発表するのって怖くないですか?

どうも。イラスト更新頻度よりもnote更新頻度のが高くなっている者です。
いや描いてはいるんですけどモチベが…なんかついだらだらと…後で今こんなの描いてる途中ですっつってFANBOXの方更新しておこうかなぁ月末だし。

まぁまぁ、そんなことよりも何かを発表するのって怖くないですか?
どちらかというと恥ずかしい、とかの意見のが多い気はしますけど。
自分自身が、「これはいいぞ~!」って思って発表する作品って多分どこか恥ずかしかったりすると思うんですよ。僕の場合は怖い、なんですけど。
まー、細かい感情は違えど、つまるところどんな反応が返ってくるか気にしているって話ですね。

怖いんですよね、なんか。このnoteの記事にしたってそうなんですけど。
僕がnoteに書いてるようなことって、絵描きならとっくにみんな考えつくかあるいは感覚でできているようなことなんじゃ…おめー今更なにそんな常識書いてんだよって思われてるんじゃ…とかどこか頭の片隅で思いながら書いてるところあります。その分、スキ!でも付こうものなら考えを肯定された気がしてすっごく安心するんですけど。
冷静に考えれば多分そんな、否定的な目で見られてるようなことは無いんですよ。そもそも僕がこうやって色々考えて、もはや考えるのが趣味みたいになってるのって多分他人が怖くて防衛手段として考えるようになった、みたいなのがスタートだと思うんで、他の人も同じように考えまくってるなんてことは無いと思うんですよ。
そらまぁ、僕が全人類で初めて考えつきました!とかは流石に思わないですけど、こうやって書き記しておくことに意味があるというか、こういうのって大体人の脳内に留まるだけで発信されることって少ないじゃないですか。なので意外と興味を持って読んでもらえると思うし、(そもそも考え方が違いすぎてて何言ってんだこいつって思われてる可能性は否定できないですけど)だからそんな否定的な意見は飛んでこない…と理性の部分ではわかってるんですけど。
でもなんか、感覚として確信を得られてないんですよね。理論上はこうだと思うけど、ちゃんと実験はしていない、みたいな状態でしかないので。

そもそも恥ずかしいとか、怖いとか、そういう時点に達していない作品は今回の話では除外するものとします。なんというか自分を出し切っていない作品ですね。自分の思いの丈を出し切っていないような作品って、それを否定されたとてそんなに辛くないんじゃないかと思うので今回は置いておきましょう。

さて。
そんなこと言ったところで発表しなきゃクリエイターとしては成立しません。自分自身で楽しむと完結してりゃあ話は別ですが、基本的には世に向けて発表するもんです。
じゃあ怖くないようにしていきましょう。
世の先生方もこの辺は色々言っております。
「つってもどうせ発表しなきゃならないんだからそんなこと考えてたってしかたなくない?」
「アンチコメントが付くほど多方に広まったってことだからむしろそれは誇らしいこと」
「そんな意見はブロックすればいい。どっちにしろあなたの顧客じゃないし気にしても仕方がない」
聞いたことあるのは大体こんなところでしょうか。
まぁわかる。わかります。先生方の仰ることはまこと正しい。しかしそれでも気にしてしまうのが人情。この辺の気にするかどうかは精神的な成長とか、慣れとかもあるとは思いますが、さてはて。
ともかく怖いことって、知識や見識の欠如がだいたい原因だと思うので、とりあえず色々考えていってみましょうか。
ちなみになんですけど、ほんとに考えながら書いてます、今。ほんとにどうしたらいいか今の時点ではわかってないです。

