように【事例2】の乙に殺人未遂罪が成立するのであれば、【事例1】の甲には殺人未遂罪は成立しないのか?

もし甲には殺人未遂罪も成立しないならば、【事例1】と【事例2】とはどこが違うのか?

(3)結果犯の実行行為性

結論から言えば、【事例1】の甲には、殺人未遂罪も成立しない。それは、甲が、殺人罪の「実行に着手」していないからだ。つまり、甲は殺人罪の実行行為を行っていない。

【事例2】の乙の「Yの腹を包丁で刺す」という行為は、殺人罪の実行行為である。だから、これを開始したことは「実行の着手」に当たる。

これに対して、甲の「Xに対して森に行けと言う」という行為は、殺人罪の実行行為ではない。それゆえ、これを開始したことは「実行の着手」ではない。だから、【事例1】の甲には、殺人罪のみならず、殺人未遂罪も成立しない、と一般に説明される。

その意味では【事例1】においては、正確に言えば、殺人罪の「因果関係」が存在しないのではなく、そもそも殺人罪の「実行行為」が存在しないのである。

では、殺人罪の「実行行為」とは、何か?

これは、簡単に言えば「人を殺す」行為だが、そこから主観的な要素を排除し、純粋に客観的な行為だけを抽出して表現すれば、

人を死亡させる現実的危険のある行為

ということになる。
そして、殺人罪だけでなく、結果犯の実行行為は、基本的には

構成要件的結果を発生させる現実的危険のある行為

と定式化することができる。

なぜこのような定式化ができるのかと言えば、それは、先ほどみた相当因果関係と関係がある。つまり、結果犯が成立するためには、実行行為と結果が存在するだけでなく、その間に因果関係(原因・結果の関係)が必要であり、この因果関係は相当因果関係である。

この相当因果関係は、すでに見たように、条件関係の存在を前提としつつも、それだけでは充分でなく、その実行行為からその結果が発生することが経験則上相当と言える場合にだけ認めることができる。

と言うことは、そもそも、結果犯における実行行為というものは、そのような結果を発生させることが経験則上相当と言えるような行為でなければならない、ということだ。

そして、これは言い換えれば、そのような結果を発生させる相当程度の可能性をもつ行為だということであり、それはそのような結果を発生させる現実的危険をもつ行為と表現することができる。

そして、このような実行行為のもつ危険性の射程範囲内で結果が発生したときに、その結果は、その実行行為のもつ危険性の現実化とみることができるのであり、そのような場合に実行行為と結果との間に相当因果関係が認められる、と考えることができるのである。

この関係は、図示すれば、つぎのようになる。

この図で、実行行為から右のほうに向かって黄色くライトの明かりのように描かれているのが「結果を発生させる現実的危険性」である。この危険性の射程範囲内で、その現実化として発生した結果と実行行為との間には、相当因果関係が認められる、と考えられる。

逆に、赤っぽく描かれているものように、この危険性の射程範囲を外れて発生した結果は、そもそもこの実行行為のもつ危険性が現実化したものではなく、この実行行為に帰責されるべき結果ではない。そこで、このような結果と実行行為との間に刑法上の因果関係は認められない、とされる。

このように、結果犯のもつその構造から、結果犯における実行行為は、少なくとも構成要件的結果発生の現実的危険をもつ行為でなければならない、という定式化が生まれたのである。

そして、この公式から、殺人罪の実行行為であれば、人の死亡(という構成要件的結果)を発生させる現実的危険のある行為という定義が導かれることになる。

なお、このような構成要件的結果発生の現実的危険は、結果犯の実行行為に求められる必要条件であり、十分条件であるとは限らない。構成要件によっては、特にそれ以外の要件が付加されていることがある。

6 強制性交等の罪の暴行か?

