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人間の堕落の歴史

楽器は英語でinstrument。
で、instrumentを検索すると「器具、器械、道具、計器、楽器、手段、方便、(人の)手先、ロボット」と出てくる。

instrumentと人間の歴史について1ジャンルで軽く(素っ気なく)書いてみる。

音楽史を紐解いてみると、音楽は楽器と密接に繋がって発展しているのが解ります。
より自由な演奏が出来るようになることで、音楽自体が自由に高度になっていく、そんな相互の共鳴の関係です。

たとえば。
クラヴィコードやチェンバロがピアノフォルテになり、やがてそれに鉄骨の枠が入ってピアノになる。

それによってオクターブがひろがったりタッチの表現が豊かになる。
音量が増して合奏の形態も大規模になる。

バッハにしてもモーツァルトにしてもベートーベンにしても、当時の最新の楽器を取り寄せて、その機能に合わせた曲作りをしていた。

そんな風に道具と人間とは相互に響き合って発展してきた。

特にベートーベンはピアノの能力を引き出す曲作りをしていたと共に、最新楽器であるピアノによって曲想の豊かさが引き出された、もっとも代表的な例だと言える。

坂本龍一はシンセサイザーやシーケンサー、プログラミングを多用した曲作りを日本で浸透させた代表と言えるが、しかし当時は「堕落だ」と攻撃されることも多かったという。

シンセサイザーなど、新人類的な若者の軽佻浮薄な風俗と見なされていたのだ。


さらにもっと前、日本に初めてシンセサイザーを持ち込んだ冨田勲によるドビュッシー。

大金をはたいて機材を輸入した時、シンセサイザーという概念自体が理解不能だった為、軍事機器と間違われて税関で止められて調査され、楽器であることを証明せねばならず大変だったとか。

晩年、80歳にして初音ミクと共演を果たしたことが私には感動的でした。



さて。
そういえばシンセサイザーを始めて使ったメジャーなミュージシャンはビートルズ。この曲。
今から考えると地味な使い方。


その前にはもっと変な楽器、メロトロンなんてものを使っていた。
テープに録音した楽器の音が鍵盤で再生される仕組み。
楽器にはふつうアタック音があるが、テープだとそれがないので、ふわふわした妙な音になるのが独特で面白い。このイントロとかね。

そもそも、多重録音などの録音技術や編集技術自体を「楽器」化したのがビートルズでもある。そうした技術にあわせて音楽が発展した。

今では多重録音を「堕落だ」という人はいないと思うけど。


そういえばボブ・ディランはアコースティック・ギターからエレクトリック・ギターに持ち替えてフォークからロックになったことで酷いバッシングを受けた。「堕落だ」と。
今では意味がわからん話だ、、、。

↑当時のディランのおしっこちびるくらいカッコイイ演奏


スライ&ファミリーストーンのこの曲なんかは、リズムマシーンを取り入れた最初の曲。地味な使い方だけど、当時は人間の演奏に機械の制御による演奏が混じるのは「真面目」ではなく「不真面目」であり、衝撃だった。

まあこのへんでやめておくけれど、こうした「堕落」が文化の幅や奥行きを拡げて行ったことは言うまでもない。


まあ今ではボカロなんかも違和感なく音楽として楽しんでいるし、最初は驚きだったり脅威だったりしても、すぐ普通になります。

で、こういうのって「堕落」なんでしょうかね?
道具の発展で可能性がひろがることが。

正直、意味がわからないです。

道具に恐怖を覚える発想も私には意味不明。

人が道具を手にした時点で、もうその「堕落」は始まってるんですよ。

人間が人間である原罪です。


ゲームなんかやめて双六やれっていうのと同じくらいナンセンス。

そろばんで計算しろって?