さて、なんかこう、漠然と怖いな、と思っているのが今の状況です。
何が怖いのでしょう。
それは自分が良いなと思ったものを否定されるのがです。良いとかでなくとも、何かしら自分の心を込めて発表したものに、なにか心無い否定が飛んでくる。それは嫌なものです。
世の中には色んな考えを持つ人々が居ます。その中には当然趣味の合わない人も居る。もちろんこちらも全人類に向けて発表しているわけではありません。どこかの誰かに、同じような考えを持つ人、あるいは一部だけでもいいから同意してくれる方に届けばいいな、と思って発信しているわけです。そもそも同意されなくてもいいや…と思っている自分も少し居るのですが、これはそもそもクリエイターとしてどうなんって話になってくるのでまたいつか、別の機会で書くとします。
だからまぁ、共感してくれない人も居るというのはそりゃそうで、当然です。しかしその中に、わざわざ否定的な意見を言ってくる輩が居るのではないかと、居るかどうかもわからない幻影にビクついているわけですね。
この居るかどうかもわからないというのが厄介で、居ないと言い切ることはできないわけです。というか世の人間何億人の中にはおそらく居ることでしょう。めちゃめちゃ少ないと思いますけど。そんな少数の人間を気にしてんの?はい!!してます!!
発表したイラストが数多くの人の目に触れた場合、それに遭遇する可能性も高くなることでしょう。なんかこう、1万RTとか。そんな数字行ったことないけど。
過去最高は3000RTくらいですけど、その時はアンチコメントが飛んでくるようなことはありませんでした。色々運も絡むと思いますけど、描くジャンルにも依ったりするものでしょうか。大きく反応をいただけたのは過去2回とかなので、もっと回数重ねればあるいはそういうことも起こるかもしれませんね。
いや、いいんですよそういう時はむしろ。多分。いや良くはないけど。めちゃめちゃ反応をいただけた時に、1つくらいそういうのが混じるのは多分喜びのが勝るじゃないですか。喜びに水を差す部分もありますけど、少なくとも多くの人に支持されてるのはわかるから自信を保てるじゃないですか。発表して良かったんだって。ちょっと意見の合わない方も居るけど、ま、そういうこともあるよねってそっとブロックできるじゃないですか。いやそりゃブロックはしますよ、僕も気分悪いし、それを見た他の方々にとっても気分悪くなるものでしょうし。そもそも同じ気持ちを共有できない方なんだなぁってさよならバイバイするじゃないですか。マサラタウンに。

そんなことより問題は、ろくすっぽ反応もらえなかったのに、なぜだかわからんけどそういうアンチコメントしてくる厄介な人にたまたま届いてよくわからん反応もらった時ですよ。
そんなことあんのか???と思う自分も居るが、いやしかし無いとも言い切れないと思ってしまう自分が居る。
道端で交通事故に遭う可能性のがまだ高いんじゃないのか?
いやまぁ、そういう低確率なことも考慮して世の先生方は「そんなこと考えても仕方がない」とおっしゃってると思うんですけど、せっかくだしもう少し考えていきましょう。せっかくだし。

その手のコメントをする人のことを考えてみましょうか。
反応が多いイラストにアンチコメントが付くのはなんとなく想像できます。
なんかこう、嫉妬のパターンとか、自分を否定されている気がするパターンとかがあると思うんですね。
俺より多くの反応もらいやがって!捨て垢作って荒らしてやる!みたいなことって多分あるんじゃないでしょうか。共感はできないけど理解はできますね。
あと、そのイラストのテーマがその人とは合わなかった場合、しかしそれでもそのイラストが多くの反応をもらっていた場合、なんか自己を否定されたような気がして、自己防衛のために抗う、なんてことももしかしたらあるかもしれません。精神的に未熟なケースですね。多分他にも色んなパターンがあると思うんですけど、今ぱっと思いつくのはこれくらいですね。

では、特にだれからも反応されてないような絵に対してアンチコメントする人というのは一体どういう人でしょうか。(どこまでが反応が少なくて、どこからが多いのかといった話は明後日の方向へややこしくなるのでスルーします!いっそのこと0だと思ってください)
例えばそこに描かれているキャラクターが嫌いで、同様の作品をわざわざ検索していちいちコメントしている人とか。
あるいは単純に僕のことが嫌いで、シンプルにバカにするためにコメントをしてきたとか。
ほんとに交通事故みたいな存在ですね…1回ブロックかませばとりあえずおさまるんじゃないか…?
なんか具体的に考えてたらなんとかなりそうな気がしてきたぞ…良かった、わざわざ変なコメントしてくる幻影は実は居なかったんだね…。幽霊の正体見たり。

