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『たとえ世界が終わっても』 橋本治

動物はさ、自分の生存に必要なものだけ集めてればいいけど、人間ていうのは、「自分の生存に必要なもの」の範囲がよく分かんないんだよね。

「必要」ってことを考えればさ、「今までの自分にこれは必要だったけど、もういらないな」ということは起きるのよ。そうして「次の段階へ行こう」になるんだけど、「次の段階」が見えない人だっている。

昭和の昔には、「社会保障」という考え方があんまりないの。社会というか、国家や自治体が自分たちの生活を助けてくれるというのは、遠い世界の理想論で、だからこそ、国家がその面倒を見てくれる社会主義国家が、「いいもの」だと思えたの。

社会との関わり方

なんというか、「自分が働いていることが、社会を動かすためのひとコマになっている」みたいな実感を持って生きるっていうこと。それが、実は社会建設なんだってこと。

「既に存在している社会」ばかり見て、「世間がどうだろうと、俺は俺!」「社会との関わりなんかなくても『自分』は存在するし、それこそが自由だ」みたいな思い込みが広がってゆくと、今度は「自分がどういうものかよく分からない」という自分の希薄化が起こるんですよ。「自分」というのは、自分一人で決めるものじゃなくて、外の世界との響き合いで決まるものだから。

80年代

ニューアカの人たちは、分析だけはするんだけど、まとめないんだ。だから「僕はこんなに頭がよくて、こんなに鋭く分析出来るんですよ」って言われてる気がする。分析した材料がずらっと並んでて、「で、これをどうするんだろう」って思うと、答えがないんだよ(笑)

後半は、人が社会の中に存在するのではなく、社会が各個人の頭の中に存在してきているという話になっています。

こちらの本が出版された時期に収録されたyoutubeもありました(橋本治の映像講義)

▶️ 分からないことを見つけないと分かるようにならない
▶️ 「何をどう努力すれば良いか分からない」には、まず失敗すること。
▶️ 失敗して、それを埋める努力をすると上達する。その試行錯誤を続けるとスキルになる

▶️ 「教える」にはトータルな知識が必要だが、自分は試行錯誤の人間なのでそれができない。何かしているのを見て、横から改善方法を指摘することはできる

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