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同じ月を見てた

タイトルはGOING UNDER GROUNDの曲。若い頃からずっと聞いていて、今も中秋の名月やらブルームーンで世間が湧くとき、綺麗に月が見えたときに聞きたくなる。
どんなに離れていても、見ている月はおんなじで、今この瞬間もあの人のいるところに、この月はあるんだよな、というような気持ちになったことは色んな人が経験済みではないだろうか。

アラフォーとなったわたしも、これまでの人生でたくさんの人と出会い、今でも繋がりがある人もいれば、もう二度と会うことはないだろうなという人もいる。二度と会うことはないだろうな、という人たちの中には、何らかの機会があれば再び繋がりが生まれるかもしれないという人もいる。未来はどうなるかわからない、不確定要素の塊でもあるから。

よほど苦い思い出とセットでなければ、関わったことのある人には幸せでいてほしいと思う。苦い思い出であっても、不幸になればいいと呪ったりしないようにしている。時々、感情優位になって、それが難しくなることもあるけれども…。

仲の良い友人たちが結婚していって幸せになっているのをみたら、なんとなくだけれど、わたしの役割は終わったなと思うことがあった。大事な人のことは、自分の何と引き換えにしてもいいから幸せにしたい/幸せになって欲しいとぼんやり思っていた、その役割がいよいよ必要なくなったと感じた。そんなことは気の良い友人たちは求めていないことも承知の上で。

今でも大切な家族に対して思うことがある。自分のことはどうでもいいから、家族のことは幸せに、できるだけ辛いことのないように暮らさせたい。大袈裟に言えば、わたしの命と引換えで、この先一生幸せに、少なくとも物質的な渇望は味わうことなく暮らしていけるとしたら、迷わずその選択をすると思う。

そんな魔法のような選択ができればいっそ気が楽なのだけれど、現実はそうもいかない。大事な人が困難に立ち向かっていたり、辛いときに、積極的に関わっていくことが悪手になることすらある。支える準備はしているつもりでも、それを活かす機会は来ないこともある。

月が綺麗な夜には、このおなじ月の下に暮らすあの人が幸せに、穏やかな夜をすごしていてくれますようにと願う。ほんの少しだけ思いを馳せたら、わたしも自分の生活に戻っていく。また次の綺麗な月の夜を、楽しみにしながら。



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