まぁ、はい。
漠然と怖いものって、具体的に考えればわりとなんとかなるものですよねー…いやまぁ僕は対人関係で漠然と怖いものが多すぎるので、なんというかこの辺まだまだなんですけど。
恥ずかしいよりも怖いという視点で書きましたけど、恥ずかしい場合もおおよそ同じ考え方でいいんじゃないかなぁって気がします。
わざわざ他人の好きなものを貶してくるような人は人としてどうかしてますしね…いやまぁケースバイケースで色々あるとは思いますけど。でもそれにしたってもっといい言い方あるじゃん、とか。

ちょっと違う軸の話になるんですけど、「これって描いていいのかな」って場合もあると思うんです。
ちょっと倫理的にマズそうな絵とか、ゴア表現とか、エロ表現とか、つまるところ世間の常識とされるものから外れてるような作品。
僕はどんどん好きに発表すりゃーいいと思うんですよねー、度合いによって流血注意、とかワンクッション挟んだほうがいいのかな、とか思ったりはしますけど。
好きなものって、同じようにそれを好きな人に向けて発表するわけじゃないですか。
とある作家Aさんが暴力表現が好きだとして、これこれこういう理由で暴力表現が好きなんだよって言ったとして、多分同じ理由で暴力表現が好きな人がどこかに居るはずなんですよね。人が何かを好きになる理由って、そんな特殊なケースってほぼほぼ無いです。好きになったルートはともかく、好きだと思う理由はわりとたくさんの人が共有できるものだと思います。
具体的な迷惑をかけなければ良いんじゃないかなー…SNSってそもそも、接種する情報を選べる仕組みになってるんですよね。嫌なら見なければいいじゃんって。
しかし、今まで自分を抑えていたパターン。多分これが一番作家を悩ませる。
今までなんとなく世間のニーズに合わせて抑えた表現をしてきたけど、やっぱり私は過激な表現が好きだとか、そういった表現が好きなことに気づいたとか、なにかしらの転機があって今までやってこなかったことを急にやろうって場合。
やったらいいと思うんですよね、それも。
まず、自分を出し切ってない作品ってそもそもつまらないことが多いんですね。作家自身ももの足りないと思ってるような作品はよっぽどつまんない(絶対つまんないとまでは言いませんけど)ので、クオリティ的な理由でも、作家の精神的な健康を見ても、好きな絵を描いた方が良い。クライアントはそれを見て仕事を頼むかどうか決めるでしょうし、好きな方向性の仕事が来る土壌を作った方がいいじゃないですか。
で、仕事ではなく趣味で描いてるとしても、クリエイターって長く続けるものじゃないですか。長い間自分を抑え続けるのって単純に苦痛だと思うんですよね。やろうと思ったなら早いうちから好きな題材の絵を描いたほうが良い。
で、SNSで発表する場合、今のフォロワーさんの反応を怖がると思うんですけど、まぁ長い目で見るなら一瞬の痛みということで…。
もしかしたら一瞬、大きくフォロワーが減るかもしれない。
しかし好きなものを全力で描いた方が絶対に魅力的な絵になるので、多分長い目で見るならフォロワーは増えるし、そうして出来たフォロワーは趣味が合う人達なわけです。趣味の合わない人達に合わせて描き続けるより、趣味の合う人を探して冒険する方が後々健康的じゃないですか。
アカウント分けるって考え方もあると思いますけど、わざわざ0から出発するよりは今のまま行ったほうがいいと思うんですよねー…アカウント分けるってのはつまり閲覧者さんに考慮してのことだと思うんですけど、そもそも閲覧者に合わせて自分の好きなもの、つまり作家性を捻じ曲げるってのがおかしな話になってくるので。これはクライアントの要望に合わせるといった仕事の話とはまた違う話です。自分という色を出していきましょう。SNSでは出していいんです。色を出していけば、それに合わせた仕事も来るわけです。仕事が来る云々はまた別の話ですけど。まぁ、仕事が来るとしたらそうなわけです。

と、いうのを頭で分かっていてもなかなか前に踏み出せない人も居るんじゃないかって気がしますけどね…ココロってのは厄介なものですね。
まー、最終自分で決めて自分で踏み出さないとどうにもならないものです。
なんか漠然とやだなぁってところで止まってるといつまでもそうしちゃいがち。だってまさに僕がそうなのだもの。そういうこと多いです。困っちゃいますね。
好きに生きよう!!!!うおお

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