さて、話を、強制性交等の罪に戻そう。

強制性交等の罪(前段)における「暴行」「脅迫」は、単なるそれらではなく、相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行・脅迫でなければならない、と解されているが、それは、結果犯におけるこのような実行行為性のルールから導かれる。

すなわち、強制性交等の罪(前段)の場合、暴行・脅迫により、相手方を反抗の著しく困難な状況に陥れ、その状況を利用して相手方と性交等をする犯罪であると理解されている。そこで、その暴行・脅迫「相手方の反抗が著しく困難な状況」(結果)を発生させる相当なもの、すなわち現実的危険性のあるものでなければならない、と解されるのである。

では、本件における被告人の行為は、相手方の反抗を著しく困難にさせる程度の現実的危険性のある暴行だろうか?

確かに、本件では、被告人がAを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れた行為(暴行)によって、Aは、頭が真っ白になり、反抗することが著しく困難になったようだ(裁判所の認定)。

しかし、このことから翻って「だから、被告人の行為は、Aの反抗を著しく困難にする現実的危険性のある暴行だった」といえるか、と言えば、そうではないだろう。

例えば【事例1】の甲の行為によって、確かに、Xは死亡している。しかし、そこから逆算して、だから、甲の行為はXを死亡させる現実的危険があったと言えるか、と言えば、そうとは言えないのだ。だからこそ、甲の行為は、実行行為とは認められず、殺人未遂罪にならないのである。

例えば、次の事例を見てほしい。

【事例3】丙は、恨みを持つZを袋小路に追い詰めた。逃げ場を失ったZは「お願いだ。あんたの奥さんを寝取ったことは謝る。だから命だけは助けてくれ」と命乞いをした。だが、丙は「うるせえ。この間男め。死ね」と言うと、Zに向かってピストルの銃口を向け、殺意をもって引き金を引いた。Zは怖ろしさのあまり、ピクリとも動くことができなかった。ところが、丙の撃った弾丸は、Zには当たらず、Zの背後の壁にめり込んだ。丙の射撃の腕が下手クソだったため、Zは命拾いをしたのだった。

さて、この事例において、丙が殺人未遂罪であることは、だれも疑わないところだろう。しかし、考えてみてほしい。丙の撃った弾丸がZに命中しなかったのは、偶然ではない。丙の撃ったピストルの銃口は、発射する瞬間、確実にZのほうを向いていなかったのだ。だから、外れた。

そこで、弾丸がZに命中しなかったという事実から逆算して考えるならば、そもそもピストルを撃った丙の行為には、弾丸がZに命中する危険性、つまり、Zを死亡させる現実的危険性がなかったということではないのか?

おそらく、このように言うと、多くの人が「屁理屈」だと言うだろう。

そのとおり。このような場合にもし丙が殺人未遂にならないのだとしたら、およそ人が死亡しない場合は、何らかの理由があって人が死亡していないのだから、翻って、その日その時その場で行われた行為者の行為は、結局、人を死亡させる現実的危険性はなかったのだ、ということになってしまい、およそ殺人未遂罪というものが成立しなくなってしまう。

つまり、ここから導かれるのは、行為の危険性というものは、行為時において評価・判断されるべきものであって、行為後に実際に結果が発生したとか、発生しなかったことをもって、翻って、過去の行為が危険であったとか、逆に危険でなくなかった、などと判断されることがあってはならない、ということなのである。

その意味では、本件において、確かに、被告人の行為によってAは頭が真っ白になり、反抗することが著しく困難になったのは事実であるとしても、そのことから翻って、だから、被告人の行為は相手方の反抗を著しく困難にする程度のものであった、と被告人の行為を評価することは、正しくないのである。

つまり、被告人の行為の危険性を判断するのであれば、その行為の行われた時点に立って、Aを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れた行為に、相手方の反抗を著しく困難にさせる現実的危険性があるか否かが問われなければならない。