無知な者ほど偏見は強く、未知のものに対して恐れを抱きます。

自分の拠り所となる環境、基盤が崩れることがこわいのです。

そこにおかしな屁理屈をくっつける。

そして斜に構えて苦言を呈して得意顔してる人、たまに見かけますね。
君らより賢い俺、みたいに独りで酔って。
単なる恐怖心なんですが。

既にAmazonでAIにオススメされたものを買ったり、SpotifyだのYouTubeだのtiktokだの、次に流れてくるものを勝手に決められてたりしてるんですけどね。
自分で決めてないですよ。もう、いろんなものを。

毒はもう充分に食っている。次は皿です。

勿論弊害はたっぷりあります。でも、そういうことと引き換えに、別の可能性がひろがるのです。人間はそうやって文明を得て来た。退化と背中合わせに。

手づかみで食べるところから箸やフォークを使うことで、食覚(味覚・嗅覚・視覚・触覚)から触覚が失われた。(インドではまだ保持してますが)

これを単に退化と捉えるのはかなり単純な考え方だというのは解ると思います。
とはいえ、どこかでそれを取り戻せる瞬間や機会が無ければ、人間は本当に退化してしまうでしょう。
手づかみでおにぎり食べる時に、やっぱり手で持つと美味しいなと感じたり。
大事なのはそうした均衡を忘れずにいることだと思います。たとえノスタルジーに過ぎないとしても。

私も、もはやノートに鉛筆で書いても漢字とか書けませんよ。ヤバいくらい。でもちゃんと入力出来ればいいです。制御するのが人間の役割。

とはいえ私自身は「自然に戻れ」的な考えの自然派ですけどね。
文明に疎外されるなと警鐘を鳴らす側です。
どちらかといえば。
でも、そういうこと両方と向き合い、両立してこそ現代に生きるということです。でなければ退化ですから。


それにクリエイティブな人間ほど、新しいテクノロジーに惹かれるのは歴史を見れば明らかですよね。時代はそうやって更新されます。

なるせ氏のこの文章や姿勢が優れているのは、自らの恐怖心を見つめつつ、自分なりの、テクノロジーと人間との均衡を図っているところだと思います。しかも私よりは余程うまく使いこなしてますしね。


さらに、ここで拙著『すみません。タイトルと中身は直接関係ありません(^^ゞ』から引用してみましょう。

⑦私は貰ったもので出来ている

まず、自分というものはほとんど他から貰ったもので出来ている、という認識を持ってみましょう。
そして、他からの影響によって動かされている。
これを仏教で「他力」といいます。

西洋的自我感覚から脱出し、自己を俯瞰してみると、こうした境地にたどり着きます。

空だとか縁起だとかとセットになった世界観です。一度、簡単な仏教関係の本を読まれると良いと思います。

この「他力」の認識に立つと、いわゆる「エゴ」を中心とした感覚からの転換が起こるので、色々と、ものの見方は180度変わってくるでしょう。
自分が自分の力で作ったものでなく、他の借り物であるならば、自分の作ったものも、勿論、ほとんど借り物です。

「自分のもの」という認識が薄れると、勿論、他人に奪われることもありません。
我々は、お互いに貸し借りして生きているだけなんです。

そもそも、自分の力で書いていると思い込んでいたものは、実は自分の力なんてほんの少しなのです。
気づいていないだけで。

意識的にも無意識的にも、何かから学習・参照し、勝手に自分のものにして書いているのが本当のところ。

エゴの強さが、それを全部自分のものだと勘違いさせてしまうのです。

AIの使用とはそうした「借りること」の自覚的な実践であり、
他力の顕在化なのです。


そんなわけでAI、びゅんびゅん使いまくりましょう。
こちらの教材が入門にして最強。


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占いに特化したものはこちら。

ついでにこちらはAIとは無関係ですが、上記のものの前編的な内容で、鑑定文に関してはこちらの知識を前提として持っていないと使いこなせないと思います。併せてどうぞ。

さらにこちらは占い販売の秀逸なロードマップ。

この3つあればとりあえず準備完了。あとはタロットカードやタロットのやり方の本を購入すればOK。ちょっと脱線して占いの話になりました。

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では。みなさん。どんどん「堕落」しましょう。

堕落の作家、安吾は思考の速度に比べて記述の速度は遅すぎると嘆いていたが、、、
AIなんてあったら即、使いまくるタイプだよなーーー。


今回は単なる趣味の記事でした(笑) では。

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