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晦日祓い

毎年祖父母と年末年始を過ごしていた時期、晦日祓いという風習があった。手のひらサイズの御幣で、たぶん家長に当たる人が家族の脳天に御幣をかざして数回回して穢を落とす、という感じだった。そして家族全員それを済ませたあと、家から少し離れたところの辻に刺してくる、というところまでが晦日祓いだった。

いつも大晦日には祖父母宅(実家から車で5分くらいのところだった)で年越しそばを食べて紅白を途中まで見て、全員食べ終わったら晦日祓いをして帰宅するのが習慣だった。次の日は元旦にまた祖父母宅へ行っておせちやお雑煮を食べたあと、車で15分くらいの、祖母の生家近くの神社へ初詣をする、というところまでが年末年始の過ごし方だった。祖父母が亡くなる6、7年前までそんな感じで過ごしていて、それ以外の過ごし方に未だに慣れずにいる。
晦日祓いをしてもらうと、なんとなく少し気持ちが清らかになったような気になったものだが、あの御幣を祖父がどこから手に入れていたのか、よくわからないままでいる。自宅のあるところには御幣が刺さっているのを見かけないので、このあたりには晦日祓いは地域の習慣としてはないようだ。

今年は初めて年末の神社に、次女とのお散歩がてら行った。特に用事があった訳ではないけれど、なんとなく。いつもは知らなかったけれど、お正月の松飾りを売っていたり、茅の輪があった。せっかくなので茅の輪をくぐって次女とお参りしたので、今年はそれで穢が落ちたような気がしている。

あと何回、こんな年末年始を過ごしたら、こちらがスタンダードな過ごし方だと思えるようになるだろう。実家に行ったとき、祖父母宅の前を前を通ると、なんだかまだそこで暮らしていて会えるような気がしていたが、それは最近なくなった。こうやって少しずつ、思い出にしていけるだろうか。

今でも悔やんでいることのひとつは、祖父が亡くなったときのことだ。亡くなる前日に実家に行っていて顔を出すつもりでいたが、祖父から風邪気味で風邪をうつしちゃ悪いから来なくて良い、と母づてに言われて、じゃあまた今度にするか、ということにしてしまった。当時長女を妊娠していて、臨月間近だったので祖父が気を遣ったのだった。無理に会いに行っても気を遣わせるかな、と思いそういうことにしたのだが、自宅に帰ってきて次の日、朝早く妹から切羽詰まった声で電話がかかってきて、祖父の死を告げられた。もともと心臓が悪かったが、家の中でひとり倒れていたようだ。風邪気味だったこと以外は、特別不調でもなかったのに。

急いで祖父宅に行ったら、警察が来ていて、ちょうど納体袋に祖父が入れられるところだった。あのときの、祖父の白くなった顔が脳裏にこびりついている。たまに昼寝をしていると、口をあけていびきをかいていることがあったが、そのときとおんなじような顔なのに、生気を失い、間近でなくとも命がなくなったことがわかった。昨日まで、生きていたのに。会いに行くべきだった、風邪がうつされたとしても、こんなふうに2度と会えなくなることがわかっていたら。せめてあと1か月生きていてくれたら、ひ孫を抱かせてあげられたのに。

そんなのは、結果論であり、ないものねだりなのだけれど。今でもそんな後悔を、この時期になると強く思い出す。

亡くなった人のことを思いだすと、あの世で故人に花が降るという。花が好きだった祖父母に、たくさん降り注いでいるといいなと思う。わたしの後悔や、寂しさと引き換えにそんなふうになっているのなら、この時期も少し乗り切れるような、そんな気がする。



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