そして、実際、判決文にもこの点の事情について言及する部分はある。次のとおりである。

そして、Aは、被害直後に、深夜であるにもかかわらず事前の連絡なくBに電話をかけ、Bから「いま寝室」とEのメッセージを受信しても更にBに電話をかけ、約53分間にわたり通話をし、被害状況について申告していること、Bに送信したEのメッセージにおいても上記の際には頭が真っ白になった旨述べていることのほか、Aは、当時25歳と若年であり、身長約149cm、体重約38kgであった一方、被告人は、身長約169cm、体重約67kgと大きな体格差があること、被害当時は、午前2時頃の深夜であって、本件ウッドデッキの周囲に人通りは見られなかったこと、Aが被告人の陰茎を吐き出した後も再度被告人の陰茎を口に入れられてしまっていることなどの事情に照らせば、少なくとも、被告人がAの目の前に立った際に頭が真っ白になった旨のAの上記供述は信用できる

ただ、この点は、あくまでAの供述の信用性を判断するための事情として検討しているのであって、被告人の暴行がAの反抗を著しく困難にする現実的危険性があったか否かを評価するための事情として検討されているわけではない。

そして、判決の基本的な立場は、この被告人の暴行によって、実際にAの頭が真っ白になり、反抗することが著しく困難になったのであれば、この被告人の暴行は、強制性交等罪の実行行為としての暴行と認めてよい、というものである。

しかし、私としては、この点は、どうにも疑問である。

どうもこの被告人の行為をもって「相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行」とすることには、違和感を抱かざるを得ない。というのも、このような行為に至るまでの経緯に照らしても、この被告人は、Aに対して特に威圧的な振る舞いをしているわけでもなく、Aとの間に大きな体格差があることや、深夜で周りに人気がなかったことなどを加味しても、Aを本件ウッドデッキに座らせ、Aの目の前に立った状態で、口に指を入れたという行為(暴行)によって、相手方の反抗が著しく困難になる、とは通常考えられないからだ。

だから、強制性交等致傷罪の成否が問われているのであれば、私としては、この被告人を無罪とするにしても、強制性交等致傷罪の基本犯である強制性交等罪の故意を否定するのではなく、そもそも同罪の実行行為である「相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行・脅迫」がなかった、とすべきであったように思われるのである。

少なくとも、裁判所が認定した事実関係を前提とする限り、そうすべきだったのではないか、と思われるのだ。

7 基本犯の構成要件的故意

私見はともかく、本件の裁判所は、被告人の暴行は、Aの反抗を著しく困難にする程度のものであった、つまり、実行行為は存在した、と認定した。

そして、その結果としてAは頭が真っ白になり、反抗が著しく困難な状態になり、また、前述のとおり、Aは、被告人の口腔性交しようとする行為から唇、口、顎に傷害を負っている。しかも、口腔性交も完遂しているから、この時点で、強制口腔性交致傷罪の客観的構成要件はすべて充たしていることになる。

そこで、あとは、主観的構成要件要素である基本犯の構成要件的故意重い結果に対する構成要件的過失(予見可能性)さえあれば、被告人の行為は、強制口腔性交致傷罪の構成要件に該当するところであった。

しかし、ここで、裁判所は、基本犯である強制口腔性交罪の構成要件的故意を否定した。少し長いが、この判決の最重要部分なので引用する。次のとおりである。

Aは、上記のとおり、被告人が目の前に立った当時、被告人の暴行に対し抵抗することが著しく困難であった、とは認められるものの、Aの供述や傷害結果によっても、被告人がAの顎を触ったりAの口に指を入れて口を開けたりする、という暴行の程度が強いものであったとまでは認めることができないことに照らせば、Aが抵抗できなかった主たる理由は「頭が真っ白になる」などといった精神的な理由によるものであると考えられる。

そして、被告人は、上記のとおり、口腔性交の際には、Aに対し、それほど強い暴行を加えていない上、口腔性交に至るまでの間にも、殴る、蹴る、脅すといった強度の暴行脅迫行為をしておらず、Aから二度目に陰茎を吐き出された後も、それ以上の暴行等の行為をAに対してせず、自ら陰茎を触り射精するにとどめている。

