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心の風景3

国木田独歩「武蔵野」の一文に
・・・大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台の処々(ところどころ)が低く窪んで小さな浅い谷をなしているといった方が適当であろう。この谷の底は大概水田である。されば林とても数里にわたるものなく否、おそらく一里に当たるものもあるまい、畑とても一眸(一望と同意)数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃の畑の三方は林、と言うような具合で、農家がその間に散在して更にこれを分割している。即ち野やら林やら、ただ乱雑に入り組んでいて、忽ち林に入るかと思えば、忽ち野に出るというような風である。それがまた実に武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり・・・

 大平原と言っても高低差は当然あった武蔵野。高いところでは萱やススキ野原が広がり、低い窪地では芦原が広がっていたという。江戸以降入植した人たちはススキ野原を畑にし、葦原を田んぼにしたんだろうと勝手に想像する。その間に植生の変化で楢の林が野原を分割し、明治から昭和にかけての近代文学の世界に登場する武蔵野の風景になったのだろう。それにしても楢林の一斉に黄葉する様子、冬の陽の射す落葉林。一斉に新緑が始まる光景を見てみたいものだ。

自分の4歳くらいから10歳くらいまでの散らかった記憶をつなぎ合わせてみると、夏、暗い林を抜ける直前、密集した梢、枝の垂直に断たれた隙間から、水平に広がる野の風景が視界に入る。
 林を抜けると、林と野の境に沿って細い水路が流れていたりする。濁っていれば灌漑用、澄んでいれば上水路。水路の幅は一尺程度。
 この水路は水が澄んで底まで見える。早い流れの中でハヤやオイカワが鱗を煌めかせながら矢のようなスピードで川上へ登っていく。草の陰で時々静止し、チラチラと木洩れ日を受け背びれの金色の線を輝かせ、スマートな流線型の姿を水草とともに流れの中でゆらめかせているがそれも一瞬で、光陰を残して川上へ消えてしまう。そして川下からやってきた別のハヤが同じところで静止し、また川上へと消えていく。
 幅の割に底が深く水かさのたっぷりある水路は岸の青草に当たる水音や、水面で跳ねる水音に、流れに揉まれ上に下に渦巻き川底からの少し籠った水音。その振動が微かに足の裏にも伝わってくる。


ちなみに心の風景1,2,3ともテーマ画像はミューズ紙にボールペンで描いたもの

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