戦前の描写(1929〜1945)
いまの時代が「新しい戦前」と形容されているそうですが(徹子の部屋のタモリ氏)、昭和の戦前はどんな様子だったのか、山本夏彦氏のコラムから抜粋してみました。
昭和4年(1929年)世界恐慌
昭和6年(1931年)満州事変
昭和8年(1933年)
昭和14年(1939年)ノモンハンで大敗
昭和20年(1945年)敗戦
昭和初期
・昭和5年はエログロ最後の年で、当時さまざまなサービスが行われていた。しかし満州事変以降なくなった。景気が良くなったからである
・円タクの運転手は50銭では応じなくなった。
・昭和2〜16年、一流会社の大卒の初任給は60円。給料が上がらないのは会社が物価と月給をスライドさせなかったから。山本が受かったという出版社は35円で、あまりに安いことは採用した編集長の様子から知れた。
・昭和9年は大凶作で、東北では娘を売る農家が夥しかったという。凶作なら不況だと思いがちだが全体は好況であった。
昭和15年(1940年)国民服が店頭に飾られた。
>背広を着ていると、非国民のように見られるようになった。
昭和16年
・1月「商店法」改正により料理屋は9時閉店となった。注文は8時半まで。
・5月、東京中のタバコがなくなり配給制に。吸わない人にまで配給されるので譲ってもらうなど。
・9月「田舎町では木炭や薪で車を走らせていると聞く」
▶️ このころ出版社を始めたが実績がないため紙の配給を受け取ることができない。しかし和紙は統制外なので売買自由であり、各社の帳簿用紙で余っているものを集め、50冊を和紙で、2000冊を帳簿用紙で刷り、内務省への献本は和紙のものを渡した。
昭和17〜20年
・物資が困窮しても、変わった料理の店に行けば食べ物はあった。
フグ、食用蛙、猪、馬肉屋、どじょう屋など。昭和18年ごろ
・隣組の幹部は、油、果物、菓子に困らなかった。
・昭和17年4月18日、ドウリットルの空襲。このときは焼夷弾はほとんど使われていない(たぶん)
・昭和20年3月10日の空襲、それまでの空襲は高度が高く軍事目標が中心だったが、それ以降は違うと思い秋田に疎開した。
風俗、流行歌
当時の流行歌も紹介されている。
「わたしこのごろへんなのよ」「はあ小唄」「島の娘」「東京音頭」「ねえ小唄」(昭和6〜8年)
「忘れちゃいやよ」「皆さんのぞいちゃいやだわよ」「もしも月給があがったら」(昭和11〜12年)
「別れのブルース」「雨のブルース」「上海ブルース」(昭和12〜14年)
ブルースが流行しているということは、まだ当時は
西洋文化=鬼畜米英、ではなかったのだろう。
その他
ほとんどの書籍が絶版になっています。山本七平氏との対談本はkindle版があった。
戦前の暮らしについては、コロナ禍での生活様式と全体主義の共通点を指摘した「暮らしのファシズム」(大塚英志著)も面白かったです。
追記(戦後について)
1950年 終値102円 6月から朝鮮戦争
1953年 終値378円 7月に停戦
1971年 終値2714円 ドル円=360円の固定相場が崩れる
戦後の初任給
>戦後間もない1949年は4223円。その後は上昇を続け、1959年に1万円台に。第一次オイルショックが起こった1973年には5万円台になった。
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