また、Aは、被告人からわいせつな行為を開始された後は、声を出すことができなかったこともあり、拒絶の気持ちを言葉では被告人に伝えることができておらず、Aが被害直後にBに送信した●●のメッセージに照らしてみても、Aは諦めから口腔性交に至るまでの被告人の行為を一定程度受け入れてしまった様子がうかがわれ、口腔性交に至る前の時点では、被告人からみて明らかにそれと分かるような形での抵抗を示すことができていなかったと認められる。

そうすると、被告人の行為は、被告人の立場からみると、いわゆるナンパをした女性に対し、相手の反応をうかがいながら、徐々に行動をエスカレートさせ、どこまで相手が応じてくれるか試し、最終的に拒絶の意思を感じた段階で行為をやめたものとも評価し得る。

そのような評価が可能であることを踏まえると、被告人が当時、Aが被告人との口腔性交を拒否することがとても難しい状態であったこと、あるいはそのような状態であることを基礎付ける事情(以下「Aの反抗が困難な事情」という。)を認識していたと認めるには、常識に照らして疑問が残るといわざるを得ない。

そして、被告人は、Aから、一度目に陰茎を吐き出された後、更にAの口に指を入れ、その口腔内に陰茎を入れているが、上述した経緯等に照らせば、一度目に吐き出されただけでは、それが拒絶の意思によるものと必ずしも理解できず、Aの顎に手を添えるなどして再度の挿入を試みた可能性も否定できず、二度目にAの口に指を入れた時点においても、Aの反抗が困難な事情を認識していたと認めるには、なお常識に照らして疑問が残るといわざるを得ない。

以上のとおり、裁判所は、被告人の行為が「Aの反抗を著しく困難にする程度の暴行」であったとはしたものの、その一方で、その行為が「殴る、蹴る、脅すといった強度の暴行脅迫行為」ではなかったことなどから、被告人自身は、Aが抵抗困難な状態であったことを認識していた、とは認められない、としたのである。

つまり、被告人は、自己の行為がAの反抗を著しく困難にするものであるという認識もなかったし、また、Aが著しく反抗の困難な状態にあったとの認識もなかったので、被告人には、強制性交等の罪の構成要件的故意がなかった、ということであろう。

そして、裁判所は、最後に、次のように述べて判決を締め括っている。

以上検討したところによれば、被告人が口腔性交をする際、Aの反抗が困難な事情を認識していたと認めるには合理的な疑いが残り、被告人にはこの点に関する故意が認められない

なお、上記で検討したところによれば、被告人がAの口に指を入れ、陰茎を入れる暴行を加えた際に、被告人が同行為につきAの消極的な承諾があったと考えていた合理的な疑いを払しょくすることもできないから、被告人の行為に傷害罪が成立すると認めることもできない。

よって、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条により被告人に対して無罪の言渡しをする。

8 感想:裁判所の苦心はこれか?

上記のとおり、裁判所は、最終的には「被告人が口腔性交をする際、Aの反抗が困難な事情を認識していたと認めるには合理的な疑いが残り、被告人にはこの点に関する故意が認められない。」として、強制性交等致傷罪の成立を否定し、被告人に対し、無罪の判決を言い渡している。

私としては、上述したとおり、強制性交等の罪(刑法第177条)を基本犯とする強制性交等致傷罪(刑法第181条第2項)に関して言えば、構成要件的故意ではなく、むしろ、同罪における「暴行」すなわち「相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行」の存在を否定すべきであったのではないか、と考える……が、ただ、事はそれほど単純ではないのだろう。

裁判所の認定によれば、本件では、被害女性Aは、少なくとも、行為の途中から「頭が真っ白」になり、被告人から口腔内に陰茎を入れられるころには、準強制性交等の罪(刑法第178条第2項)における「抗拒不能」の状態にあったと言えるようなのである。

