私たちは誰かに感情を提供しているだけではなく、感情を「提供される側」として、コンテンツ(や人)をジャッジする習慣を持つようになった。
「元気をもらえた」「涙が止まらない」「感動」「吐き気がする」といったフレーズは、いつごろから増えてきたのだろう?
「いいね」が義務になるとき
第1章 感情天皇制論
1983年、社会学者のホックシールドが人間の内面が資本主義に組み込まれている現象を「感情労働」として指摘した。
例に挙げられていたのは客室乗務員(CA)であったが、いまやほとんどの仕事の中に感情労働が含まれているのではないか。
「自ら望んでいる」フリを強制される場面についてジジェクさんが喋ってるやつ。内容はちょっとズレますが
第2章 物語労働論_webの「新しい労働問題」をめぐって
二次創作、商品レビュー⭐︎⭐︎⭐︎、ボーカロイドなど、多くのコンテンツが無償労働によって支えられている。web上での行動はビッグデータとして経済的価値を生み出しているが、これらはどれもユーザーが無償で提供しているものだ。
この「自己表出させられる」で思い出したのが、村上春樹インタビューの以下の箇所
同じ本の中で、村上は夏目漱石の小説「坑夫」が好きだという話もしている。何かが起こって帰ってきても、主人公はとくに成長していない。それがとても素晴らしいと
第6章 機能性文学論
小説の「描写」が、現代では「めんどくさい」と感じる人が増えており、サプリメントのように「泣ける」「癒される」もしくは実用的な「学び」といった「機能」が求められている。
現在の文学や批評に携わる人間は社会から疎外されていないため、システムを外側から眺めることができないのではないかという話(例えばフランスであればイスラム教徒として暮らす人々のような)
成長しない主人公
第3章 スクールカースト文学論
鈴木翔の新書「教室内カースト」についての記述↓
この章で著者は、朝井リョウの小説「桐島、部活やめるってよ」「何者」がシステムのメタ視点(=優位性)を目指しつつも壊す方向には向かっていないことを指摘し、同じくスクールカースト小説である大江健三郎の「セヴンティーン」が比較対象として取り上げている。
(セヴンティーンの主人公は、右翼団体に入った結果、学校のカースト上位に居た友人を従える立場になる)
第7章 教養小説と成長の不在
「色彩を持たない多崎つくる〜」は歴史修正主義の話では?という読み解き。第3章で主人公が右翼になる作品が紹介していたが、どちらも瓶や容器のメタファーが出てくる。
変化する定型文
第5章 文学の口承化と見えない言文一致運動
読者と作者が入り混じった結果、web上に「いわゆる読者文芸という名の口承文芸」が現れているという考察。柳田國男の文献たくさん出てくるんだけど、あんまり消化しきれなかった、。
民俗学については、こちらの動画と話がつながるかも
二葉亭四迷は文章が下手だったので落語の書き起こしから始め、それが言文一致になったというエピソードが面白かった。
めっちゃ長くなった、、
上記でまとめきれなかった話↓
▶️ GoogleがAIにロマンス小説を学習させた結果、それらしい出力が出来上がるが、読む人間は「勝手に」深みや行間を読み取る。
▶️ 社会から「疎外」されていた者がいつのまにかシステムの中に「包み込まれる」のでは?と思ったこと(書籍内でそういう結論が書いてあるとかではない)