そして、強制性交等致傷罪の基本犯としては、強制性交等の罪だけでなく、準強制性交等の罪も含まれている。だから、万全を期すのであれば、

強制性交等の罪を基本犯とする強制性交等致傷罪

が成立しないということだけでなく

準強制性交等の罪を基本犯とする強制性交等致傷罪

も成立しないのだ、ということを示しておく必要があるだろう。

その意味では、強制性交等致傷罪(刑法第181条第2項の罪)の成立の可能性を完全に否定するのであれば、強制性交等の罪における「暴行」が存在しないというだけでは、不十分だということだ。

そこで、強制性交等致傷罪の可能性を検討すると、本件では、Aが客観的には抗拒不能の状態にあり、その状況下において被告人がAに対して口腔性交をし、また、これによってAが負傷している以上、その客観的構成要件要素は充たしているということになる。

そこで、強制性交等致傷罪を問題にするのであれば、やはり、主観的構成要件要素である「準強制性交等の罪の構成要件的故意」の存否、言い換えれば、当時Aが反抗困難であったという状況を被告人が認識していたか否かを問題とせざるを得ない、ということになる。

そして結局は、これも否定されるから、本件では、準強制性交等致傷罪も成立しない、ということなのであろう。

本件判決が、その結論部分において「自己の暴行がAの反抗を著しく困難にする程度のものであることを被告人が認識した」とは認められない、として故意を否定したのではなく、「被告人が口腔性交をする際、Aの反抗が困難な事情を認識していた」とは認められないとして故意を否定している点は、結局、反抗困難状態に対する認識を否定することで、強制性交等致傷罪だけでなく、準強制性交等致傷罪も認められないのだ、ということを暗に示しているように感じられる。

そして、判決は、最後に傷害罪が成立しない点についても言及している。その記述は、極めて短いが、ここでは、被告人には、傷害罪の構成要件該当性、違法性はあるものの、「被害者の同意」という違法性阻却事由に関する事実の錯誤があり、それゆえに、責任段階での故意が阻却され、犯罪が成立しない、として不成立の結論を導いているのだろう。

この点は、いわゆる「縮小認定」(公訴事実の全部についての証明はないが、その一部についての証明がある場合において、その一部について別罪として有罪とすること)によっても有罪となる可能性がないことについて手当てしていると言える。

この判決は、理論的には、一部賛成できないところもあり、記述についても少々端折っている感じもするが、実質的には、なかなかに手抜かりなく手当されているような印象を受ける。

9 結びとして

今回の判決については、新聞記事からはまったく想像もできなかったような事案であった、というのが率直なところである。

本件は裁判員裁判の事件であった。それゆえ、法廷で闘わされる検察側・弁護側、双方の主張・立証を通じ、また、A、Bに対する証人尋問や被告人質問の状況などを通じて、まずもって、裁判体はこの事件についての心証をとったのであろうと思われる。

そして、この事件では、確かに被害女性であるAにも気の毒な点はあるものの、だからと言って、被告人を有罪にするのも可哀想な事案だ、という心証に至ったのではないか、という気がする。

被告人のした行為は、確かに、概念的には「人の身体に向けられた有形力の行使」ではあるものの、私としてはこれを「暴行」と呼んでよいのかさえ躊躇を憶えるレベルである。

しかし、男性の体力は女性に比べて強く、また、女性のカラダは男性が思っている以上にデリケートだったりする。そんなことで、身体的接触を伴う行為の際に、男性が意図せず女性を傷つけてしまうことも、結構あったりするのだ。

つまりは、双方の気持ちや認識のすれ違いなのだが、性生活においては、このようなことは日常的にまま起こりうるところである。

そうである以上、こういうものをすべて取り上げて処罰の対象にする、などということはまったく現実的なことではない、と私は思う。

その意味で、この事案は、双方の気持ちや認識のズレの結果として起こった不幸な出来事と言うべきではないか?

そして、すべての不幸な出来事について、だれかの刑事責任を問わなければならないというものではない。

少なくとも、この事案を1つの経験的素材として新たな犯罪構成要件の創設を考える必要性は、私には感じられない。


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